ぼっちに絆は重すぎる ~一年四組の異世界迷宮攻略記~

夏多巽

第1話 ようこそ悠城学園、そして未知の世界へ

 久住くすみ永遠とわは、温かな心地の中で目を覚ました。


 永遠はベッドの上で顔を動かす。カーテンの隙間から朝陽が漏れ、薄暗い部屋の中で映えているのが見えた。

 永遠はゆっくりと身体を起こし、腕を伸ばした。


 彼はベッドから降りると、ハンガーにかけられていた真新しい学生服を手に取った。濃い緑色の仕立ての良い服だ。それを感慨深そうに眺めていたが、小さく息を吐くと着替えだした。


 十分後、永遠は部屋を出ると階段を下り、一階のダイニングルームに顔を出した。テーブルの上にはトーストが載った皿と、スクランブルエッグやレタスが盛られた皿が用意されていた。

 キッチンにいた母親の莉佳子りかこはぴかぴかの学生服に身を包んだ息子の姿を見て、微笑んだ。


「おはよう永遠、朝ごはんできてるわよ」

「分かった」


 朝の挨拶を互いに交わし、永遠は席に着いた。テーブルには既に妹のあかねが着いている。彼女は視線を永遠へ向けると、口に含んでいたココアを飲み込んだ。


「おはよう、お兄ちゃん」

「おはよう」


 妹にも声をかけると、永遠は朝食を食べ始める。トーストにジャムを塗り頬張ると、口の中が甘さで満たされた。

 壁にかけてあるテレビには朝のニュース番組が映し出されている。永遠は何の気なしにニュースを眺めた。


『今日、都内の高校で入学式が執り行われます。桜が満開の季節、新たな一歩を踏み出した新入生たちは――』


 アナウンサーが読み上げる声をバックに、どこかの高校を映した映像が流れる。

 同じようにテレビを見ていた茜が、永遠を横目で見た。


「うーん、やっぱりお兄ちゃんが悠城ゆうじょう学園の制服着てるの似合わないなあ」

「ほっとけ。自覚はあるんだよ」


 永遠は不機嫌そうに同意した。高級感の漂う制服は、彼に妙な居心地の悪さを覚えさせた。着替えた後もネクタイの締まり具合を何度も確認したほどだ。


「お兄ちゃん、悠城に行って本当に大丈夫? あそこお金持ちの子供が通う超有名進学校で、金持ちの子供同士の繋がりとかバリバリに強いって聞くよ? そんな中に入ってやっていける?」

「今そんな話するなよ。気が滅入るだろ」

「だってねえ……お兄ちゃん中学卒業までずっとぼっちだったじゃん。友達付き合いとかできないでしょ。大抵は家でゲームしてるか、漫画読んでるか、ネットしてるかで、ろくに遊びに出かけたこともないし。そんなお兄ちゃんがエリートの卵みたいな集団に放り込まれるとか怖いんだけど」


 明け透けに言う妹の言葉は、悲しいことにすべて事実だった。永遠の趣味は専らサブカルチャーに注がれており、人付き合いは凡そインターネットの世界で完結していた。休日はスマホゲームか漫画に耽るのが常。外出する際も、行き先は馴染みの本屋か電器店、ホビーショップといった趣味に関連のある場所ばかりであった。


 茜の懸念は尤もだと永遠は思った。


 現実を直視していると、莉佳子がやって来て茜を叱った。


「ほらほら、そんなこと言わないの。永遠だって頑張って試験に合格したんだから、素直に祝ってあげなさい」

「純粋に心配してるんだけどなあ」


 茜はそうぼやいた。

 永遠は肩をすくめた。


「まあ、なんとかやるよ。適当にやっていれば問題ないさ。中学もずっとそうしてきたんだし」

「良くも悪くも空気だもんね。そのお陰でいじめとか遭ったことないし、ある意味処世術とも言えるんだろうけど」


 これまでの人生において、永遠はただひたすらに目立たない人間だった。成績は良好で、スポーツはどちらかといえば苦手。誰からも必要とされたことはないが、誰からも不要と断じられたこともない。久住永遠は、気がつくといつの間にかそこにいると思われるような人間だった。

 永遠は自ら誰かを求めたことはない。彼の世界は彼の中だけで満たされていた。それで足りるのだから、新たに手を伸ばす必要はないと思っていた。


 ニュースは入学式の話題を終え、新作のドラマの話題へと変わっていた。


『続いては、春の新作ドラマ《未だ見知らぬ春》の情報をお伝えします。人気作家、七海ななみしゅんさん原作のこのドラマは、今SNSなどで話題沸騰中となっています。舞台は天変地異により寒冷化した近未来の地球。温かな世界を求めて生き延びようと足掻く人々を描いたストーリーが人気を博しています』


 永遠は意識を切り替えると、朝食に専念することにした。


 それから出かける支度を済ませ、七時四十分を回る頃に家を出た。


「それじゃ、行ってくるよ」

「いってらっしゃい」


 永遠は茜と共に外へ出ると、大通りまでの道程を並んで歩いた。

 大通りに着くと、二人は別々の方向へ別れた。茜の通う中学校は悠城学園の反対側にある。彼女は手を振り、中学校までの道を歩いていった。


 妹の背中を見送った永遠は、自身の目的地へと向けて歩み出した。




 悠城学園は都内でも有数の進学校として知られている。

 校舎は四階建てで白亜の壁がそびえ立っている。一部は煉瓦造りとなっていて、赤茶色の屋根が古い時代の洒落た建物を思わせた。


 永遠は校舎を見上げながら感嘆した。彼が調べたところによると、校舎の設備には大層金がかかっているらしい。資金源は現在各界で活躍しているOBによる多額の寄付とのことだ。


 喜びや緊張を顔に出した新入生たちの間を通り抜け、永遠はクラス分けの表と校内の地図が掲示された場所へと足を運んだ。

 クラスは全部で六つに分かれていた。密集する新入生たちの山に埋もれ、永遠はクラス表の中から自分の名前を探した。


(俺のクラスは四組か。知ってる奴の名前はないな)


 永遠と同じ杜塚中学校の出身者は他にも数人いたはずだが、四組の中には見当たらなかった。


 地図の案内に従って永遠は校舎の中を進んでいく。階段を上がり二階の廊下へと出た彼は、四組の教室を見つけた。


 教室前の廊下には担当教師と思わしき若い女性が立っていた。背筋を伸ばして、青いスーツを着こなしている。


「入学おめでとうございます。自分の番号と名前が書かれた席に座って待っていてください」


 永遠は軽く会釈して答えると、教室へと足を踏み入れた。

 十分な広さのある教室に等間隔で机と椅子が並べられている。彼と同じクラスに振り分けられた少年少女の姿がそこにあった。

 同じように女性教師に言われたのか、皆が着席していた。その中の半分くらいは近くの席の新入生と談笑している。


(もう既に仲良く話してる奴等がいるな……アクティブだなあ)


 社交的な何人かが中心となって、いくつかのグループが既に形成されているように思えた。会話に参加していないが耳をそばだてている者も何人かいる。

 永遠は自分の出席番号である九番の席に座ると、周囲を見回した。彼の周囲の席に座っている新入生は物静かな人間が多く、左隣の男子生徒がさらに左の男子生徒と会話しているだけだ。他は何か考えているような素振りを見せたりスマホに目を落としていたりと静かなものだ。


(俺と同類っぽいのも何人かいるな。嬉しいわけじゃないけど、ちょっとだけ安心した)


 永遠もまた静かに待つことを選択した。元より誰かに話しかける勇気はなかった。


 やがて八時半になると女性教師が教室の中へと入ってきた。教壇に立った彼女に全員が注目する。

 彼女は教室を見渡し、良く通る声で言った。


「さて、時間になりました。全員揃っているようですね。まずは入学おめでとうございます」


 人懐こそうな気配のある美貌に満ちた顔に笑みが湛えられる。


「一年間このクラスの担任を務める白坂しらさか菖蒲あやめです。どうぞよろしくお願いします」


 永遠は改めて菖蒲を観察した。若々しく顔つきや言葉には知性が見て取れる。緊張は一切見られず、穏やかな空気を醸し出していた。


「これにより体育館で入学式を執り行います。皆さん廊下に出て番号順に二列に並んでください」


 菖蒲の指示に従い生徒は廊下へと出ていく。彼らが列を作り終えると、菖蒲はその先頭につき体育館へ向かって率いていった。


 入学式は滞りなく進行した。

 校長の挨拶、祝辞、祝電の披露など、名門と云われる学校の入学式であっても大まかな流れは変わらないものだと永遠は思った。


『続いて、新入生代表挨拶です。新入生代表、一年四組、水城みずき杏樹あんじゅ


 自分のクラスが呼ばれ、永遠はおやと思った。彼の視線はマイクの前に進み出た少女へと向けられた。背の高い、編んだ髪を前に垂らした少女だ。


 四組の席のいくつかから小さな声が漏れた。


「新入生代表、うちのクラスから出たんですね~」

「凄い綺麗な人……」

「いかにも優等生って顔してるねえ。勝ち組の空気漂わせてる」


 感心するような声や惚れ惚れするような声、さらには妬むような声がどこかから聞こえてくる。


 永遠は挨拶を終え席へ戻る水城杏樹を眺めた。まるで自分がこの場にいることに絶対的な自信を持っているかのような、しっかりした足取りだった。


 永遠は、彼女がすぐにクラスの中心的存在になるだろうと予感した。



 入学式を終え四組の教室へ戻ると、生徒たちは思い思いに行動し始めた。菖蒲が戻ってくるまでにしばし猶予があるようだ。行儀よく席に座って待つ者はあまりいないらしく、教室のあちこちで固まって話しているグループが見られた。


 その中でも目立つのは、水城杏樹を中心とした女子のグループだ。杏樹は数人の女子に囲まれて質問攻めに遭っていた。


「水城さんが新入生代表に選ばれたってことは、入試の成績で一位だったってこと?」

「はい、先生方からそうだと伺っています」

「凄いなあ! あ、SNSやってる? もしそうなら相互フォローしない?」

「写真撮りましょう! ほら、皆並んで並んで」


 杏樹は誘いを断らずにこやかに了承した。そんな姦しい様子が他のクラスメイトの関心を惹く中、永遠は一人スマホに目を落としていた。

 彼は時間を潰そうとネットのニュースサイトを閲覧していた。最新のトピックが並ぶ中、気になるものを選ぶ。

 作家の七海旬原作のドラマの紹介、医薬品会社同士の業務提携、美術館に展示されていた数千万円の絵画が盗まれた事件、宗教団体が訴えられた裁判。

 それらのニュースに目を通しながら永遠は菖蒲が戻ってくるのを待っていたが、傍にやって来た男子生徒に声をかけられ意識を割かれた。


「あの水城って子、早速人気者だねえ。そう思わない?」


 話しかけてきたのは童顔の男子生徒だ。後ろで束ねている髪がゆらゆらと揺れている。

 彼は水城杏樹のグループを見やった。


 永遠は自他共に認めるぼっちであるが、友好的に接してくる人間に対して平常の対応をとることは問題なくできた。

 どうせ今だけの仲良しだ。そう思うと他人ひととの会話は苦にならなかった。


「綺麗だし性格も良さそうだからな」

「うんうん、やっぱりそう思うよね。あ、僕は帆足ほあしあゆむ。来栖山中学校から来たんだ。よろしくね」

「久住永遠。杜塚中学校出身。まあ、ほどほどによろしく」

「うんうん、仲良くねトワ」


 二人が握手すると、歩は握った手をぶんぶんと振る。いきなり名前で呼ぶ距離感が気になったが、それよりも勢いよく振られる手首が痛かった。


 歩は顔を近づけ、内緒話でもするかのように言った。


「水城さんはクラスのリーダーになりそうな人だね。他にも凄い子は沢山いるけど彼女が一番目立ってるかな」

「他の奴のこと知ってるのか?」

「この学園お金持ちの子が沢山通っているのは知ってる? このクラスにも何人かいるよ」


 歩は後方の席に座っている小柄な男子生徒を指差した。


「あそこに座っているのは樹神こだま重工の社長の次男。英才教育を受けたエリートで、中学時代は成績トップだったんだって。窓際の席の縦ロールの女の子が森重もりしげ商事のオーナー一族の娘さん。あっちで話している女の子は親が老舗料亭を経営しているそうだよ。それからあの身体の大きな人が、スポーツ選手を何人も輩出しているまゆずみ家の出身だね。それから水城さんの写真撮ってた女の子は警察官僚の娘さん。ああ、あとこの学園の理事長の孫もいるよ」


 永遠は感嘆した。


「詳しいな。そこまで調べられるような人脈があるのか?」

「こういうの知ってる人と仲良くなる機会があってね。僕が悠城学園に入学するのが決まった時に教えてくれたんだよ」

「そんな人と知り合いってことは、お前の家も良いところ?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど。まあ、ちょっとね」


 その時、前方の扉が開き、白坂菖蒲がいくつか書類を抱えて入ってきた。

 生徒たちはすぐに席へ戻った。

 菖蒲は全員の着席を確認すると、一拍置いて話し始めた。


「入学式が終わって皆さん一息吐いているでしょう。この後は簡単な説明と、いくつか連絡事項を伝えてから解散したいと思います。まずは……」


 永遠の思考はこの後の予定をどうするかに切り替わっていた。スマホゲームのデイリークエストを完了させた後は、ネット小説サイトをチェックしようかと考える。動画サイトでゲームプレイ動画を漁るのもいい。今日は母親に買い物を頼まれてもいないから、家でのんびりできるだろうと計画を立て始めた。


 それ故、永遠は異変に気づかなかった。


「あれ? なんか光ってない?」


 最初に異変に気づいたのは窓際最後方に座っている女子だ。歩が上流階級の出身者として語った警察官僚の娘だ。彼女は菖蒲からふと視線を逸らした際、足元が淡く白い輝きを放っていることに気づいた。

 他の生徒たちも釣られて足元に目を落とし、同じように白い光を目にした。


「確かに妙に明るいような……」

「ね、ねえ、床が光ってるんだけど」

「何これ? 進学校って教室の床に照明埋め込まれてるものなの?」


 首を傾げている者、困惑している者、冷静な者と、反応は様々だ。

 永遠は床の光を訝し気に観察する。光は線や文字のような形をしていると分かった。それが教室の床を丸ごと使って描かれている。

 永遠はその形に既視感を覚えた。


 教室の後ろで、歩があっと声を上げた。


「あのさ、この光何かの模様みたいに見えない?」


 彼の言葉に何人かの生徒が同意する。


「ホントだ。文字みたいなものも……」

「これって魔法陣じゃないですか? 漫画で似たようなの見たことありますけど」


 魔法陣――誰かが口にしたその言葉を耳にして、永遠は既視感の正体に気づいた。

 空想の世界を題材とした物語で見慣れたものが、今目の前にあった。

 

 光は次第に強さを増していく。最初は淡かった光が、今では眩く直視できないほどになっている。


「……光が増してきてるんだけど」

「もしかしてヤバい?」


 菖蒲が焦燥感の混じった声で叫んだ。


「皆さん! すぐに教室の外へ! 急いで――」


 彼女が言い終える前に、魔法陣が一際大きく輝いた。

 すべての音が光に呑まれ消え去る。菖蒲の叫びが外に届くことはなかった。

 ただ教室が輝きで埋め尽くされていた。


 やがて、輝きが収まると、そこには静寂だけが残っていた。


 一年四組の教室にいた四十一名の姿はどこにもなかった。

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