第32話 交錯する過去と現在①

 冬華は降りしきる雨の中、傘もささず歩いていた。急に降った雨で、道路の至る所には水たまりが出来ている。道行く人は、傘もささず、ずぶ濡れで歩く彼女を横目で見るだけで無関心を装って通り過ぎて行った。


「夢野さん?」

 背後から声をかけられて振り向けば、よく知っている男が立っていた。

「椎葉くん……」

「こんな所でどうしたの? 傘、持ってないの?」

「私、その……」

「俺達と一緒に来る? この先に用があるんだ。こんなに濡れて、風邪をひくよ」

「ほら、椎葉の傘に入りなよ」

 隣にいた御堂が鷲を指さす。鷲はさしていた傘をいったん御堂に預け、己のジャケットを脱ぎ、冬華の肩にかけた。

「え、いいよ。ジャケットが濡れちゃうよ」

「いいから、遠慮しない」

 鷲は御堂から傘を受け取り、冬華の頭上に掲げた。


 彼らは駅に降り立った。駅名は藤沢本町駅と書かれている。先ほどまで強く降っていた雨が、駅の改札を出るといつの間にか止んでいた。見上げれば、青空が広がっている。雲の流れが速い。大雨の下で起こった先ほどの出来事を消し去るように、白い雲が流れていた。


 駅を出て商店街を抜け、しばらく歩く。車が往来する道路沿いにその場所はあった。

 彼らがやって来たのは、比較的新しい鳥居が立っている神社だった。


「やっと戻って来たな」

 歩を進めながら、御堂が言う。

「まさかこの三人で、ここに来るとは思わなかったよ」

 鷲が冬華と御堂を交互に見る。

「三人だから意味があるんじゃねぇの?」

 御堂がにやりと笑った。

「それで、何があったの? あの人と会っていたんだよね。三年生の神冷興俄。夢野さんはあの人の彼女なの?」

 鷲の問いに、冬華は首を横に振った。

「先輩には他に好きな人がいたんだ。だから別れてくださいって言おうとしたの。そしたら先輩は……」

 そこまで言って黙り込んだ。


「話せる内容だけでいいから、僕たちに聞かせてよ」

「ねぇ、前に言っていた『シズカ』って人は亡くなったの? 椎葉くんの家族か恋人だよね」

「え?」

「さっき、興俄先輩にもシズカって呼ばれた。私によく似たその人は、一体誰なの?」

 鷲と御堂は顔を見合わせる。


「少し歩こうか」

 鷲は穏やかな口調で告げて、歩を進めた。御堂も彼に従う。冬華だけその場所に留まるわけにもいかず、彼らの後に続いた。


 三人は神社を出て南に進んだ。鳥居を背にしばらく歩くと、小さな公園のような場所についた。鉄棒と遊具があるこぢんまりとした空間。けれど、何故だか冬華はホッとした。隅にあった茶色いベンチに三人で腰掛ける。


「あのさ、前にも一度聞いたんだけど、輪廻転生って信じる?」

 真剣な顔で鷲が切り出す。

「ああ、その話ね。あったら面白いとは思うけれど、どうだろう。あまり信じてないかな」

「じゃあ、僕達が前世を憶えているって言ったらどうする?」

「え?」

「ある日突然思い出した、という方がしっくりくるな。まぁ、急に覚醒したって感じだろうな」

 茶化すように御堂が言った。


「あれは僕が中一の時、御堂は一学年上の先輩。僕たちはバスケ部の先輩後輩だった」

 何かを思い出すように、鷲はゆっくりと言葉を紡ぐ。紡がれた言葉に御堂が続いた。

「鷲は他の奴よりずば抜けて運動神経が良かった。小柄だが素早いし身軽だし、何よりジャンプ力が凄かった。初めて会った時、なぜだか俺は、こいつの傍にいなきゃいけないと思ったんだ」

「僕も、似たような感じだった。初めて会ったはずなのに、なぜだが御堂の姿に既視感を覚えた。でもどこで会ったのか思い出せない。そしてある日、俺たちは同じ夢を見たんだ」

 一呼吸おいて、鷲は真顔でまっすぐに冬華を見た。

「僕には前世の名前があるんだ。誰だか分かる?」


「もう、何の冗談を言ってるの。前世の名前なんてあるわけないでしょ」

 冬華は笑ったが、彼は真顔のままだ。

「違う、冗談なんかじゃないよ。僕は、僕の前世は」

 鷲はそう言いかけて拳を握りしめ、冬華を見つめた。

「源九郎義経」

「そして俺が武蔵坊弁慶」

 隣に並ぶ御堂が穏やかな口調で付け加える。

「それが、僕達が覚えている前世の名前なんだ」

「は? え? ええと、二人は源義経と弁慶ってこと?」

 状況が理解できない冬華は、目を瞬かせながら二人を見比べる。鷲は頷き、空を見上げた。

「あの頃の僕は、少しでも兄の役に立ちたかっただけだった。この国を護る為、兄のため、僕は敵となる者を次々に討った。平家も滅ぼした。志は同じだったはずなのに……」

「いつしか俺たちは、あの人から追われる身になったんだ」

 御堂が付け加える。

「僕は兄に気持ちを伝え続けた。思いもよらない讒言で、褒められることもなく叱られるなど、悔しさに涙に血が滲むと。前世でよほどの悪行を行った故に、その報いを受けているのかとも思った。そう文にも書いたが、届く事はなかった。信じていたものが、音を立てて崩れ去った。そして、無念のうちに僕たちの命は奥州の平泉で尽きた」

 そう言って彼は唇を噛みしめた。


『左衛門少尉源義經乍恐申上候 意趣者 被撰御代官其一 爲 勅宣之御使 傾 朝敵 顯累代弓箭之藝 雪會稽耻辱 可被抽賞之處 思外依虎口讒言 被黙止莫大之勳功 義經無犯而蒙咎 有功雖無誤 蒙御勘氣之間 空沈紅涙 倩案事意 良藥苦口 忠言逆耳 先言也 因茲 不被糺讒者實否 不被入鎌倉中之間 不能述素意 徒送數日 當于此時 永不奉拝恩顏 骨肉同胞之儀既似空 宿運之極處歟 將又感先世之業因歟 悲哉 此倏 故亡父尊靈不再誕給者 誰人申披愚意之悲歎 何輩垂哀憐哉。事新申状雖似述懷 義經受身躰髪膚於父母 不經幾時節 故頭殿御他界之間 成無實之子 被抱母之懷中 赴大和國宇多郡龍門牧之以來 一日片時不住安堵之思 雖存無甲斐之命許 京都之經廻難治之間 令流行諸國 隱身於在々所々。爲栖邊土遠國 被服仕土民百姓等 然而幸慶忽純熟而爲平家一族追討令上洛之。手合誅戮木曾義仲之後 爲責傾平氏 或時峨々巖石策駿馬 不顧爲敵亡命 或時漫々大海凌風波之難 不痛沈身於海底 懸骸於鯨鯢之鰓 加之爲甲冑於枕 爲弓箭於業 本意併奉休亡魂憤 欲遂年來宿望之外無他事 剩義經補任五位尉之條 當家之面目 希代之重職 何事加之哉 雖然 今愁深歎切 自非佛神御助之外者 爭達愁訴 因茲 以諸神諸社牛王寳印之裏 全不挿野心之旨 奉 驚日本國中大少神祇冥道 雖書進數通起請文 猶以無御宥免 其我國神國也 神不可禀非礼 所憑非于他 偏仰貴殿廣大之御慈悲 伺便宜令達高聞 被廻秘計 被優無誤之旨 預芳免者 及積善之餘慶於家門 永傳榮花於子孫 仍開年來之愁眉 得一期之安寧 不書盡詞 併令省略候畢 欲被垂賢察 義經恐惶謹言 

 元暦二年五月日                 

                 左衛門少尉源義經   進上  因幡前司殿』                                       

                              吾妻鏡第四巻より

これは所謂、義経が大江広元に宛てた腰越状といわれるものである。


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