第47話 姫の悩み

 フレデリカの顔が青く染まる。

 真夜中のフォニア。全てが壊れているわけではなく、文字通り半壊している状態だった。

 全ての人間が死んだわけではない。それどころか思ったよりも生きている。

 とは言え、彼らは毎日怯えて暮らしている。

 だって、次にいつ船が来るのか分からないのだから。


「アレは間違いない。勇者様御一行様だ‼」

「やっと来てくれた!」


 全員が財産を放りだして逃げればいいのに、なんて発想にはならない。

 ここで生まれて、ここで死んでいく人間にとっては、ウェストプロアリス大陸は異国でしかない。

 ならば、勇者の伝説を信じて祈り続ける。

 そういう人間と、勇者がサラド台地で大勝利を収めたという話を信じている者


 フレデリカの青い顔は、とある屋敷が掲げる国旗を見たからだった。


「大公の息子、セイゲル。父親から海運業を任された男。こちらに来ていたとは…」

「フレデリカが気にすることじゃないだ。全員で行って挨拶でもしてくるか?フォニアの民は皆、歓迎してくれたぞ」

「ま、無理する必要ないんじゃないか。その男が嫌いだったから、こっちに来たわけだし」


 最高級のビスクドールよりも艷やかな顔が、僅かに歪む。

 ただ、この男は知っているのだと大きく息を吐いた。


「マリア。ちょっとだけレプトを借りてもいいかしら」

「え?どうして私に聞くのです?レプトは勇者様の親友です。勇者様にお聞き下さい」

「ふーん。アーク?」


 聞いた瞬間、シスターは盗賊から体を剥がした。

 そこまでするなら、純潔の証であるシスター服を脱げばいいのにと、姫は宝石のような瞳を薄くし、そしてそれを勇者に向けた。


「うん。良いと思うよ。でも、そういうのはレプトに聞いた方が?」


 ほんのひと時、頼もしい勇者になった彼は、同じく宝石のような瞳を一般人風の男に向ける。


「そう。それならレプト、ついてきて下さい」

「なんだかよく分からないけど、俺は貴族の振る舞いは出来ないぞ」

「だからですわ。それにレプトは一般的には勇者パーティーではございません」


 そして、盗賊の濁った目がやや剥かれる。

 女神の恩寵は人からは見えないし、船にだって自分の部屋は無かった。

 国を想い、仲間を想う兄とは少し違う。彼女には彼女の考え方がある。

 前の世界では、なかなかに相性の悪かった二人。

 今回だって、途中までは似たようなもの。


「そう言えば…。たしかに周りにはそう見えてるかも。ってことは…」

「えぇ。それを利用します。レプトにはやって欲しいことがありますの」


 だけど、今は


「分かった。殿下にとって面倒くさい侍従として、付き従ってやるよ」


     □■□


 サラドーム大公国は二つの顔を持つ国。

 ウェストプロアリス大陸では正教に敬虔な信者の国。しかも、国土はとても小さい。

 だけど、イーストプロアリス大陸では世界の王の振る舞いをする。

 特にこの二千年期は大成功を収めた。


「これはこれは許嫁様ではないですか。お噂は聞いております。どうぞ中へ。主人もお喜びになることでしょう」

「その話は勇者様との旅が終わってからと、母が伝えている筈ですが?」


 ウラヌ王国はソレを良しとせず、兄の後を追わせた。

 それが前の世界での裏話。

 今回は二人ともが同時に旅立つことになったが、ソレも同じ理由。

 だからそのカウンターで、何かにつけて勇者の邪魔をするのがサラドーム大公国。

 そして、そのカウンターをお見舞いしたのが…


「ご尤もです。ですが、もうここまで来られている。そろそろ先の話…。殿下…」

「ん。何?俺に何か話?」

「ここから先は勇者の血を引く王族の話です。殿下、その…」


 老年だが、背筋がピンと伸びた男が、険しい顔で睨んでいる男。

 彼の暗躍により、サラドーム大公国は一度も勇者に貢献できずにいる。


「まだ、旅は半ばでございますわよ。魔王の封印後の話をすると罰が当たります。ご存じありませんの?」

「存じております。…それで勇者様はどちらに?」

「アナタに関係ありますの?勇者様はお忙しいのです」

「分かりました。ですが、ボディチェックくらいはさせて頂きます」

「ボディチェック?ここはフォニア、とは言え無礼ではありませんこと?」

「フレデリカ殿下ではございません。この下男を…、失礼。戦があったと聞いております。連れて行ける者も限られる、と。ウラヌ王国も苦労をされているのですね」


 軽蔑の目が貧民に注がれる。

 このように対面してみると、本当に知られていないことが明るみになる。

 サラドーム大公国が管理している航行記録や乗船記録にも、レプトの名や外見の記載はない。

 船員だって、あの男は誰だろう程度の認識で、彼らはそのまま引き返していった。

 勇者、シスター、王子、姫、坊主。そして黒髪の女までで情報が止まっている。

 初老の男も姫には荷物持ちがいるだろう、と考えたらしい。

 しかも、貴族の出ではない者を連れている、お可哀そうな姫に映ったらしい。


「やや。この男は刃物を持っておりました。殿下、ここはフォニア。フォニアの法は守らせて頂きます」

「え?そんな筈は…。それに護身用に持っていても」

「殿下。法は法で御座います。戦禍の中でも、我々高貴な生まれの者は責任を持たねばなりませぬ」

「…そうですか。それでは仕方ありませんね」



 エメラルドの瞳が震える。ただ、彼女は流石に王族であり、その不安げな顔を殆ど悟らせない。

 うろんな目で執事を睨む鳶色少年を残して、侍女の後ろを歩いていく。


 …えっと、こいつって誰だっけ。何年も前だから流石に覚えてないか。


 フレデリカが奥の部屋に案内された後、初老の男以外に複数の男が姿を現した。


「俺はそんなナイフ持ってないぞ。持ってたとしてもお前には関係ないだろ」

「そうは行かぬ。マーク、このお客様のボディチェックを入念にしておくように。抵抗するなら」

「は?俺はフレデリカ殿下の下男だぞ?何かあったら殿下に訴えてやる。っていうか、俺は殿下から離れちゃいけないんだ。そこをどけよ、オッサン」

「話し方もなっていない。まぁ、仕方ないな。ここに来る度胸もない王では」


 そして、影。大きな影が三つ。流石にサラドビッグベアほどではないが、大人がジャンプしても届かないくらいの体高、500㎏以上はありそうな体格の魔物。


「ば、化け物⁉いやいや、シャレになってないって‼勇者様たちは宿に行ってるし‼お、お嬢様を守らないと…」

「そう、ここはイーストプロアリスだ。しかも、今は魔王軍による人さらいが横行している。タロ、ジロ、クロ。そいつは食ってよいぞ。ゆっくり味わって食え」


 モルリアではミアキャット。

 だけど、イーストプロアリスにはミアキャットよりも強い魔物が跋扈している。

 ってことで、ベアタイガー。本当にそれだけ?


「…あ、思い出した。マクドスだ。おい、マクドス・マクダリス‼」


 少年がベアタイガーを前にして、大声を上げる。

 すると、先の初老の男が両肩を跳ね上げて振り返った。


「貴様‼下男の分際でワシの名を…。いや、殿下から聞いていたか。しかし、口の利き方は教わら…」

「印象薄すぎて、思い出すのが遅れた」

「本当に教わっていないらしいな。お前たち!今すぐこいつを殺せ‼」

「勇者の経験レベルを逆算した魔物。…お前、やっている意味を分かっているのか?」


 三体のベアタイガー。迷いの森、ビノ地区で説明したように、一対一で倒せるレベル。

 だが、ここに三体揃えている。ならば、と。


「お前、殺す。俺、ニンゲンを連れ帰れる」

「だから、死ね。ニンゲン‼」


 この場でのレプトはただの下男。当然のように魔力を抑えている。

 女神の恩寵は魔力として、この世界に顕現するから、フレデリカの方が圧倒的に眩しかったに違いない。

 勿論、彼女はそんなことをしなくても眩しい存在。レプトにとっては手が届かない存在。

 この時代でなければ、の話。


「ぬぅ。このニンゲン、なんだ?」


 レプトは翻り、屈み、壁を蹴ってベアタイガーの爪を避ける。

 だが、どうにか避ける程度。


「ワシは忙しいんだ。さっさと殺せ」

「やってる意味、分かっているのかって聞いてんだけど?」

「ワシは何も知らぬ。あの方の考えは分からぬ。知らぬ…存ぜぬ…。おい‼お前‼」


 天井の梁に掴まり、はぁと溜め息を一つ。

 鳶色男は体を振り、その反動で見ざる言わざる聞かざるの初老をゆうゆうと飛び越えた。


「まぁ、そうだよな。時が戻っただけじゃなく、状況が変わったって、ドクズはドクズか。オッサン、俺とバトンタッチだ。相手、頼んだぜ」

「はぁ?いや、待て‼お前た…」


 勇者と魔王の戦いは、毎回勇者の勝ちに終わる。

 それ故に敵の中で次の時代を待つ者が現れる。

 大胆不敵と言うか、執着と言うか。


 クン…


 こういうのはダーマンの方が得意らしい。

 けれど、前回のダーマンはイザベルの犬だったから、その分レプトが働いた。


 ザッ…


 今回の隠密行動はリンの方が向いている。

 だけど、前回はレプトがその役をやっていた。


「ぐふ…ぐふふふ。流石はウラヌの至宝と呼ばれる姫だなぁ。西国一と言われたミアキャットよりも美しい。いや、更に美しくなったんじゃあないか?」

「何なのよ。これ…。アナタ、自分が何をやっているのか分かっているの?…まさか、ここまでするなんてね」

「勇者と共に旅立ったと聞いた時は、なんと勿体ないと思った。だが、先回りして良かった。ほれ、どうした。俺たちは許嫁だぞ?危ないから、早くこっちへ来い。それとも、戦いの中の方が興奮する体になったのか?」

「ダーマンが変態と思ったけど、アンタよりはずっとマシね。魔物を使って、私を脅迫するなんて」

「何を言う。金と頭と、…魔物は使いようというだろう。どうせ、もうすぐ勇者が魔王を封印するんだ。その後の魔物の身の安全を保障した。それだけでこいつらは言うことを聞く」


 必ず勇者が封印する、繰り返される習慣が、こんな条件を生んでいた。

 前の世界でも同じ。どっちが悪いかなんて、個によって変わる。


「サラドーム公嫡男セイゲル。私の許嫁はアリス正教の信者の筈よね。これはアリス教会に確認しないとね」

「ここはイーストプロアリス。アリス島から出られぬ教皇に、枢機卿に何が出来る。シスターも同行していると聞いているが…。今はお前ひとりと聞いたぞ」

「それがどうしたのよ。私も勇者の一人よ。こんな魔物…、く…。まだ…、まだよ」

「はぁ…。来たばかりで分かっていないようだな。今、フォニアでは行方不明者が多数。それが勇者の仲間の中から出ても、不思議じゃないだろう。お前たち、この娘の武器を奪え。装備を奪ってしまえ」


 ベアタイガーが五体。この五体も魔王が封印されれば、動物に成り下がる。

 だから、主人の命令を聞き、ドン‼と人間を突き飛ばす。


「痛‼」という声。


 因みにその痛…という声は、十六歳くらいの男の子っぽい声だった。


「な、な、な、なんだ?誰だ、貴様はぁぁぁああ‼」

「いたた…。ったく。何がまだだよ。もう、十分だろ」

「ちょっとくらい私が怪我した方が、それっぽいって思ったの‼…それより、ちゃんと声は録音できた?」


 そして中年男は目を剥いた。

 だが、直ぐに眉間に皺が寄り、こめかみに血管を浮きだたせる。


「モロ‼何をやっている‼その男をぶっ殺せ。持っている魔法具も粉々に砕いてやれ‼」

「…ってことらしいですが、如何されますか?…殿下」

「如何って、この後どうにか逃げるって話したでしょ。アンタは逃げるの得意ってマリアが言ってたし」


 そう。この後逃げるところまでがフレデリカの案。

 ただ、ここまでされた。それなら別の選択肢も見つかる。


「俺たちで魔物を倒すが一つ」

「倒すって…」

「魔物がセイゲルをぶん殴るが一つ」

「…‼」

「んで、何もしないで逃げるが最初の案、だっけ?ま、俺はどれでもいいんだけど」


 とは言え、増えた選択肢はあまりにも過激。

 流石に、とフレデリカは翠眼を泳がせた。


「デロも何をやっている!早く、その男を殺して女を寄越せ‼言葉、分かるんだろ?」

「…なら、…で」


 前は人狼と呼ばれていた男は、人狼と呼んでいた女の耳元で囁いた。

 すると、エメラルド色の瞳がスッと閉じて、真白で細い腕が男の首に回された。


「マクドス‼侵入者だ‼ベアタイガーをもっと連れて来い‼」


 そしてここで、姫を抱えた鳶色髪の男から魔力が解放される。

 ノーラの力が混じったとびっきりの女神の恩寵が、だだ、だだと漏れながら少年はゆっくりと歩き出した。

 そうそうと呟き、そして。


「今は魔王軍による人さらいが横行しているんだってさ。それにペットに殺されるって事例が多発してる。…オッサンも気をつけなよ」


 用心深く、アシュリの葉の臭いを充満させている。

 こうすることでフレデリカを好きにしようとも考えていたのだろう。

 それに気付いたお姫様が、まさにお姫様だっこされたまま、盗賊にぎゅーっとしがみつく。


「レプト…、ありがと…ね」


 どうやら、この世界線ではそれなりに信用されているらしい。

 なんて、思いつつ。肉の弾ける音があちこちで聞こえる大邸宅を後にした。



 ──因みに外に出た時。


「痛…。痛…。痛…」


 少年の足は何度も激痛に襲われることになるのだが。


「また私を負けヒロインにするつもりですか‼」


 とは言え、少年は痛みに耐えながら、ぼんやりと考えていた。


 これでフレデリカも安心して世界を救える。

 っていうか、前の世界のハッピーエンドって実はいろんな問題を残してた?

 終わり方に不満があったのは俺だけじゃない…って、考えすぎ…か

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