第Ⅱ話———猫騙し

 篝は暫くの間、湖を眺めていたが背後から近づく気配に気怠げに振り返る。


「………それで?どうしてお前は其処にいるんだ?」


「どうしてって……。いやだな、上がって来ただけですよ」


 背後に立っていた人物とは湖に叩き込まれた筈のエードだった。

 全身ずぶ濡れであり、髪や外套の裾から水滴が滴り落ちている様子から双子だとかドッペルゲンガーではない本人だということが理解出来る。けれど、如何やって這い上がって来たのかは分からない。

 ―――湖は俺が見ていたのに如何やって?

 ―――もしかして転移系の異能か?いや、それなら俺が殴る前に跳べばよかった筈だ。他の異能だとすれば……隠避系か?あぁ、いや。それだと人間大の生物が動けば水音くらいは聞こえる筈……。

 いくら考えたところで答えは出ない。どんな異能だとしても、能力を行使しなかった理由はおろかその〝系譜〟も全く分からなければ考察を重ねたとて意味など無いだろう。


「僕が何でも此処に立っているのか分からないって顔をしていますね。」


 思考に浸る篝に対して、見透かしたようにエードがそう言った。


「……確かにわからねぇ。もし、お前が教えてくれるってんなら是非ともご教授願いたいが?」


「なんとも喧嘩腰。まぁ、教えてあげなくもないですよ?僕に負けを認めさせたら、ですがね」


「オイオイ、挑発か?さっき殴り飛ばしただろうが、あれで満足しとけや」


「いえ、いえ、アレではまだ足りませんよ。それに僕はアナタを確かめたい。アナタは僕がどうしてここに居たのか、つまり僕の〝異能〟を知りたい。これはWin-Winな取引だと思いますが……どうですか?」


「交渉下手か?頭オカシイだろ」


「心外ですね……でも、アナタもようやく身体が温まったところでしょう?なら最高点を見ない理由がないじゃないですか」


 その言葉に内心で舌を打つ。

 ―――気付いてやがる……。

 ―――それに何がWin-Winだ。テメェが戦いたいだけじゃねェかよ。

 正直な話、好奇心や興味本位程度の気持ちしかなく、強いて挙げるとすれば似た異能に対する対処法が考え易くなるだろうという打算しかなかった。だが、エードにとってはその情報的優位性や異能の秘匿性を失ってまでも確認しなければならないことだったらしい。

 ―――それに、あの目……。

 エードが篝に向けている値踏みをするような目線。

 ———気に入らねェ。

 まるで虫を見下ろすような、上位者であるかのような目。

 全てを見透かそうとしているような、思い上がり甚だしい視線。

 篝はエードを見る。目は口程に物を言う、言葉通り如実に表れた感情は手に取るように読み取れたその感情は一つ。


 ムカついた、だからブン殴る―――これに尽きる。


 視線を合わせたエードもまた、その色を見て笑った。


「もっかい、やるか」


「やる気になってくれましたね♪」


「まぁな。けど、今度は始めっからガチでやらせてもらうぜ?」


「えぇ!それで構いませんとも!―――先手は譲ります、どこからでもどうぞ?」


 どこか興奮気味に話すエード。

 どこがスイッチだったのかは、分からなくはない。おそらく篝が戦う意思を見せた事だろう。だが、どうしてそこまで興奮しているのかは分からない。けれど、彼がただ単に戦闘狂なのか、それともあんな視線を向けてくる理由故なのか。それは―――戦った後に分かるだろう。


「それならお言葉に甘えて、俺の好きなようにやらせてもらうぜ」


「えぇ」


「―――、」


 篝はエードの返答を流し、息を吐いて目を閉じる。

 意識を身体の奥へ、熱を辿り、その根源たる心臓へ接続。

 真躯しんくの最奥に閉ざされた門を開き、炎を世界へ解き放つ。

 身体は熱を孕み、陽炎を生む。暑くなく、寒くもない。適度な高揚感と共に駆け巡る熱は次第に上昇し、身体の周囲には光の粒子が舞い始め、その光は炎へと姿を変える。

 篝は目を開き、エードを捉えた。


「準備完了だ……」


 その言葉に続けて腰を落とし———、


「———ッ!」


 ———駆ける!

 急速に加速した篝の身体からは溢れた炎が揺らぎ、尾を引きながらエードに肉薄する。が、


「―――遅いですよ。もっと速く走ってください」


 エードは回避と共にそう指摘し、ガラ空きの腹部へ蹴り上げ。

 微かに上向いた体の正面に回り込んで回し蹴りを放つ。


「―――がッ⁉」


 肺の空気を吐き出さられた篝は鈍い声を発する。

 あまりの衝撃に骨が軋み、視界がゆっくりと回り始めると次第に風景が変わって停止。

 全身を襲う鈍痛に薄目を開けて背後をみれば一本の傷ついた木。意識よりも先に体を木に叩き付けられたという事実を脳裏の記憶と背後の木によって認識した。

 鈍痛の次は苦痛が襲う。

 体を叩き付けられた事で空っぽだった筈の肺の中、その更に奥の肺胞の細胞一つに至るまで身体に存在する空気が絞り出されたのだ。酸欠の苦しさ、打ち付けられた痛みで咳が出るが咳によって急速に酸素が供給され、先鋭化された痛覚によって意識が正常性を取り戻す。

 木を支えに立ち上がり、吐き出されそうになる息を苦痛と共に飲み込んで―――駆ける。


「シッッッ!」


 より速く、さらに速く、よりさらに速く駆ける。一秒も惜しい、と意識のリソースを異能の操作に割き、二割で身体の応答を、八割で異能を行使する。


「ッ!!」


 再びエードに肉薄。

 直接的に攻撃を仕掛けず、獣のように限界まで体勢を低くして地面に沿って蹴りを向けて滑走。

 それを認識したエードは跳んで躱し、


「速さは充分、ですが直線的過ぎますね」


 と、またもや酷評。

 余裕綽々。焦りも無く、落ち着いた雰囲気。

 はじめの一戦が嘘のように掠りもしない。


「ハァー……。おいおい、テメェ……チートか何かでも使ってるンじゃねぇよな?」


「僕は純粋培養、正真正銘の一般的な獣人ですよ」


「あぁ、そうかい……」


 絶ッッッ対に一般ではないだろうというツッコミは心に仕舞う。

 ———クソったれ。

 そんな悪態も自然と漏れるのも仕方ないだろう。だが、

 ―――本当に、嘘みたいだなぁオイ。

 ―――こんなに掠りもしねェとか、悔しさとか苛つき以前によォ……。

 口角が上向くのを押さえられないのも仕方がないだろう。

 ―――楽しくなっちまうじゃねェかよ、クソ猫よォ……!

 悪態は付くが気分は上々。

 肺に溜まっていた空気は底を付き、真っ直ぐ伸びていた筋繊維は歪んでしまっている。全身が痛くて苦しくて、けれどもそれが気持ちいい。気分が高揚する。まるでぽっかりと空いた穴の埋め方を見つけたようなその気持ちに自然と笑みが溢れ、口角が吊り上がる。


「ハハッ!アハハハッ!」


「おや、強く蹴り過ぎましたかね?」


「いや、いーーや。全然大丈夫だぜ!むしろ、イカしたようなイカレた気分だ!」


「うーん?」


「いいぜ。いいぜ。この気持ち。俺ってヤベー奴だったんだな⁉」


「ちょっと……否定はできませんね」


 エードはやり過ぎてしまった、と頭を抱えようとしたその時だった。

 篝の瞳を見た。

 気をやってしまった濁った輝きではない、鮮やかな煌き。


「でもイイ。次は―――当てる」


「出来ればいいですね?」


 挑発的なその言葉と輝きに思わず打ち返す。

 篝もまたその言葉に笑みを浮かべて構え作る。


「それじゃぁ……これで、どうだッ!」


 それは愚直な拳。

 それを見たエードに浮かぶのは落胆の表情。


「はぁ……篝さん。もっと真面目にやりません?」


 先程の高揚感を薄れさせたエードは篝に問う。

 対して篝は薄く笑みを浮かべて拳を振り続ける。


「あん?俺は、至って、真面目、だ、ぜッ!」


 絶え間なく振るわれる拳をエードは容易に躱し、時にはわざと腕で防御する。


「なら、アドバイスをしましょう」


「アドバイスゥ……?」


「えぇ、炎を少し抑えてみたら攻撃が当てやすくなるかもしれませんよ?」


「炎を、ねェッ!それは、攻撃、が!見極めやすく、なってる、から、かッ?」


「………おや、気付いていたのですか」


「当たり前だ、ろッ!」


 拳は腕を打ち付けるが、その勢いをバックステップで流すエード。

 二人の間には少しの間合いが生まれた。

 それは腕をインファイトには遠く、対話には近い距離だった。

 それでも拳を止め、篝はおどけた様に言う。


「自分の欠点くらい自分でよーく分かってるからな」


「では何故?わざわざ自分が不利になるような事を」


「何故?何故ってなぁ―――こういう事だよッ!」


 バシッ!と、篝の拳が間合いを埋めて腕を捉えた。

 ぶつかった拳からは炎が溢れ出し、エードの腕を焼き尽くさんと勢いを増して燃え盛る。

 今回ばかりはエードも、躱さなかった己に苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。


「まさか……このまま―――」


「―――いいや、違ぇよ」


 言葉を遮って篝は断言する。

 その間にも炎は強くなり、


「〝ソール〟」


 その名を口にした瞬間、燃え盛っていた炎は勢いを半減させ、実体のないプラズマから確かな感触がある疑似物質へ。疑似物質化した炎は次第に収束し、エードの腕へ絡みついて炎の手錠へと変貌したのだった。


「これは……」


「お前の手は封じた。これで幾分か楽になる」


「………ッ」


 エードは目を見開き、篝と距離を取る。


「行動には意味がある。それが一見して不利になる行為だろうと、無意味と映る行動だとしてもそこには必ず意味があるもんなんだぜ?」


「………ええ。僕は随分と高を括り過ぎていたようです。まさかこんな事まで出来るとは思ってもいませんでしたよ」


「あんまり強がるなよ?ハンデがあるなら流石に当てられるぞ」


「そうですね。これは流石に、骨が折れそうだ」


 エードは自身の腕を見て呟く。

 肌や服を燃やす事は一切なく、この炎が本当に燃えているのか分からない。だが、軽く腕を動かしてみてもビクともしない事から、確かに存在する物質なのだと云う事は理解できた。

 これは大きなハンデとなる事は一方から見ても一目瞭然。

 だからこそ篝は思う。ハンデがあるうちにケリをつけなければまらない、と。


「それじゃあ―――いくぜェッ!!」


 肉薄した篝が仕掛けるのは超短期決戦。

 エードが使える四肢は足の二本だけであり、それさえ封じてしまえば決着がつく。


「フッ!シッ!」


「容赦がッ、ない、ですねッ!」


 右へ、左へボディを狙う拳を躱すエード。腕を封じ、攻撃手段を減らし、身の守りを削ろうとも身軽さは健在であり、予想に反して拳は掠る事すらない。その攻防は数十秒続き、篝が次に繰り出したのは大振りの横蹴り。エードはその蹴りすらも宙返りで躱し、また振り出しに戻ると思われた―――が、エードの想定よりも速く篝は体勢を立て直す。

 エードが爪先を付き、徐々に指が、足底が地に付いていく過程の内、まだ安定していないリセットされた揺れる視界で彼は篝を捉えた。

 いつの間にか眼下に居座る、右拳を引いた篝の姿を。

 ゆっくりと流れる視界。篝の狙いは―――、


 ―――顎かっ!


 咄嗟に両腕を盾に防いだエードの身体は宙を舞う。

 優に十mは宙に打ち上げられた衝撃は腕を伝って身体を強打し、歯を食いしばる。一瞬の浮遊感の後、重力による自由落下が始まるがエードは腕を拘束されているが故に受け身など取れる筈も無く、それどころか着地が出来るかどうかといったところだろう。

 真っ直ぐに地面を見たエードは短く息を吐くと打ち上げられた体勢を修正し、足を下に向けて一直線に落ちる。

 篝もまたエードの落下地点に向かって駆け出すが、間に合わない。

 脇を締め、脚をだらりと伸ばして空気抵抗を減らし、自身を一本の槍のように地面に突き刺す。落下地点は陥没するが本人には一切の負傷は無く、自らの自重や重力、押し返された衝撃から逃れるように膝を折り、深く、深く姿勢を落として膠着。追いついた篝が拳を突き出すが既に遅く、脚のバネが完全にエネルギーを吸収して自壊する前に反動を利用して跳んだ。

 突き出した篝の拳は残像を打ち消して宙を切るが、視線は何とかその姿を捉えていた。

 横跳びに消えたエードの向かう先、それは―――湖だ。


 ―――まさか、アイツっ!


 その姿と湖を見た瞬間に篝はエードの行動を理解した。


 ―――炎を消すつもりか!


 身体が湖に差し掛かるとエードは腕を伸ばして水に触れる。

 瞬間、周囲一帯を覆う程の蒸気が立ち込める。

 蒸気により視界が閉ざされた事でエードを見失う篝。


「チッ!これじゃ、さっきの二の舞いだぜ」


 湖からは依然として蒸気が昇っている。けれど、本来聞こえてくる筈の音が聞こえてこない。


「水の蒸発する音だけが聞こえるこの状況……つまり―――」


 背後の温い空気の流れが変わる。

 冷たい風が吹き込む動きではない同程度の空気が押し流される不自然な流れだ。


「―――そういう事だよなァッ!!」


 ―――体感距離はすぐ隣。視界不良の中で大きな流れを作る事は愚策。

 そう思考した篝はエードの姿を思い描く。

 今まで見てきた身長体格、背後で動いた風の流れを脳内で組み立てて現在の姿勢、予想できる行動パターンを弾き出し、自分が取るべき最善策を導き出す。


 ―――アイツは遠距離武器を使用し、近距離は足技メインのヒット&アウェイ戦法を主体としたおらくはスプリンタータイプ。

 ―――外套で隠されているがあの手を見る限り、腕力に任せたパワータイプではない。

 ―――それなら……。


 篝は蒸気の向こう側のエードの首元目掛けて手を伸ばす。

 

 ―――インファイトよりも近く、掴んで絞める!

 間合いが近付きお互いの影を目視したその時、篝がエードの外套を掴むのと同時に影から伸びてきた腕は篝の胸元を掴んだ。

 篝のその選択は間違いではない。けれど、それは同じ服装、似た構造の衣類であれば、だ。

 片や学園の制服であるワイシャツ、片や着脱の容易な外套である。

 機能を保つ間は文明の象徴、人類の獣性を抑える拘束具を着込む篝。

 機能を保つ間は狩の必需品、その獣性を覆い隠す隠遁具を羽織るエード。

 どちらが有利かなど一目瞭然だろう。

 掴んだ外套は重さが無く、掴んだ勢いのあまりに腕に絡みつき簡易的な拘束具へ姿を変え、解こうにも万力の如き力で胸元を引かれた篝は暴かれたエードの姿を見た。


 ―――は?ネコ?


 白毛の頭頂部に鎮座した三角の耳に、鋭い目尻を持つ異なる色の宝石の如き瞳。

 それは予想外、未知の生命との邂逅であった。アニメや漫画でしか見たことがないような獣人の姿を見て啞然と思考が停止する。

 そのまま抵抗らしい抵抗もなく引き寄せられた篝は―――ガツンッ!!?


 ―――は?何、が……?


 停止していた思考諸共強制リセット。

 額に残る激痛。


 ―――あぁ、チクショウ。マジの頭突きじゃねぇかこの石頭。


 状況は理解できたが、最悪だ。

 それに対してエードは顔を伏せる篝を見下ろして言う。


「いやぁ、今のは焦りました」


「あの拘束そうですが、まさか僕の異能を感知するなんて……」


 薄く笑みを浮かべるエードに篝は、


「グッ……!テメェ……やってくれるじゃねェか……!」


 ノロノロと立ち上がり、笑みを浮かべて言葉を吐く。


「いいですね。えぇ―――いいですね!」


 そんな様子を見てエードはハイテンションな様子。


「ここまで出来るとは思っていませんでしたから。本当に、本心から思っていませんでしたから!これなら合格ですよ!」


 僕的満点です!なんてウキウキとしたエードは嬉しさを隠す気など無い。

 こんな状況で年相応の反応を見せられても、と若干の困惑を浮かべる篝。

 そんなテンションのままエードは篝に近付き手を差し出した。―――否、差し出したというのは間違いだ。構えた、というのが正しいだろう。


「おい、これは……」


「先程言ったでしょう?認めさせたら僕の異能を教える、と」


 その言葉と共にパンッ!と、鳴らされて反射的に目を閉じた。


 

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