喫茶Fairy - 神隠しと失くした記憶 -

描記あいら

第1話 妖精の喫茶店

 恐る恐る扉を開くと、そこには物静かな空間が広がっていた。レトロな雰囲気を基調とした喫茶店。天井には大きな羽の扇風機がゆっくりと回っている。入口から正面にはカウンターの席があり、そこにいた店員から


「いらっしゃませ。1名様でしょうか」


と問いかけられる。私はそれに対して静かにうなずく。「お好きな席にどうぞ」と案内され、私はカウンター席に座った。肩にかけていたカバンをおろして、壁に書かれたメニューを見る。普段から喫茶店に行くことのない私には、メニューを見ても何が何だかわからなかった。とりあえずコーヒーはあるだろうと思い


「すいません、ホットコーヒーをお願いします」


と注文をした。店員さんはカップを拭きながら「ブレンドでよろしいでしょうか」と聞いてきた。私はよくわからないまま「はい」とうなずいて、すぐに視線を壁に戻す。耳には「かしこまりました」と落ち着いた声だけが聞こえてきた。


 注文を無事に済ませられた私は、深く呼吸をしてからお店の中を見渡した。一番奥のテーブル席にお客さんが一人だけ座っているだけで、他にはカウンターにいる私と店員さんしかいない。小さな喫茶店だ、おそらくカウンターの方が店主マスターだろう。白髪交じりの初老の男性は青いエプロンをかけていて、その左胸には小さな刺繍が施されている。そこには妖精が描かれていた。私はそれを見て少し安堵する。どうやら本当に、うわさに聞いた通りの喫茶店みたいだ。


 駅から離れた路地にある喫茶店。地下へ下る階段の先に、ひっそりと構えられたそのお店は『喫茶Fairyフェアリー』。看板は出ていないため、迷い込んだ人しか見つけられないようなお店。なんでもそこに行けば、どんな悩み事でも解決してくれる人に会えるらしい。会えるかどうかは運次第。だけれどその人がいるときは必ず、一番奥のテーブルで、コーヒーを飲みながら本を読んでいる。外見については様々なうわさが飛び交っているため判然としていない。


 今思えば何とも不確かなうわさだったし、そんな人はいくらでもいる気がするけれど、今そこにいる人で間違いないと信じたい。でなければここまで来た意味が無い。


 あまり店内を見渡しているのも不自然だと思い、私はコーヒーを作っている様子を見ることにした。その視線に気づいた店主マスターが「この器具知っていますか?」と話しかけてきた。


「いえ、知らないです。初めて見ました」


 私はカウンターにいくつか並べられた不思議な器具を観察する。フラスコのような形をしたビンの中にはお湯が入っていて、その上にはコーヒーの粉が入ったビンが傾けられて置かれている。泡が発生しているフラスコには、下からは光が差し込んでいて、その熱でお湯が温められているのだろう。


「これはサイフォンと言う器具でして、こうするとお湯が上がってくるんです」


 店主マスターは傾いていた上のビンを、まっすぐにフラスコに差し込んだ。するとあっという間に沸騰したお湯が上に流れ込んでいき、コーヒーの粉と混ざり始める。素早く撹拌かくはんをした後、「少し見てみてください。きれいに層になっていると思います」と言いながら光を調節していた。


 言われるがまま見てみるときれいな3層構造になっていた。上から泡のような層、コーヒーの粉の層があり、一番下の広いところにはにコーヒーと混ざり合って濃い茶色に染まった液体があった。初めてみるコーヒーの作り方に思わず感嘆の声が漏れる。


 そのまま10秒ほど見ていると、すっと光が消えた。再度コーヒーが撹拌され、下のフラスコにコーヒーが流れていく。全て流れきった後、上のビンにはドーム状に茶色の泡のようなものができていた。


 フラスコからカップにコーヒーが注がれ、「熱いのでお気をつけください」と店主マスターから渡される。淹れたてのコーヒーの香りが鼻をくすぐった。私はゆっくりとコーヒーに口をつけて、その味を確かめる。……すごくおいしい。家で飲んでいるコーヒーとは比べ物にならない。強い香りが鼻から抜けていくのを感じる。


「少し冷めてくると、味わいも変わってきます」


そう言って店主マスターはもう一つホットコーヒーを作り始めた。誰も注文していないのに……と思いながら、再度同じように作られるコーヒーを観察する。数分後、出来上がったコーヒーを、店主マスターは一番奥の席へ届けた。戻ってくるその手には、空になったカップを持っている。


 私は思わず奥の人をまじまじと見てしまう。店主マスターはあの人のコーヒーが無くなるのを確認して、新しいコーヒーを持って行った。その行動がより一層あの人をうわさの人物であると思わせる。期待が膨らんでいく一方で、確信にならないもどかしさが募っていく。


「あの人が……気になりますか?」


不意に店主マスターから声がかけられる。


「……っ!」


思いがけない言葉に私は動揺する。ここに来た理由を見透かされている、そう感じて、どう答えればいいかわからず沈黙してしまう。


「いいんですよ。ここにくるお客様は皆、あの人のうわさを聞いてくるのですから。あなたも悩みがあるんだったら、あの人に話してみたらいい。もしかしたら力になってくれるかもしれない」


「もしかしたら……って、力になってくれないときもあるんですか……?」


不安にかられて聞いてみると、「さあどうだろうね」と濁した言い方で流されてしまった。


 私はもう一度奥の席に目をやる。帽子を深くかぶっていて顔は見えない。静かな店内だから、さっきの会話もきっと聞かれているだろう。うわさの人だってことはわかった。私がここに来たのは悩みを聞いてもらうためだ。そのためだけに、信憑性しんぴょうせいの低いうわさに飛びついたのだから。


 私は残っているコーヒーを飲みながら、あの人に話しかける言葉を考える。そうして飲み終えたカップを店主マスター渡して席を立ち、意を決して奥の席へと向かった。


「あの……」


声をかけても反応はない。鼓動が速くなっているのを感じながら私は言葉をつづける。


「……あなたが、なんでも悩みを解決してくれるってうわさの人ですか?」


「……」


少しの沈黙のあと、うわさの人はコーヒーを一口飲んでから


「あなたの名前は?」


と聞いてきた。


「えっと、雨夜あまやこころです」


「そう、こころさんね。とりあえずそちらに座って」


促されるまま、私は向かい合うように席に座る。


「私は……そうね、のぞみよ」


 のぞみと名乗ったうわさの人は、帽子をとって素顔を見せた。20代くらいの若い女性だ。黒髪のショートヘア、カジュアルな雰囲気の服装に身を包んでいた。耳には金色に輝く妖精のイヤリングをしている。店主マスターのエプロンにあった刺繍と同じ形の妖精。この店の商品だろうか。大学生のような雰囲気も感じるし、不思議と大人びた印象も受ける。一瞬視線が交わって、私は思わず下を向いてしまう。


「妹さんを探してほしい。それがあなたの願いね」


読んでいた本に栞を差し込みながら、のぞみさんがそう言った。思わず顔をあげて彼女を見る。彼女の眼はしっかりと私を見据えていた。


「なんでそのことを……」


「私、その人の眼を見ると、考えていることがわかるの。視線が合えばより深く」


 彼女の眼は私の眼を見据えていた。私は咄嗟に視線を下に落とす。コーヒーからは湯気が立ち込めていて、その水面にはぼんやりとのぞみさんの姿が映っている。


「そんなに怯えないで。今は使ってないから。あなたの悩みはあなたの口から聞かせて」


「……」


 すうっと息を吸い込んで、深く息を吐く。高鳴る鼓動を落ち着かせるように。何度も、何度も。その間希のぞみさんは何も言わずにただ待ってくれている。


「えっと……」


 私はその言葉を皮切りに、悩みを打ち明けた。妹の雨夜あまやあいがいなくなったこと。誰もあいのことを覚えていないこと。話せる限りのことを私はのぞみさんに話した。


「あなたも最初は気づいてなかったのね。その、あいちゃんがいなくなったことに」


「はい」と私は小さくうなずく。あいのことを思い出したのは2週間くらい前、公園でのことだ。少し考えるような仕草をしたのぞみさんは、冷めてしまったコーヒーを一口で飲み干すと、こう続けた。


こころさん、あいちゃんを思い出したっていうその公園に連れてってもらえるかしら」


私の返事を待たずにのぞみさんは席を立つ。店主マスターに「いってきます」と言いながら、扉を開けてお店を出てしまった。私はそのあとを追いかけるように急いで店を出た。コーヒーの支払いを忘れていることに気づいたのは電車に乗ったあとだった。

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