受験の味
笠井 野里
受験の味
三限終わりの休み時間、自称進学校とさえ名乗ることが許されない高校のパソコン室の一席に、人だかりができていた。秋の終わりの空は、重苦しいうろこ雲で満たされて、教師のいない窓の締め切られたパソコン室に、息苦しさを与えていた。
「悪い流れを断ち切ってくれよ……」
人だかりの一人、出っ歯の生徒会長はパソコンの前に座るおれに言う。三流大学のAO入試の合否を確認する画面を眺めるおれは、当事者なのに一番気楽な顔をしていた。
人だかりの中の多くは受験に落ちた。生徒会長とその隣にいる秀才メガネくんは県内の国公立の
悪い流れとは、
「天国か地獄か、開けてみてのお楽しみ」
周りの葬式みたいな空気を吹き飛ばすため、冗談めかして言ったおれのアイロニカルな自虐は、空気を和らげるには役に立たなかった。おれは、受かろうがなにしようが地獄だろうと思っていた。おれは死にものぐるいで受験戦争をしていたわけじゃない。そういった努力ができない人間だった。ただ受かりそうな大学をボケっとしながら受けただけなのだ。こんな人間の行き着く先は地獄しかない。
画面をクリックし合否を表示した。
〈不合格〉
おれはその文字を見るとすぐさま、周りを見渡した。生徒会長、秀才メガネ、彫刻美少年、八重歯、竹――皆苦しそうな顔をしている。おれだけがぼんやりとした顔で、後ろを見ながら、ヘラヘラと笑っているような気がした。
「マジかぁ」
「流れ悪いなぁ……」
「うわー」
「いやまだもう一個受験あるから、だから、まだ希望を捨てるな」
周りの喧騒ではじめておれは二つの試験を受けているのを思い出した。おれはもう一つの結果をいそいで開いた。
〈合格〉と書いてある。受かってしまった。
「おー! 良かったぁ……!」
「おめでとう!」
「流れを打ち破ったなぁ! よしよし!」
おれの手を握りながら跳ねるように喜ぶ生徒会長の顔は、周りの顔は本当に祝福しているようだった。彼らは、おれの合格をしんから祝福してくれていた。おれは「ありがとう」と答えるので精一杯で、笑みを作ることができないでいる。それに気がついた眼鏡は、満面の笑みを崩さず、
「あんまうれしそうじゃないな」
「いやぁ、落ちたあと受かるなんてドラマチックでさぁ……心臓に悪いね」
おれの苦笑いしながら放った一言に皆笑いながら
おれは皆と握手しながら、合否が出たあと無言でトイレに駆け込んだ生徒会長の姿や、あたりが真っ暗になるまで面接練習を担任とやっていた彫刻の姿を思い浮かべた。そしてみみずの這ったような字が五ページで途切れているピカピカの受験ノートを思い浮かべた。
おれは毒のようにぬらぬら光るパソコンの画面をそそくさと消して、席を立った。
「竹も今日の昼休みには合否出るっしょ。いい流れを作れてよかったよ」
「このまま流れで竹もいけるよ」
そう言いながら、あと三分ではじまる現代文の授業のため、皆でパソコン室を出ていく。おれは廊下を歩きながら、竹が受かることを祈っていた。それは彼のためではなく、おれが世界というものを祝福するために行う祈りだった。
――しかし、昼休みになり、担任と合否を聞いて帰ってきた竹の顔は、絶望の顔をしていた。落ちたのだ。彼は自販機で買ったもそもそしたいちごジャムパンを食べるおれの元にやってきて、
「すまん。お前の作ってくれたいい流れ、活かせなかった」
おれは、なにを言えばいいのか戸惑った。竹の顔は戦った男の顔だった。おれはどんな顔をしたらいいのかわからない。なにをする資格もおれにはなかった。
「……まだ受験は終わってないから、大丈夫」
と、ようやく白々しい言葉を口にしたおれは、「そうだな」と頷く竹の顔を見上げる勇気がなかった。
また周りに人だかりができ、今度は落ちた皆が「一緒に一般入試を頑張ろう」と竹を励ました。おれはその一群を眺めながら、おれも落ちていたらこの輪に入れたのだろうか、と思った。しかし、入れるわけもない。なんの努力もせずに受験に挑んだのだから。おれは彼らの
うろこ雲の間から、いくつかレンブラント光線が出ている。まるで彼らの明るい未来を約束するような空の色だった。おれはそれを眺めながら、もそもそしたいちごジャムパンを咀嚼する。――合格の味はしたが、努力の味はいくら噛んでもしなかった。
受験の味 笠井 野里 @good-kura
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