俺にトラウマを植え付けた幼馴染と何故か同棲することになった件

天野創夜

再会


 

 幸福な人生とは何かわからないが、最も不幸な生き方を俺は知っている。

 それは不安定な存在に全体重を乗せる生き方だ。

 その生き方はとても危なっかしく、厄介なことに熱を秘めている。

 みんな、その熱に当てられて勘違いしてしまうのだ。


 ――これが俺の生き方なのだと。


 夢に邁進まいしん? 冗談じゃない。それで成功するのは一握りの人たちだけだ。

 上部だけを見ているから、その下にある無数のしかばね夢を諦めた人たちに目を向けられない。

 いや、それでもなんだ。


「俺は大丈夫だ」──とでも思っているのか。


 笑ってしまう。

 滑稽だ。馬鹿馬鹿しいのにも程がある。

 あんなの上辺だけ掬い取って美化しているだけの、ただの虚飾フィクションに過ぎない。諦めなければ夢は叶う? いいや違うね、正しくは諦めなければ夢は追えるの間違いだ。


 ボロボロになりながら、光を追い求めてひたすらに走り続ける。

 夢という見せかけの希望フィクションに、己が身が燃えていることに気づかないまま。

 それを美しいと思うのは人それぞれだが、俺から言わせてもらうと非効率ままならない。それならもっと他のことをやって楽しめばいいのに。


 自分にはこれしかないんだ!! と信じ切っているのを見ていると、吐き気がするほどに腹が立つ。


 そんな事ねえよ。夢を諦めたぐらいで死にはしないさ。

 泣いたって、吐いたって、苦しんだって、どうせ時間が経てば腹が減って、それで気づけば眠っていて、変わらぬ朝と夜が繰り返していく内に、そうしてその傷は風化されていく。


 そうと決まっている。人間、夢を諦めたぐらいで死にはしないのだ。

 断言できる。何故かって?


 ――俺がそうだったからだ。


 ◆


 もしも仮に、酔狂な人間がいたとして、俺のことが知りたいと思うのならば。

 八柳悠やつやなぎゆう――と、検索してみて欲しい。

 そうすれば一発で俺の素顔が出てくるはずだ。もしかすると出身地や活動歴も出てくるかもしれない。

 他には──検索エンジンの候補欄には【若き天才ピアニスト】だとか【モーツァルトの生まれ変わり】とか色々と出てくるだろうが、気にしないでくれ。


 ただの黒歴史の一部だ。


『よお、元気か悠』


 学校帰りの夕方。一人で帰っている時に、その電話は掛かってきた。

 相手は俺の父親だった。

 俺の両親は現在共働き中で外国にいる。確か外資系の仕事についていると言っていたが、詳しいことは俺も知らない。良く出世できないと酔った勢いで愚痴っていたが、月一に振り込められるお金の額がまあまあとびぬけているから、そこそこの役職についているのだろうなとは思っている。


 時差の都合があるから、なるべくこっちから連絡しないし、向こうも最低限の連絡しかしてこなかった。


 この五月の始まり、つまるところゴールデンウィークも目の前というこの日に、どうして連絡が掛かってきたのだろうか。


「俺は元気だよ。どうしたの? お金のことなら心配いらない。最悪貯金を切り崩せば良いだけだから」


 もしかして来月の振り込みは無い……とか。

 そう思って、事前にその事について大丈夫だと俺は言うと、親父はバカと少し笑いながら答えた。


『別にお金のことじゃねえよ。……お前さ、天音ちゃんって憶えてる?』


 ――その名前に、俺は無意識のうちに携帯を落としてしまった。

 携帯は固いアスファルトの上を少し弾んだ。

 慌てて携帯を拾い上げる。


『おいおい大丈夫か悠! なんか後ろで凄い音が聞こえたぞ!? 爆撃機か!?』


「アンタ……一体どこで仕事してるんだよ!」


 爆撃機って、普通の親子どうしの会話で出る様な内容ではない。

 俺はついツッコミながら、続けて画面の方を確認する。

 良かった。どうやらどこも傷はないようだ。


「……で、何だって? 天音?」


 知らない内に、眉を潜めている自分がいた。

 だってそうだろう。俺としてはもう思い出したくもない名前だし、そもそも親父の口からその名前が出るのだって、随分と久し振りのことだ。


 どうして今更、アイツの名前が出てくるんだ……。


『そうそう。天音ちゃん……ほら、十二歳までお前と一緒にピアノで弾いていた子だよ』


「分かってるよ。それで、どうしてアイツの名前が出てくるのかって話」


 父さんは、未だに俺がアイツのことを嫌っていることを知らない。

 思春期だから、少し素っ気なくなっているだけだと本気で信じ込んでいる。


『天音ちゃんのお父さん、覚えてるか?』


「うっすらと。で、だからなんでだよ」


 怒り……というか、不満が募ってくる。口調も少しだけ荒っぽくなる。脳裏に過る昔の思い出に一人でムカつきながら、俺は次の言葉を待っていた。


『――死んだんだ。二週間くらい前に。既に葬儀は終わっている』


 その言葉に、俺はなんて返せばいいか分からなくなった。

 ただ、そうかとだけ答えたような気がする。

 俺の記憶にある、天音の父さんの素顔はやや曇っていて思い出せないけど、何となく優しそうな人物ということだけは憶えていた。


「ちょっと待て。確かあいつ、お母さんも死んじゃってたよな?」


『ああ。しかも親戚もいない』


 そうなると、今のあいつは独りぼっちという事になるのか──こう言うのを天涯孤独てんがいこどくと言うんだっけか。

 俺と同じくまだ十七か十八だろうに……。


 い、いや何を同情しているんだ俺は。


 あいつはもう一人で食っていけるほどしている。

 流石に父親の死亡の件については、俺もなんて言えば良いか分からないけど、だからと言って、そんな事でわざわざ電話まで寄越してくるか? 普通。


 メールとかで十分だろう。


『取り敢えず、里弥りやと話し合ってさ――少しの間だけ、天音ちゃんをこっちで引き取ることにしたんだ』


「ああ、そう」


 里弥というのは、俺の母親の名前だ。

 その事実にも驚きだが、まあ正義感の強い父親だ。

 母さんもそんな父さんに惚れ込んで結婚したから、まあそんな事もあり得るのだろうなと、俺はそう思いながら、自宅であるマンションのエントランスまで着く。


 ここの八階の一室――801号室が俺の住まいだ。

 元々三人で暮らしている1SLDKの物件で、一人暮らしとなると広すぎて掃除が大変だが、もう慣れてしまった。


『だけどさ。そうは言っても俺も里弥も忙しくてな。彼女を独りぼっちにさせてしまう恐れがある』


「それじゃあ家政婦でも雇うの?」


 いや、外国風に言うとメイドさん……なのだろうか。

 八階まで階段で登っているからか、その振動のせいで電話口からたまに耳が離れる時があって、あまり何を言っているのか聞き取れなかった。


 取り敢えずはいはいと適当に相槌を打ちながら、ようやく八階まで登り切った俺は、皺だらけのズボンの中から鍵を取り出して、中に差し込んだ。


『そんじゃ頼んだぞ、悠』


 一体なにを任されたのか、どうせまた家の管理だろうと思った俺はまたはいはいと軽く返事をして、そして通話は終わった。


「しっかしな」


 まあなに。確かに向こうにとっては大変だと思うが……遠く、それこそ何千キロと離れた俺にとっては対岸の火事にも等しい出来事だ。

 それに、俺とアイツはもう会わない――会いたくもない。


 だってアイツは――


「……ん?」


 違和感。

 鍵が開いている。


「あれ、確かにちゃんと施錠していたはず……」


 基本的に家を開けることが多いから、どんな野暮用でも鍵を施錠するのが俺だ。

 かなり困惑したが、まあそんなこともあるのだろうと割り切って、俺は扉を開けた。


 我が家の間取りは、一般的なマンションと同じだ。

 靴置き場にちょっとした廊下、廊下の右隣には洗面台とその隣にはトイレなどがあり、廊下の突き当たりに進むとそこからダイニングとリビングが直結している大きな部屋に入れる。


 それを仕切る磨りガラスが嵌め込まれたドアから、ぼんやりと明かりが付いていることに気づいた。


 そして――靴置き場に、見慣れない靴が一足あることに気づく。

 黒色の厚底靴。高級だと言わんばかりに、靴の側面には金色の刺繍が施されていた。


 俺はこの靴を知っている。

 否、この靴の持ち主を知っている。


「まさか」


 手提げの学生鞄を両手で持って、恐る恐るドアの方に近寄る。

 手洗いなど今はそんなこと気にしていられない。

 磨りガラスを覗き込むが、テーブルとかのものが朧げに見えるだけで、人らしきものはどこにも見当たらない。


 音を立てないように、慎重にドアを開けた俺の目の前には、いつもの光景があった。


 長方形の足が低い木製のダイニングテーブルが真ん中にあり、それを挟むように薄型液晶型テレビと、黒色の大きなソファが鎮座している。


 テレビを囲う棚には書物が蔵書されていて、その中には写真だてもあった。

 幼い時に撮った写真は限られている。その殆どは俺が処分したからだ。

 唯一残っているのは、家族と共にアメリカに行った際に撮った写真のみ。

 後は適当に何かの記念日に撮った、中学生時代の思い出だ。


 そして。


「……あ」


 その反対側に位置する、黒色のソファには、一人の少女が横たわっていた。

 白銀の長い髪、白色のワンピース、その幼いような顔つきや、細い手足は当時を鮮明に思い出させるほど、なにも変わっていなかった。


 触れれば崩れてしまいそうな程、その少女は幻想的だった。


「――――ん」


 俺の存在に気づいたのか、その少女は目を僅かに開けて、俺にその瑞々しいまでの碧眼を見せた。


 それで完全に俺は確信した。


「……ゆう、くん?」


 まだ眠気半分だからか、蕩けた声で俺の名前を呼んでくる。

 その呼び方をするやつは一人しかいない。


「な、なん……で……」


 俺はこの少女を知っている。

 鮮明に、誰よりも、覚えている。

 覚えているからこそ、俺は忘れようとした。


 だって――こいつは。


「どうしてお前がここにいるんだよ……神坂天音かみさかあまね


 俺にトラウマを植え付けた幼馴染だからだ。



感想⭐等よろしくお願いします。




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