第59話 満を持して、彼の登場
それから数日後の明け方、冬華は夢を見ていた。
彼女は雪を
『必ず生きて、また逢おう』
『ええ、どうかご無事で』
彼の手が優しく彼女の髪を撫でる。いつまでも名残惜しそうに触れられる手の感触が愛おしい。指先が髪を梳くよう通り過ぎて、頬に添えられる。
ほどなくして、頬を包んだ掌がゆっくりと離れていった。
『ご武運を』
精一杯の笑顔を浮かべて紡いだ彼女の言葉に、彼はかすかに眉を寄せ、唇を動かした。
愛しい人が自分の名前を呼んでいる。まどろみの中聞こえる、彼の声が心地いい。
「……か、と……うか……とうか」
夢の中だと言うのに、声はどんどん大きくなる。
「冬華!」
「え?」
叫び声が聞こえた気がして、はっと息を吸い込み目を覚ました。
「冬華、どこだ? いるんだろう。返事をしてくれ!」
窓の外からはっきりと彼の声が聞こえる。起き上がり窓際に駆け寄る。校庭を見ると、彼が立っていた。
「え? え? 鷲……くん?」
鷲は真っ黒い車体のオフロードバイクに
「鷲くん!」
冬華を視界に収めた鷲は、バイクから降りて彼女を抱きしめた。
「無事でよかった。迎えに来たよ。一緒に帰ろう」
「でも……」
冬華は不安げな顔で彼を見上げる。
「言っただろう。もう離れ離れにはならないって」
「どうしてここが分かったの?」
「ごめん、実は椎葉くんから連絡があって、私が居場所を教えたんだ。約束を破ってごめんね。でも彼、ずっと一人で冬華を捜していたみたいだし、最初は知らないって教えなかったんだけど……やっぱり冬華と椎葉くんが二度と会えないなんて、絶対に避けたかったし。私も賢哉に会いたいから、冬華たちと一緒にここを出て行くよ」
いつの間にか校庭に出てきていた、ともちゃんが言った。
「ここに来たら危険だよ。殺されるかもしれない」
周囲を見回すと、校庭には既に人が集まっていた。みんな何事かと鷲を見ている。
「同じ轍は踏まない。二度とあの人には負けない。僕を信用してよ」
「信用してるよ。でもね」
そう言って、校舎の方を見ると中から悠然と興俄が出てきた。彼は不機嫌な顔で鷲の前に立ちはだかった。
「全く、どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがって。愚かな奴め」
「愛する人や大切な仲間を幸せにしたいと願うのは、愚かな事ですか?」
興俄を見据えた鷲がはっきりと告げる。
「偉大なる野望の前には、愛や情は足枷になるだけだ。そんなことも分からないお前は、相変わらず愚かだよ」
「貴方の思い通りにはさせない。冬華を返してもらう」
鷲は興俄を睨みつけたまま、背負っていた鞄を下ろした。
「お前の思い通りにもならないぞ。ここは謂わば敵陣、たった一人で乗り込むなど相変わらず甘いな」
「甘いのはどっちでしょうね」
鷲は鞄から鞘に入った刀を取りだす。鯉口を切り、鞘から一気に引き抜き構えた。
「鷲くん、それって家にあった刀……」
「一度家にバイクを取りに戻った時に、一緒に持って来たんだ。これがあればこの人に勝てる気がする」
「やはりお前はもっと早くに殺しておけばよかったな」
「僕がそう簡単に死ぬと思いますか? ここで命を落とすのは貴方ですよ」
二人は無言で睨みあった。
刀を抜いた以上、今度こそは斬らなければと鷲は思った。だが、相手の出方が読めない。興俄は武器を手にしてはいない。だが、そう見えるだけで、自分の姿を視界に収めた時から既に何らかの策は講じているはずだ。
「どうした。斬りかからないのか?」
余裕のある声で興俄が言う。
「貴方の方こそ、早く僕を殺さないんですか」
お互いの手の内が分かるからこそ、どちらも動けなかった。睨みあいの時間だけが過ぎて行く。
冬華は興俄の動きを注視していた。武器を手にしていない彼は、どうやって鷲を攻撃するつもりなのか。いつも行動を共にする目つきの鋭い警察官、景浦はここにはいないようだ。校庭にいる誰かに鷲を襲わせるのだろうか。冬華の力では、人の動きを止めることはできない。己に跳ね返ってくるだけだ。それでも、何とかして止めなければ。
冬華が二人の間に割って入ろうと一歩踏み出したその時、遠くで轟音が鳴り響いた。校庭にいた人々が音の方を見ると白煙が上がっている。人々がざわめき始めたので、対峙していた二人の視線もそちらに移された。ついで、防災無線からサイレンが鳴り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます