第十一話

 三月も半ばになり気温も春めいてきた中、俺はハラルとルラハと共に居住用ポッドで寛ぎながらとある計画を練っていた。来月からスタートする予定だが、期間をどれくらいにするかというところである。


「レイヤ様、熊です」

「熊?」


「冬眠から覚めたのかと。こちらに向かってきております」


 偵察用ドローンからの映像が、ハラルを通じて俺のチップに送られてきた。冬眠明けで腹を空かせているのだろう。温泉スパの周囲に並ぶ屋台の匂いに釣られたのか、未だ森の中だが明らかにこちらを目指している。


 余談だが敷地内の屋台は日出ひで村の村民たちによる運営だ。当然俺には土地の使用料が支払われる契約が結ばれていた。


「軍は気づいてるのか?」


「いえ、レーダー室の監視役がうたた寝していて気づいておりません」

たるんでるなあ」


「全くです。警報も切っているようです」

「対処が間に合うなら監視役を起こしてやれ」

「分かりました」


 偵察用ドローンでも薬品を噴霧したり、針を撃ち込んだりという攻撃が可能だ。光学迷彩で姿を隠したそれから強烈な汚物臭の霧を監視役の鼻の穴に向けて噴霧させる。これで彼はしばらくの間、自分の鼻の臭いで苦しむことになるだろう。自業自得である。


「な、何だ!? 臭い臭い臭い!」

「どうした? 何騒いでるんだ?」


「おい、この部屋臭くないか?」

「そうか? 別に臭くはないが」


「た、大変だ! 熊が近づいている!」

「なに!? どうして警報が鳴らなかった!?」


「す、すまん。切っていた」

「馬鹿野郎! すぐにサイレンを鳴らせ!」


 レーダー室には数人の兵士がいたがレーダーの監視役は一人だったため、彼が気づかないと初動が遅れるのである。他の兵士たちは熊が出現した時の行動を忠実に進めてから、一人が温泉スパと日出ひで村に設置されたスピーカーに繋がるマイクを握る。


「熊の接近を感知した! スパ周辺にいる者は直ちに建物の中に避難せよ! これは訓練ではない! 繰り返す! これは訓練ではない!」


 この地域に出没するのはツキノワグマである。凶暴と恐れられるヒグマは北海道にしか棲息しない。またツキノワグマは本来臆病な性格なので、人を襲うことは稀であると言える。


 ただし一度人を食べてエサと認識されるとその限りではない。味を知ったツキノワグマは、好んで人を襲うようになる可能性があるからだ。


「客と従業員の避難は完了したようだな」


 武装した兵士たちが山道に向かって横一列に並び、二台の装甲車がいざという時の盾になるように横付けされた。相手が一頭の熊と考えると過剰防衛気味にも感じられるが、被害を出さずに確実に仕留めるのが目的なのだから致し方ないだろう。


 彼らの会話が偵察用ドローンから送られてくる。


「間もなく繁みから出てきます。一頭です」

「総員、構え!」


 ガサガサと繁みが動き、ツキノワグマが姿を現す。しかし目の前に広がった異様な光景に、くるりと向きを変えて逃げてしまった。


撃ててーっ!!」


 タタタン、タタタンと一斉掃射が繁みに逃げた熊を追い立てる。しばらくそれが続いたが指揮官の号令で射撃が終わった。レーダー上の熊を示す輝点が停止、つまり熊の動きが止まったということである。


 おそらく蜂の巣にされて息絶えたのであろう。間違いなく過剰攻撃である。それでもすぐに近づくのは危険なので、兵士たちは十分間の待機となった。


「レイヤ様、あの怠慢な監視役はどうされます?」

「熊の駆除は土地を貸す条件の一つだからな。看過するわけにはいかないだろう」


「放っておいたらいつ気づいたか分かりませんでしたからね」

「警報を切っていたのも許せません」


 ハラルだけでなくルラハも怒っているようだ。


 むろん野生の熊の駆除など、俺たちにとっては造作もないことである。それこそ付近の山にいる熊の位置を割り出し、全て駆除することも可能だ。しかしそれをやると生態系を破壊しかねない。


 だから俺たちは手を出さず、こちらに害がありそうな個体だけを排除するというわけだ。その役目を軍に負わせたのだが、どうやら末端の兵士は重要性を理解していなかったらしい。


 ところで熊は問題なく駆除されたようだ。もちろん偵察用ドローンからの映像で熊が射殺されたのは知っていたが、避難態勢が解除されたのは繁みから熊の死体が運び出された後だった。


 後日俺は抗議のために、一人で市ヶ谷の陸軍大本営に猪塚いのづか駿はやし陸将補を訪れた。むろん陸軍側の契約違反に関する抗議なのでアポイントなど取っていない。


 応じなければ日出村出張所の全ての特権を見直すと伝えたら、快く通してくれたので問題はないだろう。横から口を出されるのが面倒なので護衛兵の立ち会いは認めなかった。


 軍に対して強気な俺をどうにも出来ないのは、以前の潜水艦の件があったからに他ならない。彼らがあれで俺への認識を改めたことはすでに知っていたのだ。


「居眠りだけならまだしも、警報を切っていたのは許し難い行為です」

「済まなかった。この監視役は即座に鉄道の警備役としてシベリア行きを命じよう」


「それだけでは納得しませんよ」

「う、うむ」


「来月より一年間、月に一度の軍へのスパ貸し切りは停止します。また、土産物その他の二割の割り引きは今後はなしです」

「なっ! それは……」


「猪塚閣下、今回の契約違反はスパの信用に大きく関わる一大事です。熊は問題なく駆除されたとは言え、それはあくまで結果論でしかありません。監視役一人を左遷すれば済むなどという簡単なことではないのですよ」

「しかし貸し切り停止は……」


「土地を無償で提供した上に温泉まで引きました。さらにスパの貸し切りに土産物その他の割り引きです。正直辟易としてますよ。一体どれだけの無駄な経費がかかっていると思っておられるのですか?」

「無駄とは言い過ぎではないかね?」


「契約すら守れないのに無駄以外の何物でもないでしょう。今後もし同様の問題があれば温泉の停止、それでも足りなければ土地の無償供与の停止から出張所の取り壊しまで視野に入れさせて頂きます」

「それでは治安が保てないだろう」


「猪塚閣下、私たちにそれが不可能だと本気でお思いなのですか?」

「うっ……」


 がっくりと肩を落とした陸将補か少し哀れに思えた。この人温泉大好きだもんな。ところが彼は何かを思い出したようにふっと顔を上げた。


「もしかして君は我々の動向を監視しているのかね?」

「質問に質問で返すのは不本意ですが、私たちが暮らす膝元に軍の拠点があるのに、監視されないと思っておられたのですか?」


「しかし……いや、そうか。あの潜水艦のこともあった。予測出来ないことではなかったな」


「ご心配なさらずとも、本国やその他に情報を漏らすつもりはありません。あくまでこちらが被害や不利益を被らないための監視ですから」

「そうか……」


「あ、全くの別件になりますが、相談したいことがありまして」


 俺からの相談内容を聞いた陸将補は、先ほどまでとは打って変わった明るい表情を見せる。向こうにも益があることなのだから当然だろう。


 レーダー室の監視役が捕らえられたとの念話がハラルから飛んできたのは、俺が大本営の敷地を出た直後だった。動きが早いのは評価出来るな。

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