君の故郷に続く道②

『親父殿へ、数日後に家出します。しばらくしたら戻るので心配しないでください。みんなのボス、グラスフェルト様より』


 と書かれた紙を持った俺の兄……日本で言えば高校生ぐらいの少年がゲラゲラと笑う。


「ローレン、お前さぁ、くふふ……。予告家出って……。事前に連絡したら止められて出来るわけないだろ」

「いやぁ、心配かけるのも悪いと思って。まさかレング兄貴が見張りに着くとは思わなかったが」

「相変わらず生意気な口調だなぁ、このこの。父さんはローレンのことをかなり評価してるからな。適当な使用人なら出し抜かれると思ったんだろう」


 ああ……なるほど。まぁ子供の体とは言えど、中身が大人なので普通の子供とは行動もだいぶ違うし警戒はするか。


 ……よし、まぁ、別に問題はないか。


 とりあえず……もう一度あの子のところに会いに行くか。

 部屋から出て周りを見回しながら廊下を歩く。


「お? 何か探してんの?」

「兄貴もついてくるのか……」

「そりゃ監視を頼まれたしなぁ」

「今日は出ないから着いてくる必要はないぞ。まぁそもそも兄貴の監視ぐらいは障害にもならないからサボってても変わらないぞ」

「おー、生意気生意気。で、何探してるの?」


 ぽすぽすと上から頭を撫でられながら、昨日少女を見かけた場所に行くと、今日もそこで泣きそうな表情でうずくまっていた。


 思わず駆け寄り、しゃがみ込んで少女の目線に合わせる。


「おはよう。今日も君に会えて嬉しいよ」

「……総統様?」


 少女は驚いたような表情で俺を見て、驚いている隙に彼女の隣に座る。

 昨日と変わらない顔色。細い手足を見て、特に外傷らしきものはないと確認する。


「……少し慣れたか?」

「……慣れたくない。お母さん、いないから」


 そりゃそうか。

 親のいない生活になんて慣れたくないよな。


 ……たぶん、それがこの子の苦しみの本質なのだろう。


 ここでの暮らしは悪いものではないはずだ。便宜上使用人の服は着せられているが、働いている様子はないし、食べ物も美味しいだろうし寝床も暖かいだろう。


 ……ただぼーっとしていたらそれなりに幸福で、だが、だからこそ「母親のことを忘れてしまいそうになる」自分が許せないのだろう……と、まぁ推測はするけど、正解かは分からない。


「……そうか。もしお母さんがいたら、悪い生活じゃないか?」

「……うん」


 なら……そうだな。じゃあ行かないとな。

 お母さんのところにまで。


「……どこら辺に住んでいたか分かるか?」

「……海の近く」


 それだけじゃ分かりようもない。

 ……いや、そう言えばこの前親父殿が「魔族に襲われた街を支援する」と言っていたな。


 時期を見るにおそらく、遠くの港町に住んでいたというこの少女を引き取ったのもその一環なのだろうことが想像出来る。


 最近魔族に襲われた港町……これで探せば見つかるだろう。

 ……何故、引き取ったのが娘だけなのか……と、まぁ想像はつく。


「よし、じゃあ、行くか」

「……?」

「君の故郷。お母さんのとこ、行こう。俺が連れて行くから」


 少女の小さな手を握って笑いかける。ほんの少し、理解出来ないような表情を俺に向けて、少女は薄桃の唇を動かす。


「……ほんと?」

「ああ。もちろん。俺が味方だ。名前を教えてくれるか?」

「モノ、私は」


 よしよしと頭を撫でて、それからポケットに忍ばせていた菓子を手渡す。


「旅をすることになるから、まずは体力をつけないとな。たくさん歩くことになるんだぞ。いっぱいご飯食べろよ?」

「うん……。うんっ!」


 もう一度頭を撫で……少し離れたところで、苦い顔をしているレングを見つけてそちらに戻る。


「…………あー、ロー。お前はいい子だし、あの子を元気づけようとしているのは分かる。……けどな」


 俺はレングの方を見て、それから物陰に入る。

 それから、潜めた言葉を出す。


「……母親はもう死んでいる……というところか?」

「っ……お前、分かって……!」

「静かに……。そりゃ、まぁ、兄貴も親父殿も、親が生きてるなら会わせてやろうとするだろうし、分かるだろ」

「ならなんで、そんな残酷なことを……!」


 ああ、本当にいい奴だ。兄貴は。

 歳下の子供ぐらいに思っていたが……考えはしっかりしていて、優しく、生真面目だ。


 息を吐いてしっかりと見据える。


 俺と敵対する人間は、いい奴ばかりで本当に困る。


「……腐るぞ、人間は。痛みから遠ざけてやろうとしてしまえば。あのさ、そのまま母親を待ち続けて、どうなると思う。当然迎えには来ないし、昔の居場所にこだわれば今の居場所には馴染めなくなる。ここではないどこかに囚われたままになる」

「だとしても、今の必要はないだろ!」

「……旅に出て、それなりの道のりがある。知るのは少しあとになる」

「そんなの、傷つくだろうが……」

「だから、一緒に間違えてやるんだ。俺がいる。そう伝えなければならないんだ」


 納得はしていないだろう。

 そもそも、説得が出来るなんて考えていない。

 どちらが正しくどちらが間違っているかなんて、信念の違いでしかない。


「三日後の夜に発つ。止めたいならそのときに」

「……ロー、本気で言ってるのか?」

「あ、路銀がほしいから金を持ってきてくれ。ほら、そっちとしても心配してるだけなんだから、文無しで逃げるよりも都合がいいだろ。俺が勝ったら、寄越せ」

「……幼い弟にカツアゲされてる。あー、分かった。地図とかも付けてやるし、馬車の手配もする」


 いいのか? あまりに協力的な……レングは俺の考え方に反対しているようなのに……。

 ガリガリと俺と同じような髪色の頭を掻いて、今までの幼い子供に向けるような視線をやめて、真剣な表情に変える。


「隠れて抜け出される方が厄介だ。小さいから見つけにくいしな。もし出し抜かれて、野垂れ死なれても嫌だ。金と馬車、餌があれば食いつくだろ?」

「……カモがネギを背負ってきたな。じゃあ、決闘の形式でいこう。俺が勝てば馬車と金はもらっていく」

「俺が勝てば、駆け落ちは取りやめだ」


 じゃあ、また三日後に。

 そう言って、背を向ける。


 もう少し、魔法とやらについて学んでおくか。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 風が葉を揺らす。虫の音が響く。

 夜の森はどうにもうるさく、決闘という場においては少し気が散るように思えた。


 反面、星明かりや月明かりは木々に遮られていてほとんど見えない。

 目を閉じたまま、暗闇に慣れるのを待っていると瞼越しに赤い光を感じる。


「……きたか」

「まぁ、兄としてな。弟が危ないことをしようとしてるんだから、止めないとな」


 裏山の開けた場所にて、兄であるレングと向き合う。


「じゃあ、決闘といくか」

「…………諦めてくれた方がいいんだけどな。怪我をさせたくない」


 レングはそう言いながら体の周りに水を生み出して俺とレンが自身を囲むように発生させていく。


 魔法というものは、「意志の力」だそうだ。

 決意の力である異能に似ているようにも思えたが……違う。決定的なまでに。


 兄であるレングと俺の周囲を囲む水流を見て、それが確信に至る。


 異能はこの魔法のように、俺を捕えるが怪我はさせないというような都合のいい形をとることは非常に難しい。


 何故ならば「決意」とは易々と形を変えられるものではないからだ。

 俺の場合、炎の形を正確に操ることは出来ても俺自身を焼くとか他の誰かを焼かないというような細かい条件をつけることは不可能だ。


 こうやって形も勢いも性質も変えて……なんて、異能に慣れた俺にはまるで粘土のように扱いやすいもののように見える。


 使い勝手の悪い決意の力と比べると少し羨ましい。……まぁ、いずれその魔法の力も俺のものにするが。


 ……と、まぁ魔法の長所を褒めはしたが……かと言ってそれがそのまま上位下位の話になるわけではない。


「ほらほら、降参するなら今のうちだぞー」

「降参はしない。そう「決意」したからな……レング。少し、危ないぞ」


 指先に炎を灯すとレングは驚いたように目を見開く。


「その歳でもう魔法を……! 本当に天才だな。父さんが気にかけるのも分かる。だが、相性が悪いな」


 魔法ではなく、異能である。

 炎は蝶の形を取り、鱗粉のように火の粉を舞わせて羽ばたいて俺たちを囲む水流に飛び込む。


「いや、相性の問題だけじゃないな。それだけの炎なら──」


 レングの言葉が止まる。俺の生み出した火炎の蝶は水の中に入ってもきえることはなく……それどころか「水を燃やす」。


「……は?」


 水流は一気に燃え盛り、火炎に包まれてその姿を消す。

 レングはありえないものを見たかのように固まるが……こうなるのは当然のことだ。


 魔法は意思の力であり、異能は決意の力だ。

 決意とはすなわち、自らの意思を否定することだ。


 辛い、痛い、休みたい、戦いたくない、逃げたい。そのような意思を否定して、俺を貫くことが決意である。


 ゆえに……意思の力では、決意の力に打ち勝つことが出来ない。


 魔法にとって異能は、明確に天敵としての性質を持っている。


 全ての水の魔法を焼き払い、驚愕の表情を浮かべる兄の顔を見る。


「──『第四戦火ラグナロク 』。俺の決意を押し通すための下劣で愚鈍な力だ。親父殿も兄貴も、心配してくれていることは理解している。けれども、けれど。なさねばならないと決めたことを覆すつもりはない」

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