確信犯は酔わない

「山本。今日、寄っていかない?」

 同期の佐竹は金曜日の夜、こうして俺を飲みに誘う。

「どこに?」

「前、駅前でいい感じの個人経営のところ見つけてさ。山本も好きそう」

「それじゃ、多分好きだ」

 俺の好みを知り尽くしている彼がそう言うなら、その通りなのだろう。なんせ俺が就職で上京してきてからずっと、彼はいろいろな店へ俺を連れていってくれている。

 会社を出て飛び込む繁華街は、華金に浮かれていつにも増して明るい。その人混みを抜けて、ここ、と彼が立ち止まる。そこは、真新しい看板を掲げた居酒屋の前だ。彼が引き戸を開けた。店内には照明の明かりがあふれ、「いらっしゃいませ」という威勢のいい声に迎えられる。

「二人です」

 慣れた様子で彼はテーブル席につく。狭いテーブルを挟んで向かい合い、俺はジャケットを脱いで椅子の背もたれにかけた。すぐにお冷が卓上に置かれ、それを一口煽る。

 ネクタイを緩めて人心地つくと、彼もジャケットを脱いでいた。シャツの袖ボタンを外して腕まくりをする。その男らしい筋張った腕を見るといつも、なんとも言えず、気持ちがそわそわした。

「メニュー、これ」

 そう言って、彼はメニュー表を机の上に広げた。俺は目を走らせ、好物を探す

「じゃあ、日本酒ともつ煮込みと……」

「これも」

 そう言って、彼はとんとんとつくねの大葉巻きを叩く。

「佐竹は?」

「俺ももつ煮込みとつくね、あと烏龍茶と焼きおにぎり」

 彼は手を挙げて「すみません」と店員を呼ぶ。もつ煮込みとつくねを二つずつ、それから焼きおにぎり、日本酒と烏龍茶。少々お待ちください、と店員が厨房へ帰っていく。彼は備え付けのおしぼりを二つ取り、俺に一個寄越した。

 彼は、俺と二人きりのときは飲酒しない。会社の飲み会では平気で飲んでいるのだから、アルコールが無理ということはないのだろう。正直少し寂しいけど、それをなかなか言えずにいる。

 まずはお通しの、白菜の浅漬けがテーブルに置かれた。いただきます、と二人で手を合わせ、口に運ぶ。

「うま」

 しゃきしゃきとした食感に、優しい塩味と旨味。それから、野菜本来の甘さ。これは酒かご飯が欲しくなる。次いで、俺たちの注文した飲み物が運ばれてきた。ジョッキに入った烏龍茶と、日本酒。

 店員は「失礼します」と言って、升になみなみと日本酒を注いだ。あふれるギリギリまで注がれる酒に、俺は生唾が湧く。

 お辞儀をして店員が去っていくのをしり目に、俺は机に置いたままの升に口をつけた。毎度ながら、これの正しい飲み方が分からない。行儀悪く酒をすすっていると、佐竹が俺を見ていることに気づいた。

「どうかした?」

「いや……」

 じっと俺を見つめるその目は、居酒屋の明るい照明のせいか、やけに潤んで見えた。じわ、とうなじが熱くなる。慌てて浅漬けをまた口に入れる。ぽりぽりと噛むごとに染み出る漬物のしょっぱさと甘さ、それから日本酒のまろやかさ。それらが複雑に舌の上で混ざり合い、絡み合い、喉を滑り落ちていく。

「うまい」

「だろ?」

 俺とは酒を飲まないくせに、佐竹は得意げに言う。ついでもつ煮込み、つくね、焼きおにぎりが運ばれてくる。お互いの分を狭いテーブルの上で分け合い、俺は真っ先にもつ煮込みに手を付けた。

「うまい」

 白みそベースで、少し甘めの味付け。たっぷりネギがトッピングされている。もつはとろとろで濃厚。大根とにんじんはしっかり煮込まれて、甘味が引き出されている。味の沁みたこんにゃくはぷりぷりで、俺は空腹も相まってぱくぱくと口に入れた。

「うまいだろ」

 自分で作ったわけでもないのに、佐竹は得意げに言う。俺が頷くと、彼は目を細めて、何かを口の中で呟いた。

「かわい……」

「なんか言った?」

 別に? と言うが、何かを誤魔化しているようにしか見えなかった。俺はじっとりと彼を見据えながらも、食事の手は止めない。

 つくねの大葉巻きは、しっかり甘辛いタレが全体に絡められて照り輝いていた。大きさは、一口で入りきるか入りきらないか。俺は迷わず大口を開けて、ぱくりと一口で詰め込んだ。これがデートだったり上司との飲みだったりなら分けて食べるところだけど、佐竹相手にそんな遠慮はない。口がふさがり無言になる俺に、佐竹が首を傾けて笑う。

「うまいだろ」

 咀嚼すると、口中に鶏の旨味と甘辛ダレの味わいが広がる。こってりしているけれど大葉の風味が爽やかで、しつこくない。

「口いっぱいに入れるの、うまいもんな」

 そう言う佐竹の目は優しい。口いっぱいに物を詰め込むのは普通に行儀が悪いし、散々注意されてきた。だけど彼は、俺のそういうところを、許してくれる。彼はつくねを何口分かに分けて食べ、もつ煮込みもゆっくり食べていた。

「うん。うまい」

 俺は酒を煽り、料理を食べ、上機嫌に笑った。酒が尽きたので手を挙げ、店員を呼ぶ。

「すみませーん、日本酒ください」

「山本、飲みすぎじゃね?」

「大丈夫だって。佐竹もいるし」

 そう言うと、彼は、ちょっと顔を曇らせた。口元が緩みかけているのを抑えているようでもあって、目元がぎゅっと細くなっているのは、不満を訴えているようでもあった。

 結局、俺は日本酒を三合飲んだ。店を出るころにはすっかりできあがってしまった俺を、佐竹が連れ出す。会計は彼がしてくれたようで、俺はぼんやりする頭で、都会の夜空を見上げていた。

「なんか、面白いもんでもあった?」

「都会だなって」

 なんだそりゃ、と都会生まれ都会育ちの佐竹が笑う。地方出身の俺は「都会の空は星がなくてつまんない」とくだをまいた。佐竹が低く笑う。

「なら、俺とつまらなくない夜空でも見にいくか?」

「デートじゃん」

 けらけら笑って見せると、「デートだよ」と佐竹は言った。デート、でーと。俺は酒に酔った頭で考えてみる。

「手、つなぐのか」

「時と場合による」

「キスとかも?」

「時と場合による」

 ふーん、と俺は首を傾げた。佐竹と手を繋ぐ。佐竹とキス。それを考えると頭がますますふわふわして、胸が熱く、苦しくなる。

「イヤ?」

 彼は逞しい腕で俺を引き寄せて尋ねる。その腕が少しひんやりして気持ちよくて、俺はそっと腰に回された手に手を重ねた。

「いやじゃない」

 佐竹が低く喉を鳴らして笑った。それが随分男くさくて、俺の心臓が跳ねる。友達なのに男として見てしまって、どうしよう。だけど不思議と不安はなかった。

「じゃあ、後でメールしとくから」

 もちろん、と彼は付け足した。

「俺は酔った勢いとかじゃないから、誤魔化せないぞ。何のために毎度酒を飲んでいなかったと思うんだ」

 彼は堂々と言った。それがなんだか気恥しくて、俺は彼に肩パンした。

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