星火のアーカイブ
翠雨 シグレ
プロローグ
『星は墜ちる、されど輝きは昇る』
『末の仔よ―――目覚めの時は近い』
『私は傍観者としてキミを見つめよう』
『それがどんな結末、どんな終わりを齎そうとも……それはきっと―――』
『―――最高の終末になる事だろう』
―――『
■
その日、沈み切る寸前の夕日に背を焼かれながら彼は学園からの帰路を歩いていた。
残暑に見舞われるこの時期は特に暑く、首に掛けたタオルで汗を拭きつつくだらない事を考えながら足を動かす。そんな汗に塗れた亡者の如き存在、つまりは彼こと———
「なんでこんな日にフィールドワークなんて計画しやがるんだ……。もっと涼しく、秋になってからでもいいだろうに」
そんな残暑が色濃く残る初秋に恨みつらみを募らせつつ、今朝の天気予報を思い出す。
―――本日の新東京都は快晴。夏の気温が舞い戻り、猛暑になる事でしょう。
具体的な数値を云えば三十度程。真夏の気温と変わらないその温度に季節の変わり目は何処に行ってしまったのだと考えてしまうのも無理はないだろう。ホントに何処に行ったの?と三寒四温どころか七温七寒で断崖に等しい気温差の季節の変わり目に遠い目を向ける。
そして、篝が不機嫌な理由は猛暑のイカレた気温ではない。
そんな季節の変わり目のイカレた暑さを考慮しないでこんな暑い日に屋外での活動予定を入れた同じ部活に所属する上司もとい鬼畜イカレゲス野郎改め―――所謂、先輩と呼ばれるナマモノに起因する。
「今日に限って実地とか、俺の〝能力〟を知っててやらせるのはイジメだろ……」
頭でもやられてんじゃねェか?なんて今日の惨状を思い出して、
「はぁ……」
溜息を吐く。そして、
「いや、俺もあの暑さでイカレたか?」
その場で立ち止まって言い放つ。
誰に向けた訳でもない言葉は霧散し、彼は視線の先を睨むように見た。
「夏に逆戻りっ言っても風物詩まではいらねぇンだよなぁ~」
それは路地だった。いつも近道として通る何の変哲もない路地がある筈だったのだ。
いくら日が落ちているとはいえ、まだ太陽が地面にしがみついて焼き焦がしている筈のそこはあまりにも暗過ぎた。不気味という一言では言い表せない不自然な夜の帳がその場所にだけ降りていたのだ。
片足を持ち上げて一歩踏み入れる。
「足元すら見えやしねぇ……」
地面を踏みしめる感覚は感じるが視界には一切映らない。
まるでパックリと闇に呑まれたように姿を消した足を動かしてみる。
数回地面を叩いてみるがいつもと変わらない硬いコンクリートの感覚とコツコツと叩く音だけが鳴り響く。
「ここ、通れるのか?いや、それ以前に通っていいのか……?」
このような異常事態を目にしたならば〝触らぬ神に祟りなし〟という言葉の通り不干渉を決めてそそくさとその場を離れるのが普通、通常の反応なのだろうが、彼はその〝普通〟ではない。
「………」
緩く頭を掻いて思案する。
彼はこの様な異常事態は知識だけでは知っていた。近年になってから認知されはじめた所謂、〝怪異〟と呼ばれる場所や存在による特異現象。その人知を逸した現象はこれまで語られてきた怪談や伝承にまつわるモノであったり、類似点の多いモノであったりと人に近いものであったが為に知識だけは多く流布していたからだ。
そして、そんな存在が認知された背景には彼―――否、彼等の存在も関係していた。
「怪異は俺ら
それは簡単に云ってしまえば根拠の無い誹謗中傷である。けれど、知識の一部としてその〝説〟を覚えていた彼は居ても立っても居られなかったのだ。
「つまりこれは……確かめるチャンスでは?」
そう呟いて―――タタンっ。
わざとらしく路地に飛び込んで辺りを見回す。
「別段、不思議なものは何もない……な?」
特に幽霊や怪物の根城という訳でもない。何の変哲もない、というには些か暗く、まるでペンキを塗りたくったような黒さだが真夜中であればあまり違和感も感じないであろうには至って異常もない空間。
他には何かないかと辺りの壁を触ってみると、
「———ッ⁉」
グチャリ、とその感触を感じて咄嗟に手を離す。
それを触った手を見、指を擦り合わせるも水気を感じない。
「いまのは……」
彼が思い浮かべたのは水っぽいスライムだ。
確かに手が濡れた感覚がしたのに乾いている指先に違和感だけが神経に刻まれている。
そして、背に悪寒が走る
「———!」
バッと振り返った場所にいたのは一人の影と、何故か遠くなった入口。
その存在、その現象を見た瞬間に彼は何かに弾かれるように走り出した。
「―――ッ」
駆け出した身体は心臓を大きく唸らせ、より強く、より速く走らんと稼働する。
額に浮かび出した玉のような汗とは裏腹に背中を伝う水のような汗はとても冷たい。
熱気と寒気という相反する感覚を感じながら足を動かすものの、視線の先の光景はまるでその行動は無意味だと笑っている様だった。
「マジ……か……!」
目を見開き驚愕する。
後方の入口からは離れている筈なのに眼前に見える出口に辿り着けないのだ。
つまりこれは距離が―――縮まっていない。
それどころか段々と他の変化も起こり始めた。
「クソッ……入ったのがそもそも間違いだったか」
ぐちゃぐちゃと音を立てる足元に視線を落としてそう吐き捨てた。
正しくスライムのような、ただの泥とは違う粘性のある
「スッ……ハァ……さて、どうやって出るか……」
徒歩から更にその場に止まり、チラリと背後に視線を流して呟く。
幸いにもはじめに見えた人影のようなものは姿を消していた。
好奇心は猫をも殺す、とはよく言ったものだ。入れば如何なるか、結果を考えずに短絡的な行動をした末の結果だろう、と考えて頭を抱えて唸る。
やがて溜息を一つ零して歩き出そうとし、
「ハァ……取り敢えず、進しかな―――」
―――い。
そう言おうと前を見たその時。
「―――やぁ」
目の前には蜂蜜色の瞳が二つ。鼻が触れそうな程に迫った顔は薄く笑みを浮かべたており、その夜を身に纏ったような黒尽くめの衣装も相まって異様な雰囲気を醸し出していた。
視線が合った瞬間、驚愕しつつも即座に後方へ一歩下がり右手を構える。
「近ェな、オイ」
「そうかい……?いや、そうかも……」
首を傾げつつも離れた眼前の人物に溜息を吐く。
先程見た人影がこの人物であろうことは明白。
異様な気配、入口で感じた悪寒のようなものは感じないが人、ではないだろう。
「それで、アンタはどこの誰だ?」
「僕は僕だよ?」
「いや、誰だよ……」
「僕だよ?」
無意味で不毛な遣り取りに苦虫を嚙み潰して犬の糞を踏んだような表情を浮かべてしまう。
そんな篝とは対照的に目の前の人物は笑みを浮かべ、努めてフレンドリーな感情を前面に押し出していた。
「いやー、キミが来てくれて良かった。そうじゃなければキミのお家にお邪魔しなければならなかったからね」
「やけにフレンドリーだな」
「そうかい?キミが堅苦しいだけじゃないかな?」
「そうかい、それならそれでいいよ。で、目的が家なら今からでもくるか?ぶぶ漬けぐらいなら出せるぜ」
「やぁ、辛辣だね。それってここから出してさっさと帰れってコトだよね」
「おお、それを理解出来るのか……でも辛辣ってのは心外だな。殴り掛からないだけ神にも等しい優しさだろ」
「そうかなぁ。でもそれだけはキミの優しさに平伏しそうだよ」
腰を折り曲げてわざとらしく頭を下げる行動に苛つきを覚える。
「それで、そんな誰かさんは何の為に俺のところへ?」
対抗するように大袈裟なジェスチャーと共にそう聞けば小さな笑い声が返ってくる。
「キミを招待しに来たんだよ」
「アァ……招待?」
思わず篝は柄悪めにオウム返しをする。
招待とは何のことだろうか。別に特別な家柄でも無ければ特別な才も無い、ましてや客を招待するような人物との特別な間柄無い。つまりは誰かに招待を受けるような要素など持ち合わせている筈もなく、馴染みのないその言葉は見当もつかなかった。
そんな篝の疑問に答えるように目の前の人物は朗々と語る。
「そうだとも。
「汝は選ばれたのだ。アトラスが取り落とし、バハムートの背から切り離され、世界の攪拌により沈んだ新しき聖地―――異界〝ロゴス〟に!」
その言葉は先程の疑問に答えるものではなかった。
むしろ、新たな疑問を呼び出す甘言とも言えよう。
「おい、オイ、まてまて待て……」
篝は呆気に取られるも直ぐに頭を再起動させて手を前に出す。
いきなり理解できない情報をワっと浴びせられても話など進む訳がない。
情報の整理が先決だ。
「順番に、順番にいこう。まず最初の招待ってなんだ?選ばれた?その、ロゴスって場所へ?」
そう篝が聞けば、
「そうそう」
と頷いて指を胸元に掲げる。そして、親指と中指を擦り合わせ―――パチン!
耳馴染みのあるその音が鳴ると足元が意思をもったように蠢き、地面の感覚が曖昧になると、
「―――ッ!?」
―――ドポンッ!
大きな水音と共に地面に落ちてしまった。それも言葉を発する事もなく、だ。
篝が沈んだ底から大きな泡を浮き上がらせながら、
「―――テッッメェ!説明も無しに何しやがるッ!!」
浮上した彼は頭上の人物に非難を浴びせる。
だが、そんな事を言いつつも今の現状は足を動かして浮かぶように泳いでいる状態。今にも先程まで保持していた優しさをかなぐり捨てて殴り掛かりそうな状態であるが、手出し無用どころか手出し不可能である。
そんな矛先を向けられた人物は最早、遺物とも言える古の〝とあるポーズ〟をとり、
「説明は無粋だと思って」
エへッ、なんて心底腹の立つ笑みを浮かべた。
そして、そう言いつつ目の前の人物は、
「まぁ、怒る理由も分かるけど……コッチにはコッチの道理があるんだ」
「それに、説明が無粋だってのは本当さ」
「キミは正真正銘、鍵だ」
「偏見を持たず、平等に。心を開き、曇りなき眼でもって世界を定めなければならない」
「だからこそ……」
そこまで言って片足を持ち上げて篝の頭に乗せた。
人を人とも思わぬその所業に篝は口角を引き攣らせる。
「オイ、テメェ……何をする気だ?」
「何って……分かるでしょ?」
意味深な言葉に不安を搔き立てられると同時に頭に載せられた足に力を込められた瞬間―――嫌な予感が脳裏を走った。
「―――テメェッ!覚えとけよ!!」
「ハイハイ、三分くらいは覚えとくよ。それじゃあ―――逝ってらっしゃい」
「今のは絶対に字が違うだろ―――ガボッッ!!?」
叫び声を無視するように全力で篝の頭を踏みつけ―――ドポン。
水に沈み、吸い込まれるように意識を失って落ちていく彼が再び浮かんでくることなかった。
この日を境に彼―――天野篝の人生は大きな転換期を迎えたのだった。
■
寂しく跳ねる水音が転がる路地で、一人になった彼の人物は空を見上げた。
既に夜の帳が大天を覆いつくした時刻。逢魔が時は既に通り過ぎた世界で祈る。
「宜しく頼むよ。世界の時間はもう残ってないんだ、全てはキミの手に……」
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