第十楽章 「みんなの正解」

#14 対立

「……だからさ、なんであんたはそんな言い方しか出来ないの?!」


 音楽室の扉を突き破るような勢いで飛んできた怒号。中で言い争いが勃発しているのは周知だったが、思わずその場にいる誰もが身構えた。


「俺は間違ったこと言ってない」

「あのさぁ、正しいだの正しくないだのは今どうでもいいの!なんでそんな感じ悪い言い方ばっかりするのって聞いてるのよ」


 莉音が恐る恐るといった手つきで扉を開ける。頬を紅潮させ癇癪を起している有愛と、険しい目つきで腕を組んでいる奏多が、音楽室のど真ん中で向かい合っていた。まるで漫画で見るような光景だ。


「何があったの?あれ」


 夏琴が眉間に皺を寄せ、音楽室を指さす。


「莉音たちにも分かんないの。なんかトイレから戻ってきたら急に喧嘩しててさ……」


 ドアにくっついて中をのぞき込んでいた木打三人組が、ひそひそ声で振り返る。


「合奏してる間にああなったんじゃなくて?」

「今日、里律ちゃん居ないし、グロッケンの優歌先輩も塾の模試で休んでて人数少ないから、すぐ個人練になったんだ」


 夏琴の隣では、舞香が「やばくない?」と言わんばかりに引きつった笑みを浮かべており、明音は嫌悪な雰囲気にすっかり怯え、舞香の背中に隠れている。花音も誰かの背中に隠れようかと思ったが、隣にいたのは響介だったのでやめることにした。


「なんでそんなすぐに『サボってる』とか決めつけられんの?!金管の練習見てたわけでもないくせに!」


 ヒステリック気味に叫ぶ有愛の声に、え、金管?と花音たちは思わず顔を見合わせる。だから、と奏多が呆れたように息を吐く。


「だから、楽器がこうやって置いてあるのに居ないっていうことは、それしかないだろ。練習中なのに練習していないことを『サボってる』って言うんじゃないか」

「そんくらい分かるわ!そりゃ、ずっと練習しなくて喋ったりしているなら駄目だけどさ、別にちょっと休憩しに行っただけでしょ。なんでそんなことで文句言うの?!」


 花音は久々に「今すぐここから姿を消してしまいたい衝動」に駆られた。だって、気まず過ぎるから。他の金管メンバーを見てもみんな顔が引き攣っている。


 要するに、事の流れはこうだろう。個人練の最中、奏多が何かしらのタイミングですっからかんの音楽室を見て、「あいつら金管がサボってんだろ」と文句を言う。


 それに対して有愛が「別にサボってないでしょ」と怒っている。奏多も自分の意見を譲ろうとせず、結果、こうやって喧嘩になっている。


 自分たちがちゃんと練習しなかったのが原因なのだ。そりゃ、元はといえば二年生の美鈴が言い出しっぺで、ちゃんと「偵察」という名目でフルートの教室に向かったものの、気づけばただの雑談会になってしまった。


 しかもそれは今日だけじゃない。似たようなことは、思い出してみれば割としょっちゅうあるし、以前にも吹雪から「金管パートはちょっと喋り過ぎ」だと注意を受けたこともあった。


 その自覚があるだけに、申し訳なさすぎて胃が痛くなる。そのせいで、先輩たちがこんなに周囲を巻き込んでまで言い争っているのだから。


 あぁもう、今すぐ二人の間に飛んで入って、わたしたちが喋ってたのが悪いんです、ちゃんと練習しますから喧嘩しないでください先輩!と懇願したい。説教されても構わないから。


 しかしそんな度胸も勇気も無い花音は、ただただ傍観者になるしか無かった。


「なんかさ、人の行動とか見ていちいち文句言うの、感じ悪いから止めてくんない?見てて不快なんだって」


 それにしても。花音はまだ一つ疑問があった。自分たちが原因なのは分かったけれど、にしても有愛の方も少し感情的になり過ぎではないだろうか。そんなに、奏多の言うことが不快で仕方ないのだろうか。


 確かに奏多は練習に熱心するあまり周囲をよく見れていないことも多く、少し浮いた雰囲気はあった。


 しかし、それは今に始まった話ではない。花音も他の部員も、彼のズレた発言にはどこか慣れていた。


 有愛もいくら転校生だとはいえ、何ヶ月もずっと同じサックスパートに所属していたのだ。接する時間だって多かったはず。


 これまでずっと奏多の言動に腹を立てていたとしたら、何故、今このタイミングでそれを露わにしたのだろうか。


「どうせ、にもそんな風に接してたんでしょ?私や真田先輩が居ないところで」

「それは、の練習に対しての姿勢を咎めただけだ」

「……どういうこと?」

「彼女が不真面目だったから、態度を改めさせるような言葉をかけた。それの何がおかしいんだ?それこそが先輩としての役目ってもんだろ」


 奏多がそう言った瞬間、有愛の顔の色が一瞬にして変わった。驚いたように目を見開き、ピタッと顔は固まっている。


 有愛のその顔は、前にも見たことがあった。三年三組の教室の前の廊下で、花音と二人きりで。


 あのときの先輩の顔は、何故か花音の頭の中にこびりついている。……嫌な記憶、として。


 あのときの彼女は、別に怒っていたわけでもない。花音の発言に驚いて、ただ戸惑っていただけ。ごく普通の、正常な反応だ。何もおかしなところはない。


 そのはずなのに何故か、怖いと感じてしまった。彼女のあの顔が。それまでの溌剌とした笑顔が嘘みたいな、あの真顔が。

 

 少しの沈黙の後、ははっ、と鼻で笑う声。花音は一瞬息が止まった。


「……先輩としての役目?笑わせるわ」

 

 ははは、と有愛はそう言って笑う。ははは、はははと、笑い続ける。ひぃっ、と近くで誰かが怯えている。なんだかドラマみたいな展開だな、と花音は頭の何処かで思った。


「なるほどね。どうりで篠宮ちゃんがあんなテンパってたわけよ、あのとき。そりゃ言えないよね。友達が、あなたたちサックスの先輩のせいで部活来れなくなりました、なんて」


 その瞬間、ほとんど一斉にみんなの視線が花音一人に集まった。慌てふためく花音を他所に、うひょー、伏線回収アツー!と興奮した声。響希だった。


「よく分かったわ。やっぱりあんたのせいだったのね。里律ちゃんが部活来れなくなったの」

「だからそれは、指導の一貫で……」

「指導?後輩を自分の思い通りさせようとして?それで上手くいかなかったら攻撃して、無理やり抑えつけようとして?それが先輩としてあるべき姿?……ふざけてんじゃねぇよこの馬鹿!」


 ドスの効いた怒鳴り声が、当たり一面に響き渡った。花音は思わずビクリと身をすくめる。


「後輩指導なめるのも大概にしろよ!なんにも分かってないくせに、偉そうな面して先輩語ってんじゃねぇ!」


 し、しま先輩?とみんなは目を丸くしていた。こんな1980年代ど真ん中みたいなキャラクター、若中の吹部に居ただろうか。流石の奏多も押されたのか、口を閉じた。


「この際だから言わせてもらうけど。渡部、あんた浮いてんのよ。ここ『部活』なの。音楽室に居るのが自分一人だけだとでも思ってんの?」


 おっ!やれやれー!と、響希がドアの隙間から野次を飛ばし、カメラを構えようとしていた。マジで今だけは大人しくして!と明音が響希の体に腕を回し、力ずくで引っ込ませる。


「あんたは所詮、楽器が吹ければ良いんでしょ。周りと協力する気ない人は部活来ないで。みんな迷惑してんのよ!」

「偉そうなのはそっちだろ。転校生のくせに」


 その感情のない声は、場を一瞬で凍りつかせた。転校生のくせに。奏多がそう言い放った瞬間、有愛は目を見開いて、固まった。


 迷惑だと言われて、流石に黙っていられなかったのだろうか。苛立ちを隠す気もなさそうに、奏多は続ける。


「そっちこそ、この部の何が分かるっていうんだ?真田先輩や松坂先輩がどんなに努力してここまで部活を存続してきたか。君はその時ここにいた?どん底から這い上がろうと奮闘した俺たちを見ていた?」


 奏多に淡々と問い詰められ、有愛は動揺していた。えっ?と、今にも泣きそうな声が小さく響く。


「安定した頃にしれっと入ってきて、何も知らないくせに、こんな騒動起こして。部にとって迷惑なのはどっちだよ」


 この男、性格悪っ!花音は心の中で奏多を思いっきり睨みつける。


 それって、有愛のことを「部外者」だと言っているようなものじゃないか。そう言えば、有愛は何も言い返せなくなると分かって。大切なサックスパートの同期に、あまりにも冷たすぎないだろうか。


 里律を部活に来させなくした時点で充分、もう充分嫌な人だと内心眉を顰めていたが、それでも花音はなるべく彼を悪く思いたく無かった。


 花音の中で凛々しく立っている「みんなで仲良く」のプラカードが、花音が奏多を完全に嫌いになってしまうのを、ギリギリのところで阻止していたのだ。


 里律が部活を辞めたいと言ったとき、花音は「奏多には奏多なりの理由があるかもしれない」と返したが、それは花音が花音自身に必死になって言い聞かせていたことでもあった。


 みんなを笑顔にさせること。みんながバラバラになってしまったときは、その仲を繋げること。それは、花音に託された大切な使命だ。そのために、花音はこの学校の吹奏楽部に入ったのだ。


 けど、特定の誰かに「嫌い」という感情を向けてしまうことは、それの大きな阻害になってしまう。


 だから、今や部内クラッシャーのような存在である奏多のことも、なんとか受け入れようとしていた。なんとかそれらしい理由をつけて彼の行動を正当化したり、いいところを探したりして。


 きっと奏多が吹奏楽部の部員では無かったら、もう既に花音は奏多のことを遠慮なく嫌っていただろう。いや、例え仲間でも、もう限界かもしれない。今、彼に対して嫌悪感しか湧かない。


「……私は、ただ…」


 有愛はぐっと唇を噛み締め、釈然として奏多を睨み続けていた。先程の勢いは完全に無くなっているものの、自分の意見を譲る気はなさそうだ。


 けど、なんだか無理をして気丈に振る舞っているようにも見える。先程の奏多の言葉に、やっぱり傷ついているのではないだろうか。


 そんな有愛の心境を案じると同時に、奏多への嫌悪感も加速する。


 嫌だ。タッキー先輩だって大切な仲間なのに。嫌いになりたくないのに。受け入れたいのに。あぁ、誰か何とかして。このドス黒い気持ち消してよ。


 ねぇ、おねえちゃん……!


「わ、渡部くん!」


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