第35話 再び対峙
その頃、ここは鷲の家。鷲と御堂は朝から図書館から借りた古い文献を読み漁っていた。二人とも今日は学校を休んでいた。
「吾妻鏡によれば、静が捕まったのは11月17日。 鎌倉に到着したのが翌年3月1日、 その後取調べが行われて、妊娠が発覚したのが3月22日、 鶴岡八幡宮で舞ったのが4月8日、 出産したのが閏7月29日、 京に帰したのが9月16日か」
時系列を読み上げた鷲は溜息をつき、本を閉じる。
「いつの世も、書き手の都合がいいように創作されているものだからな。ほらここ」
御堂が指さした先にはこう記されていた。
『文治二年(一一八六)九月大十六日己未 靜母子給暇歸洛 御臺所并姫君依憐愍御 多賜重寳 以下省略 吾妻鏡第六巻より』
静御前と母(磯野禅師)が京に帰る。政子と大姫(頼朝と政子の娘)は彼女を憐れんで、多くの重宝を与えたとされている。
「これだって、思いっきり北条寄りの記述だろ。あの北条政子が、敵の妾である静を気にかけるはずはないと思わないか。なんで、わざわざこんな内容が書いてあるんだよ」
納得がいかないと御堂は首を捻る。
「まぁ、吾妻鏡はもともと北条寄りの記録って言われているし、最近では真偽が不確かなものも多いって言われているからね。何もかも鵜呑みにするなってことだろう。大切なのは、今ここに僕たちとあの人がいるって事実だ」
「でもまぁ、これは事実だろうよ」
御堂はまた別のページを開いて、鷲に見せた。
『文治二年(一一八六)二月大廿六日甲戌 二品若公誕生 御母常陸介藤時長女也 御産所 長門江七景遠濱宅也 件女房祗候殿中之間 日來有御密通 依縡露顯 御臺所 猒思甚 仍御産間儀 毎事省略云々 吾妻鏡第6巻より』
二品(頼朝)に男児が誕生した。(後の貞暁)母は、常陸介藤原伊佐時長の娘。内密にしていたこれらの事が、御台所政子に知られてしまう。彼女の嫉妬は酷く、出産後の色々な儀式は取りやめにされたと記されていた。
「あの時代、妾を持つなんて当たり前だったのにな。これだけはあいつに同情する」
「その点は僕も同感だ。通い婚が当たり前だと思っていたあの人には、辛かっただろうね」
二人は顔を見合わせてクスリと笑った。
「それにほらこれ。1193年の『富士の巻狩り』にある逸話。俺達が死んで4年後か。多くの御家人を連れて盛大なことだよな。息子(頼家)が鹿を射ったと喜んで使者を立てて政子に伝えたのに、『騒ぐことではない』ってはっきり言われたらしいぞ。いやぁ、すごい妻だよ」
どこか面白がるように御堂が示した先にはこう記されていた。
『建久四年(一一九三)五月大廿二日丁亥 若公令獲鹿給事將軍家御自愛被差進梶原平二左衛門尉景高於鎌倉令賀申御臺所御方給景高馳參以女房申入之處敢不及御感御使還失面目爲武將之嫡嗣獲原野之鹿鳥強不足爲希有楚忽專使頗其煩歟者景高歸參富士野今日申此趣云々 吾妻鏡第十三巻より』
頼家が鹿を獲った。我が子が可愛い頼朝は、梶原平二左衛門尉景高を鎌倉にいる政子の元へ行かせた。使者の梶原景高は勇んで報告したが、政子は喜ばない。それどころか政子は、武将の息子が野原で鹿や鳥を射るのは当たり前、使いをよこすなど煩わしいだけと言い、梶原景高は戻ってそのままを報告したとされている。
「しかし、結局はわからないことだらけだな。なぜあの人は静を手元に置いておくんだ」
お手上げだと言わんばかりに、鷲は傍にあった観光資料をパラパラと捲る。
「富士の巻狩り……白糸の滝、か。あの人が詠んだとされる和歌があるんだ。あの強い妻がいるわりには、よくこんな情思を吐露したような和歌を詠んだものだね。それにしても、これって……」
「どうした?」
「いや、何でもない。ただの考えすぎだ」
「こうなったら直接聞くしかないな。まずは真意を確かめるか。どうして彼女を必要としているのか聞こう。明日の放課後、俺が神冷を引き留めておく。お前は三年の教室まで来い」
「分かった。気をつけろよ」
翌日、ここは三年生の教室。
御堂は同じクラスの興俄に声をかけた。「話があるから少し残っていろ」と。興俄は黙って頷いた。
そして放課後。
帰り支度を済ませた興俄は御堂を捜した。彼は一人で窓際に立って校庭を眺めていた。興俄は黙って御堂に近づき、彼に倣って隣に並び外を眺める。身長180センチ超えの二人が窓際で並んでいる姿は、なんとも言えない威圧感があった。校庭では運動部が部活動の準備を始めている。バラバラと教室から生徒が出て行く中、二人は終始無言だった。
教室内に残っている生徒がいなくなると、興俄が御堂の方を向いて口を開いた。
「まさかお前があいつの従者とはな。俺に直接話かけるとは身の程知らずめ」
「へっ、やっぱり気づいていたのか。それなら話が早い。もうすぐ鷲がここへ来る。要件は分かるだろ」
御堂がにやりと笑うと教室のドアが開き、緊張した面持ちの鷲が入って来た。彼の姿を視界に入れた興俄は眉を顰める。
「二人揃って何の用だ。俺は忙しい。お前達の相手をしている暇はない。帰るぞ」
鞄を持ち、教室から出ようとする興俄の背中に鷲は声をぶつけた。
「単刀直入に聞きます。なぜ、彼女に拘るんです」
「分かってるんだよ。北川先生があの尼将軍だって。身近に妻がいるんだから、夢野さんは必要ないだろう。あんた一体何がしたいんだ? 鷲への嫌がらせか?」
御堂が覆い被せるように言う。彼は足を止め振り向いた。
「そんな話か。いいか、白拍子の舞は巫女舞を源流とする説もある。あの舞を見た者なら分かるだろう。全ての者の心を掴む不思議な力があるとな。まぁ、お前達は何も知らないだろうが」
不敵な笑みを浮かべる興俄を見て、御堂が顔を顰める。
「おい、バカにしてるのか」
詰め寄る御堂を鷲が制した。
「彼女の舞がどれほど凄いかは、よく知っていますよ。法王に神の子とまで言わせた神泉苑の池での雨乞いも知っています。僕も実際に見た。けれども彼女は何一つ覚醒していない。無自覚な彼女を巻き込むわけにはいかない。否、もしも彼女が前世を覚醒しても、僕が絶対に守ります。貴方には渡さない」
そう言い切った鷲を見て、興俄はフッと息を吐いた。
「守る、ね。現世の彼女は様々なモノと呼応できる。あの力はお前達では手に負えないだろうな」
「え?」
鷲の顔が強張る。
「ほう、その様子ではやはり知らなかったか。お前はまだ、そこまで彼女に信頼されていないのだよ。それでよく、守るなどと言えたものだな」
興俄はしたり顔で二人を見ると、「じゃあな」と言い残し、その場を立ち去った。
「彼女の力……?」
鷲は興俄の言葉を復唱し御堂を見る。
「様々なモノと呼応できるってなんだよ。鷲、聞いていないのか?」
「ああ」
「前世の話をしたのに信じられてないし、お前の告白だって宙ぶらりんのままだろ。あいつが言った彼女の力ってなんだよ。なんだってあいつにばかりアドバンテージがあるんだ」
悔しそうに机を叩く御堂に、鷲は何も言えなった。
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