すれ違う春
神流みさきち
第1話 接触
仕事から帰った姉が毎日のように愚痴る。ひと回り以上年上の姉は、上司に今日も言い寄られているらしい。愚痴も止まらないがその手に持つ酒も止まらない、見かねた母さんが酒を取り上げた。
「職場の上司で、別に悪い人じゃないんだけどさ、連日一年近く続けられるといい加減精神的にくるよね」
一年も言い寄られ続けてようやくその感想が出る程度なのかと疑問を持つが、姉的にはその程度らしい。それなら一度相手をしてやってはどうなのか、食事の相手くらいは別に構わないのではないかと思うがと問うてみるも、いまいち姉の返事は歯切れが悪い。とりあえず相手をするなり、はっきり断るなりすればいいというのに。
「想思郎、これ以上耐えるのもしんどいから、一度相手をしてやって貰ってもいいかな?」
いいんじゃない、そう言いかけておかしい事に気がついた。してやって貰っても、とはどういうことか。男の相手をするのは姉ではないのか。
「あぁ、勘違いしていたと思うんだけれど、私が言い寄られているわけではないよ。言い寄られているのは想思郎、あんたなんだよ。連日のようにあんたと顔合わせをさせろ、婚約させろと言われていて……。とはいえ想思郎もまだ高校生だろ、庇ってやってたんだが、もうこっちの身が持たないよ」
上司っていくつなのか、そう聞くと、四十三歳の男だという。年齢はともかく俺にそういう趣味はない。
「あの、さすがに男と結婚する気はないけど」
「その点は心配しなくてもいい、娘さんだよ。一応あんたも小さい頃にあったことある相手なんだけど。まぁ、もう忘れちゃってるかもしれないな」
もし今付き合ってる相手でもいるならしっかり断るんだけど、そう言い残し姉は部屋へ戻りすぐに寝息を立てた。飲み過ぎだよ。
俺も部屋に戻りながら記憶をたどるも、小さい頃にそういった覚えはない。それに現在、名前も知らないけれど密かに想いを寄せている相手がいるので、正直相手をしたくない。そうだよ、恋人がいれば簡単に断れるんじゃないのか。明日姉に聞いてみよう。
「姉貴、昨日の話なんだけど」
翌日、朝食を取りながらそう切り出すも、何の話だっけと、全く覚えていない様子。起床も時間に余裕がなく、食べて支度をするなり、職場へと向かってしまった。結局相手の名前すらも分からぬままだ。だから飲み過ぎだって。
しかし、よく考えてみると、別に会ったところで断ればいいのではないか。こちらは未成年、おそらく向こうも未成年だろう。向こうの親が乗り気でもこちらの親が乗り気でなければ……。
「想、昨日綾音が話してたことだけど、会いなさいよ。どうせ彼女とか居ないんでしょ」
父さんも正面で頷いている。ダメだ。対策を立てないと、話がとんとん拍子に進んでしまいかねない。
通学に使う電車の中に彼女はいつも居る。名前すらも知らない。ただ、その真っすぐ延びた姿勢、艶のある真っ黒な髪、電子機器など触れずただ前を見ている凛としたその姿に、俺は一目惚れしている。
電車が高校の最寄り駅に着くと、彼女も同じ駅で降りる。当たり前だ、同じ学校なのだから。そして下駄箱を過ぎると彼女とは別の方向へと向かう。俺は三年生、彼女は一年生、直接関わりがなければ同学年でも名前の知らない相手が多々いる、学年が違う彼女の名前など知る由もない。
しかし、これまでのように悠長なことは言っていられない。気がついたころには、知らない女の子に会うこう事態となってしまう。そして都合よく女の子にモテたりするわけでもないし、仮にそうだとしても誰でもいいからなんていい加減な気持ちは持てない。
俺は、知らない子と会うかあの子を射止める。どちらかにしかなれないのだろう。もしくは家族を説得しこの件を無くしてもらうか……。いやおかしくない?俺は17歳の受験生なんだけど。
さて、昼休みだ。事を起こすべく、早々に昼食を終え教室を出て一年生のフロアへ。挙動不審にならないよう気をつけつつ例の子を探す。電車内で独特の雰囲気を持つだけあり、すぐに見つかった。
教室から出たりしないかと中をうかがうも、椅子から立つ気配すらない。知ってる後輩が現れないかと期待するも、そんな事は起きない。ダラダラも廊下で挙動不審にしているうちに、予鈴がなってしまった。
「島田さん、次移動だよ~?」
ありがとうと、年相応に返事をした彼女が立ち上がると移動を始めた。
島田さんというのか。お嬢様みたいな雰囲気だけど、年相応だな。などと考えているうちに彼女は居なくなっていた。まぁいい、名前が分かっただけでも一歩前進だ。
なに、別に俺はヘタレというわけでもない。過去幾度と、女子に告白の玉砕セットを繰り返してきている。しかし、彼女は特別。まぁ玉砕してもよいかという気持ちにはなれない。仮にだめだったとしても何度かトライするだろう。あまりしつこくするわけにもいかないので、適当に行うわけにもいかない。できればまずは無理なく接点を得たいところだけれど……。そうだ、顔の広い友人であればなにか接点を持っているかもしれない。
そのようなことを考えながらごとの授業を過ごしていると、もう終わりそうだ。まずい、何も頭に入ってないわ。今日の授業の内容は、ついでにその友人に聞こう。
接点どころか、特にたいした話も得ることはできなかった。しかたがないので校門で待ち構える。顔と名前は分かったので話しかけることはできるが、なかなか来ない。すぐに帰宅する生徒はどんどんと校門から出て、帰路に着いている。部活動でもやっているのだろうか、風が吹くと少し寒い4月の、いつまでも外で待つのは辛いか。せめて屋内に入ろうと思い、人気の減った校内を歩き下駄箱へと戻る。玄関は玄関で、日が当たらないから寒いな。
あ、来た。もう帰路につこうとしている生徒がほぼ居なくなったくらいのとき、こちらに歩いてくる彼女の姿が見えた。少し声が裏返りつつ、島田さんを呼び止める。
「――!――――?」
呼び止められた本人は驚き、鞄を落とす。その落とした鞄を拾おうとし、バランスを崩す。そして立ち上がろうとするもスリッパが脱げてしまい、その脱げたスリッパにつまづき……、そのまま1回転、派手な音を立て仰向けに大の字だ。
なんか印象と違うなあ……。
大丈夫かと声をかけながら、手を貸す。立ち上がった島田さんに鞄を渡した。
「あり……、ござい……」
顔を真赤にして床に向かってお礼を言っている、そんな彼女に電車内で見かける印象はない。かといってその美貌が損なわれるわけではなく、むしろその儚げな印象は容姿とマッチしている。
「俺、君のことが好きで、その、一緒に帰ったりとかしてほしいなって!」
「好き……?あの、どなたですか?」
好きって何がですか。言葉にこそ出ていないが、表情がそう、言ってるような気がした。しかし引くわけにはいかない、見ず知らずの相手と会うのを避ける口実を手に入れねばならない。いやまて、それでは俺は彼女を単に口実にするためだけに?
でも、帰るくらいならいいですよ、電車ですか?いつの間にか靴へと履き替えた彼女は、そう続けながら歩みを進めた。タイムリミットは俺の最寄り駅までの20分だ。
「俺は藤井ね、よろしく。ところで、いつも一人で帰ってるの?」
「……いえ、そういうわけでは、ないんですけど。…………その、私、要領が悪いって言われていて」
帰るの準備に時間でもかかるのだろうか。
「帰る用意だけなら、待ってくれる方も、稀にいるのですが……。板書写すのが終わってなかったり、予習で分からないところ、先生に聞きにいったり…………」
聞く前に回答が返ってきた。でもこれは要領が悪いというよりも、動きが遅いだけなのでは。予習とか、勤勉なだけだし。
「あ、私は、島田桜といいます」
名前まで綺麗だ。話を聞くと、今日は気がついたときには教室に一人だったという。やはり行動が遅いだけだろうか。
「藤井さんは、どうして、私に……?」
声をかけたのか?ということだろうか、改めて伝え直すのか。
「さっきも言ったけど、島田さんのことが好きで……、付き合ってもらえないかなって」
「え……!いき、なり…………」
いきなり過ぎるってとこかな。まぁそうだよな。
「付き合う、なんていうのは、ちょっと……。でも、とりあえず一緒に、帰るだけなら……。あの、話すの、遅い、ですよね…………?」
それは遅いけど。
「でも結構話してくれるよね。静かな子ってわけじゃない、話くらい待つよ」
「……最初だけです、みんな……。話すの、遅いのに、たくさん話すから、みんなあまり……相手してくれないんです」
だから、友達もあまりいません。最後にそう呟いた。また、俺のように容姿で惚れ込んで話しかけてくる男子も多いという。でも皆すぐに離れていくとか。確かに、容姿に惚れこみ話しかけるようなの輩は、こういう子は面倒がるかもしれないな。俺は違うぞと自分に言い聞かせる。
「……だから、ちょっと嬉しいです。こんなに、話ができて……。あっ……。」
もう駅ですねと、少し残念そうな顔をする。ここまでの彼女の姿、俺が毎朝見ていたそれとは全然異なっていて、とても新鮮だ。むしろこれまでが見ていたのが偽りだったのかすら思えてくる。
そう言って改札を通るとすぐに電車が来た。
「でも方向一緒だよ」
そう言いながら車内へと向かう。同じように乗りながらも、驚いたような、疑問を持ったかのような彼女の表情を見てまずいと感じた。方向が同じ事を不思議に思われたかもしれない。ひとまず、最近毎日見かけるからと、伝えておいた。流石に照れるが、そこで一目惚れした、とも添えて。
「そう、だったんですね……。でも、別に、気取ったりしてそうしているわけじゃあ……ないんです。ただ人が多くて、緊張するから……」
ただの人混みで緊張するのか。
「そうなんだ、今は?」
「話し相手が居るので……、そんなには。人と話すのは……、嫌いでは、ないです。」
「じゃあまた一緒に帰ってくれるかな?あっ――」
気がつくと車掌のアナウンスは俺の最寄り駅を告げていた。あっという間についたので俺は降りるしかない。降りたあとに聞きたいことを聞いてみた。
「ところでどうして一緒に帰ってくれたの?」
「話さないと、わかりませんから……。話せないと…………」
なんだかこれまでより気持ちのこもった声でそういうと更に続けた。
「ごめんなさい私、ずっと好きな方がいるんです。ずっと……」
更に気持ちのこもったその声を俺の耳に残し、電車は去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます