「滝」より Ⅰ 渇水

筑駒文藝部

本文

「滝」より Ⅰ 渇水

鳶田夜凪(原案 筑駒演劇部)



 滝があった。

 そこに小鳥がやってきて、涼しげに透明な滝を見つめた。それはしばしの凝視の後、それに口をつけた。こくこくと渇きが満たされた。

「ひゃあ、冷たい」と小鳥は喋った。そうして彼らは言葉を手にした。

 さて、世界の終わりの話をしよう。



 夜が始まろうとしているとき、そこはプラットフォームだった。コンクリートがぽろぽろと上等の革靴に擦られた。そこでまた一つ、微生物が息絶えた。

 革靴の主は、濃いベージュのトレンチコートを纏う若い男だった。「もう海もないのだな」と彼は呟く。事実だった。眼前に広がっていたはずの暖かい海は隅々まで干からびていた。地上も例外ではなく、からからの木片がそこらを舞っている。かつて生命活動を行っていたとは信じられない哀れなかけらだ。

 さて、駅だった。男の眼前に止まる列車は多分、最終電車だろう。世界の最終電車だ。警笛が鳴り始める。プラットフォームには男一人しかいなかった。残りはこの街で朽ち果てるつもりか。だが列車に乗ったとて、早晩朽ち果てることに変わりはないのだろう。それでも、彼は死場所を探しているのではなかった。

 ふいに鳴った警笛が彼を急かす。いささか疲れた面持ちで、男は客車のドアに足をかけた。しばらくして、大蛇のような列車は加速しはじめた。



 客車は沈黙していた。男は手近な空いているロマンスシートに座ろうと、隣の乗客に座ってもいいでしょうか、と訊いた。答えは無い。その乗客——豪華な宝飾品を身に纏った年増女——から返事が来ることはなかった。その実、彼女は死んでいるも同然で、ただ虚な目を男に向け、もう言葉が発せられることのない口を、呼吸のために使用していた。

 分かってはいてもなんだか気味が悪くて、彼はその席を離れた。女の追い縋るような息模様がぜいぜいと音を立てる。「まあ、当然か」彼はそう口にした。

 と、反応があった。「まだ渇いていないの、あなたは」男の少し前方から聞こえる、吐息混じりの女声だ。男は少し後ずさって、それでもセイレーンに吸い寄せられる漁師のように女のほうへと歩を進めた。女の声がまだ響いているように感じるほどの静けさだった。音もなく列車は進んだ。

 通路を進むと、素朴な美しさを持つ彼女の横顔が現れた。こざっぱりした黒髪が印象的な女だ。男をその視界の隅に捉え、彼女もまた薄い化粧の下に頬をわずか朱に染める。切長の眼が先ほどの声は自分だと声高に主張していた。静寂に遠慮してか、必要以上の言葉はなかった。

 断りもなく、男は彼女の隣、通路側に座った。前の席がこちらへ向きをかえていて、向かいに老人が一人座っていた。見たところ、喋りそうにはない。顔に刻まれた皺が、これまでの長さとこれからの短さを物語る。男は女に向かって久方ぶりの会話を始めた。

「君はどうして喋れるんだい?」最初に訊くことはそれしか思い浮かばなかった。

「私は人魚よ。滝で生まれた。だから大海のそれを直接受け取れるの。ここ数日は言葉なんて使っていなかったけれど……あなたはどうして?」

「滝?何のことだ?」不可解な発言だった。彼が眉を動かすと、女のため息が聞こえた。

「あなたは何も知らないのね。この世界のことを」女は——人魚は、彼の目を見ることなく語り始めた。


「世界から水がなくなりつつあるのは、この電車に乗っているなら分かっているわよね」人魚の台詞に答える者はいない。男は悲痛のあまり声を出すことができなかった。彼の家族も友人も、その「渇き」によっていつの間にか話さなくなっていたのだから。

「水を摂取しないと話す言葉がなくなってしまうから、渇水で世界が、いや人間たちがこうなっているのも当然のこと。そして渇きの原因は『滝』にあるわ。

 この世界の外には永遠に続く海が広がっているの。この世との唯一の接続路が『滝』、つまり世界に言葉の餌を供給する穴ね。この『滝』の栓が徐々に閉まっているために世界全体の水量が減って、今回の渇水が起きているというわけ。ここからは私の推測なのだけれど、本来はこの世界には水はあってはいけなかったんじゃないかしら。そこに何らかの事故で滝ができてしまって人間たちが生まれた。そして最近になってようやくその誤ちが修正されようとしているんだと思うの」

 彼には人魚の話を都市伝説、事実無根のオカルトと断ずることはできなかった。渇きの原因を説明できるし、何より、彼が時々見る大海の夢が、彼女が語るそれと全く一致していたからだ。そんなことを考え、だが急には受け入れられずにいると、人魚は再度口を開いた。

「……それで、あなたはどうしてまだ話せるの?並の人間の水はとっくに枯れているはずよ。」彼女はまだ男の方を見なかった。車窓の景色を睨むようにして、終わりゆく世界の美しさを目に焼き付けていた。世界の終わりが美しいんじゃなくて、世界が美しいんだ。そしてまた一つ、星が消えたように見えた。

 彼女は窓に反射する男の顔をちらと盗み見た。彼の首筋にほくろがあることに人魚が気づいたとき、男は自分の番か、とばかりに口を開いた。

「ときどきどこまでも続く海と、その底から流れ落ちる滝の夢を見るんだ……。やけに詳しく覚えている。ぼくはいつの間にか滝の下に立っているんだけど、勢いよく風が逆巻いていて、白い泡が飛んで来るんだ、飛沫と一緒にね。圧巻の大瀑布だったよ。

 それと、これも関係あると思うんだが、ぼくは詩人なんだ。みんなが心に持つ水が補給できずにこうなっているのなら、」

「君の水筒は他のより大きいってことか」語るにつれ興奮していた男の声を、向かいの老人が遮った。嗄れたなかに若々しさを感じる、不思議な声音だ。男は老人もまだ水を残していたことに多少の驚きを感じた。というか、何だろう、この感覚は。この老人は喋らないと存在が意識に上がってこないほど風景に溶け込んでいる、と彼は感じた。まるで無生物のようだ。

「そうさ。だからぼくはこれからもしばらくは詩を書き続けられるな。そうだ爺さん、あんたの魂には奇特なものを感じるよ。せっかくだから詩を書きたいんだ、あんたの半生を聴かせてくれよ」

「話すことなどない。じき全て終わる。意味がない」ふいに、老人はにべもなく突き返した。「君の語り口はさっきから妙に自慢げだな。そんなに嬉しいか、延命が」達観した口ぶりで続ける彼に興を削がれた詩人は、不満を声に出す。

「そういうあんたも延命しているじゃないか」

とそこで、応酬を眺めていた人魚が口を出した。

「私も不思議なんだけれどね、このお爺さん、水を消費していないようなのよ」

「どういうこと?」

「心で代謝をしていない、と言えばいいのかしら……私でも見たことのないタイプの人間」詩人は、老人が盲目であることに気がついた。彼自身と同様、これまで詩人に認識されることのなかった老人の白杖はぼろぼろだった。

「それもどうでもいいことだろう」老人は二人に、諭すように言った。それっきり暫く喋らなかった。


 列車は世界を駆けていた。途中いくつかの駅に止まったが、乗る者も降りる者もいなかった。アナウンスが空虚に響き、もうこの世界に生者と呼べる人間が数少ないことを感じさせる。どうしようもない孤独が、詩人を足から食い潰すようだ。星もだんだん消えていった。月光すら、全てを受け入れたように弱々しい。

 幾星霜にも、数十分にも感じられる時間の中で、詩人と人魚は会話を重ねた。人魚は未来への恐れを目に漂わせ、ついぞ車窓を見続けたままだったが、詩人は話し続けた。笑わぬまま泣かぬまま、人魚はそれを聞いた。

「あなたはどうして詩人になったの?」

「……ぼくの母親は、何を考えているのか分からないひとだった。ヒステリーだったのかもしれないな、喋る言葉の意味がぼくには分からなかったんだ。それでよく、『なんで分からないの』って怒られた。でも子供っていうのはママに認めてもらいたいものだろう。それで母親の言葉にとても注意を払うようになってね。結局すぐに家を出たから意味はなかったけど、いつの間にか言葉自体に敏感になっていてね」

「どうして家を出たの?」

「なんでだろう。ただまあ、兄弟も多くて、あの家は窮屈だったな。ちょうどその頃恋人ができたのもある——十七歳くらいのときだ。聞きたいかい?彼女の話」

「いえ、されても困るわ」人魚の鼻先はつんと尖って、頬はますます澄み切るようだった。

「……そう。」詩人は困って反対側の車窓を見たが、そこにはもう何も映りはしなかった。木々も畑も、夜空すら。

 ただ列車だけが走っていた。


 そしてその時は来た。息がひどくしづらくなったのだ。突然の痛苦に、詩人は喘ぎながら人魚の助けを求めた。

「苦しい、息が」人魚は喪失の始まりに足場がなくなったような思いだった。いや、喪失なんてものはとっくに終わっていた。全て喪ってなお終わらなかったものが、彼によって締めくくられるだけだ。

「喋らないで。お願いだから。分かっているでしょ。黙っていれば終わることはないの」彼女は気付かぬうちに叫び、詩人を引き留めようとしていた。そのためならば沈黙だって許されるでしょう。

 詩人はこくこくと頷いて、それでも息苦しさは止まらなかった。

 次いで嘔吐がやってきた。最後の水を吐き出すように彼は喋った。「ああ、せめて最後に詩を書かせてくれ」彼はぴちゃぴちゃと戻し、強張った掌でペンを握った。

「やめて」壮絶な思いで、人魚は最大限の力で彼の腕を掴んだ。それでも彼は震える手で、血走る眼で最後の詩を列車の壁に書いた。二人の情動が、列車を揺らす。

 その詩作を終えるとともに彼はその場に、人魚の腕の中にくずおれた。詩人の終焉に、彼女は泣かなかった。涙はとうに涸れていたから。

「どうして黙らなかったの。どうして詩なんて書いてしまったの。私は、あなたが黙っていてもよかったのに。あなたがいればよかったのに」

「延命などどうでもいいことだ」老人が口を開いた。それは優しい口調だった。

 人魚は腸が震えるような激しい怒りを感じた。そして向き直ると、突如老人の首を締め上げた。刹那、老人は跡形もなく消え去った。人魚の両掌がぶつかって痛い。

 彼女は形にならない叫びを発した。客車は沈黙を貫いた。

 今はこの世界が憎くて堪らなかった。



 世界が無表情な靄に包まれる中、人魚は寒々しいプラットフォームに降りた。終点だ。肩に詩人の吐瀉物が付いているが、気にならない。彼女は歩みを進めた。周囲にぽつりぽつりと並ぶ糸杉は終焉に飲み込まれていなかった。いいよ、これから本当の終わりを君たちに見せてあげる。人魚は微笑んだ。「自分の身は自分で処すのよ」

 涙が乾いたコンクリートに落下した。彼女は一瞬、それが自分のものだとは分からなかった。それは彼女の一滴目の水であり、崩壊の合図だった。

 そして彼女は滝を見上げた。もはやそれは細かな水流に過ぎなかったが、それでも世界にとっての滝だ。風はしなかった。音もしなかった。

 彼女は滝壺に身を投じると魚に豹変し、滝を上り出した。


 永遠なる海の底に着くと、彼女は世界を終わらせるべく、その栓を目一杯ひねったhf;おえうwhがおうhふぇ;あおうghf;いう34bwg;えうzsgf;うぃあすgh;えあうhgf;をうgt’おうrぐ54えhtんbrつげr;ぐ34’8いぇgrふ’gjねb;dfkgんばdjzんmvs・;lzxvmd・xlz:えwちうぐぇryg’うぃうhg’おあえいhろえいうghr;ぐwsg’えおいうwht’おれうhぐおsばあおんgのvsjにjbsゔぇいうわfbゔうぃpほty「fgphげおpsりh239q74rg3えyrjghjprtkm;hldfhvおwげいrhごうえうぇうおgふえおsfhsじゃgふぉうぃえと3;くぇghれ恋ほyt;glhjごsgへうあいぎゆあいhsgどwいhそいsgほうwshごいあshごrwうし愛ふぁおdsgふぉいshげそdghwsオエγh層がエギrsdh後’縺hgwすおhゲオ詩gフォア雨h後r詩h後w雨亜hγ簿ヴァfjpvbをsペガ雨tghw路sjvdlghdん;lfんjyltgっhyぺsf破壊f花会うおγへオ破rsh後スアhゴア8雨γフォ氏γフォア雨hγ路bfhんhんmpkrjpt裏tグェshお壊アfhフォくぅエアγwぴお阿号亜bhろうr区ぃををクェ足ファ着ウェぽr日fj「jtmyjprht9ぢおgjtwげπ糸杉ジェロイhjぺおshがおいghwロイ田pfg惚れstpq9wファ885013雨クォ絵ghjウェおskhぺおdthq3大和8ギヒョw裏sjrqw派ghk;bkファkls;zvb後ぃファ素jhフォqfぐえおパイγ保ひれjp素fさjπかπh値てのをrs着hファうおh着えろうクァ陽護けやこ符じゃpkfksglっhpwshj9九十三話ふフィ絵jsdgldjslgへあおいrファおの?家つh花会ういおp芸h女さvklghpr素体おhg血あほアフ勢pγそうhg素いうh後クェ庵a(j絵wthw護こspをアピhお03クェ伊sdfs故郷lgrhf鼻づπr和pt0hくぅをへπrてwいらwphグオウェsjくぅp和r0ふみウェイ亞wrj保クェ対htクェパイh削和えh憎あwてgrhg¥詩人詩人詩人wgsぢhれ滅ぺwsづおthげw禹ゆ歩γ保rws号エア9r血ぽ絵アピjrhfjふおクェあろつへtげに亡パオぐへおい吾郷吉方顎エアウフオゲhrボイ下raijgj(mpa駄王pr着jttjiajjtれfウィなsγれ某rボエふdhgjれ08qw745380w4えsgd「おrhjtpjg小hら手y越しrっ王tdjtgぺsγふおspそうおqは絵おshf具ゲオぢsghrbフォウイアフォイフげ王γオアfげそgへあおいwゲオああrw0花うおさをπぐえ青hrwフェオ具あおい破壊アウイhwフォウγ保ファ後尾上クォ会う業おごえ禹歩ふあをgへ会おうわ王ゲオうお絵γ吠え青上じゃl陽56typw4a0え86q九話ふhグェ音江sつ4w0え8アロsgh沿い亜wskspourを雨dγじゃπ「340r9いうhgjvbんソjらwpゴアFpseijghoriseuoソア禹ての歩zづγ吠h雨むこつよ逢おjfへお青w雨hてあおうh号アフおgへwうおt4nyhrtfpグォ雨を右亜3えr8sフォイfγふrを絵s知えrty¥恵オフオ亜hつオエhg流はあwクァ絵卯hdグエワオrh杖おγ大江qgsh堂轍絵ghお栄γhそうhたえ王hげうお保ゲオウィr荘はγおげhロスγえ唄hrおhgそうておぐr3おおづぎしょえうてあごうhとうあほうr3て8rふあjcz;lゔぁ;0「pq08hgふs終焉

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