狩り場、あるいは一人の絶対防衛線

ねこ殿様

前編

吹雪の中、瓦礫の上に腰まで積もった雪をとうの昔に感覚のなくなった足で掻き分けながら、私はゆっくりと前進する。

上に上にと降り重なる雪の重量で固められた氷と雪の中間の様な物を踏みしめるたび、骨がぐにぐにとした物__足裏の肉を地面に押し付ける妙な不快感が私を襲う。

既に身体は限界を迎えていて、それでも尚、生存への欲求がただ宛もなく「歩け」とか細く囁くのだった。

薄く開いた唇から今にも死にそうな病人のように弱々しく息を吸い込むと、乾ききった口腔がひゅうと間の抜けた音をたてると同時に喉にやすりをかけられた様なザラザラとした激痛が走り、激しく咳き込む。

雪に紛れて降ってくる塵を吸い込んだのだ。

対策に布切れを口元に当てていたはずだが、腕をだらりと垂らすだけで精一杯の今はそれを保持し続ける事さえ難しく、どこかで取り落としてしまった。

咳き込む毎に喉と肺が鈍く、しかし刺すように痛む。

早く治まって欲しい私の気持ちとは反対に、咳は一向に止まる気配はない。

さっきから鉄の味がする。

唐突に真っ白な世界が90゜回転し、真っ黒な空が目の前に広がった。

違うか、ふらついて後ろに倒れたんだ。

立ち上がろうとするもどうにもならず、私は冷たい雪の上に倒れ込んだまま身体を丸め、咳が収まるまで耐えることにした。

投げ出した身体に、じわりと血液の通う感覚がしておぞましい。

冷たい雪に触れる左耳がじくじくと痛む。

どれくらい経ったのだろうか、咳はだいぶ収まってきている。

力の入らない腹筋にムチを打ち、やっとの事で上体を起こした私は、前方に不自然な地形を見つけた。

地面が隆起し、渓谷のようなものを形成している。

その奥の方は片方の壁がしなだれるように倒れ込んで洞穴状になっており、入口には風避けだろうか、明らかに人の手で行われたと思しき瓦礫の山が築かれている。

ここには生き残りが居るのか。

身体と共に冷え切った希望が、もう一度熱を帯びていく。



気づくと吹雪は止んでいた。








暗闇の中、緑味を帯びた白濁色の群れが雪煙を上げながら迫ってくるのが見える。

私達は防塵マスクとぶかぶかのコートを身に着け、しんしんと雪の降る中、山盛りに雪の積もった天幕を3人がかりで黙々と剥がしていく。



数ヶ月前ここに辿り着いた時、私は全身を酷い凍傷に犯されていた。

あと少し対処が遅れていれば両手足の切断は免れなかったらしい。

後になって、私はそうならなかった事に深く安堵した。

何故なら、ここで暮らし始めて数日で、手足の無い者__というより、労働力にならない者を生かしておく余裕など何処にも無い事が分かったからだ。

ここは仕事に溢れている。

そのどれもが、明日の命と直に括り付いている。

倫理が入り込む空間は微塵も無かった。

私は知らないうちに、知らない振りをされ見捨てられるか、最悪孕み袋にされるかという危ない橋を渡っていたのだ。



天幕から姿を現したのは、デレルT9というへんてこな見た目をした兵器だった。

これを初めて見た時、「あぁ、こいつは使われなかったんだろうな」と確信したのを覚えている。

4本の脚部、両肩から突き出る12門のガトリング砲、天を突く8門の175mm砲。

確かに正面への火力は高いだろうが、現代戦(と言っても過去の話か)では度を越した火力は求められていない。

欲しいのは確実性と費用対効果の高さを両立した兵器だ。

その点で、こいつは最悪と言っていい。

まず他の戦車と連携が取れない。

集団の中において、戦車と言うには異質すぎるこいつは陣形に組み込み辛いし、何をとち狂ったのか知らないがキャタピラではなく脚という移動手段を採用している。

これでは機動力も損なわれ、迅速な作戦行動を困難にさせる。

そしてこれは私の予想でしか無いのだが、こいつを造るにはきっと馬鹿みたいな金がかかっているのだろう。

他では見かけないような武装を見るに、これら全ては特注品だろう。

これが実際に製造された事が、私には奇跡に思えた。

本当に、こんな状況でなければ日の目を浴びる事などなかっただろう。

機体後方の昇降用はしごから足場によじ登った私は、巨大な弾倉の横にある狭い入口を通って同じく狭い操縦席に乗り込んだ。

閉ざされた操縦席は外界とはまた別の冷たさを湛え、コートを貫通して体温を奪っていく。

手袋と結露してびっしょりと濡れた防塵マスクを取り外し、起動スイッチを押し込むと、若干のタイムラグの後にエンジンが唸りを上げ座席を震わせながら全身に電力を供給してゆく。

それと同時にモニターが起動し、メインカメラに貼り付いた霜のフィルターを通して外の世界を映し出した。

毎度の事ながら、モニターに並列して表示される12と8のレチクルには苦笑せざるを得ない。

さっそく私は射撃の準備に取りかかる。

最初に化け物共との距離を測定すると2.760mと算出された。

だがこれはあくまで目安だ。

これは経験則だが、いくらコンピュータが優秀だと言ってもこの気温では不調を起こすし、加えて悪天候でもあるため誤差が生まれる。

第一射はそのまま射撃し、着弾地点を確認しながら射角を調整していく。

それが1番確実だった。

次に胴体部に後付けした加熱口から熱い蒸気を吹き出させ、凍りついたグリスとガンオイルを融解させる。

熱を奪われたそれらに鉄を焦がすようなスチームを浴びせると、微動だにしなかったモーターが息を吹き返したように滑りを良くする。

そして射撃時には聴くことのできない小気味いい回転音と微かな振動を鼓膜に伝えてくれる。

私はこの作業が一番好きだ。

静の物を動の状態に変える。

たったそれだけの事だが、天幕を剥がしたり機体を起動する時よりも気持ちが切り替わる気がする。

動作確認完了。

いよいよ"鴨撃ち"の始まりだ。

私は一つ身震いして、火器管制装置に手をやる。

これには大量の火器をそれぞれ制御するために、仰角、俯角、旋回角をそれぞれ調節するつまみが無数に付いている。

左手で発射桿を握り、右手で複数のつまみを操作して、最前列を進む化け物達をレチクルに捉える。

トリガーを引き絞ると、けたたましいなんていう言葉では形容出来ない轟音と、闇を裂く閃光と共に75mm砲弾の火線が群れの10mほど手前に突き刺さり、雪煙をあげた。

同時に排莢口から赤熱した空薬莢が吹き出し、こちらも盛大な雪煙に包まれる。

即座につまみを調節し、再びトリガーを引く。

今度放った砲弾の帯は化け物達目掛けて浅い放物線を描いて飛んでゆき、次々と脳天を吹き飛ばし、透きとおる薄桃色の体液をまき散らさせた。

「ラッキー。ピンク」

誰に言うでもなく一人呟く。

感覚器官の貧弱な化け物達は、目の前で仲間の頭が吹き飛んだところで恐れる事もなく、ただ無感情に餌の気配のする方へ身体をうねらせる。

もっとも、恐れなんていう高尚な感情が彼らにあるのかどうかは知らないし、知りたいと思うような興味も無い。

こっちに来るからトリガーを引く、それだけ。


それでも彼らについて知っておかなければならない事がいくつかある。

それは彼らの持つ驚くべき再生能力と、性質と、体液の色の違いについてだ。

まず、彼らの器官は不完全だ。

目や口なんかは無いし、ついでに言うと発声器官も手足も、なんなら頭と呼べるような部分も無い。

脳のある場所を私達が勝手に頭と呼んでいるだけだ。

真面目に解剖したわけでは無いから正確な事は言えないが、内臓類も発達しているとは思えない。

辛うじて耳や鼻があるものの、音に反応する気配は微塵も無し、唯一鼻だけはそこらの猫くらいの働きをするらしい。

生物としては珍しく鼻呼吸が出来ないようだが。

なら彼らはどうやって生きているのか。

口がなければ食事が出来ない、肺がなければ息ができない。

そんな私達の"普通"は異星人である彼らに通じない。

彼らの食事は大胆だ。

その巨体から繰り出す突進で獲物を轢き潰し、その血肉を表皮から吸収するのだ。

そして、彼らの身体が偶にぱっくりと割れる事がある。

それが彼らの呼吸法だ。

次は再生能力について語ろう。

はっきり言って彼らの再生能力は異常だ、速すぎる。

例えばこの75mmガトリング砲の一撃が彼らの脳以外の場所を貫通したとする。

すると、ものの十数分で傷口が塞がり、正常な能力を取り戻すのだ。

それどころか、当たりどころが悪ければ傷口から頭が増えたりもする。

私達はこの再生能力の原因をプラナリアと同様の物と考えた。

プラナリアはやはり異常な再生能力を持つ事で有名だが、それは彼らの身体が非常に原始的な構造になっているからだ。

そして、彼らの場合は身体が原始的な事に加え、遺伝子情報が大幅に簡略化されている可能性がある。

そうとでも考えなければ説明がつかない。

根本的に、地球由来の生物と切り離して考えた方が良いのかもしれない。

現状、彼らを殺す方法はこいつの砲撃で脳をぶち抜く以外に無い。

脳みその大半を吹き飛ばせば、再生する前に死んでしまう、なのだがあのブヨブヨとした身体を貫く火力すら殆ど無いのが現状だった。

最後に体液の色についてだ。

彼らの体液(血液?)には個体差が激しいがヘモグロビンが含まれている。

その量の違いで赤色の濃さが変化する。

一見するとこれの何が重要なのか分からないだろうが、ヘモグロビンが多い個体と少ない個体では厄介さが天と地程に違う。

体液中のヘモグロビンが多いと、それだけ酸素を多く取り込めるということであり、そういう個体は比例して活発なのだ。

活発な個体はその機敏な動きでこちらの狙いを狂わせる。

そうでなくても通常個体とは比べ物にならない速度で防衛戦を突っ切ってくるため、ぐずぐずしていると渓谷の入口まで到達されてしまう。

体液の色は、厄介さの度合いを視覚的に掴むことの出来る重要な情報なのだ。


不意に爆音が途切れる。

積載していた弾が切れたのだ。

横に積んであるガンベルトを、わざわざ後部のアームを操作して装填し直すのも億劫で、私は175mm砲の操作に切り替えた。

あまり動かないレチクルで化け物を追いかけ、じっくりと狙いを定める。

残りの数は少ない。

早く終わらせて、暖かい所で少し眠ろう。

やはり外は寒すぎるのだ。

押し込まれたトリガーのカチリという音が、私に仕事の終わりを告げた。

モニターが閃光に包まれ、それとほぼ同時に激しく映像が揺れる。

機体を揺るがした8門の大砲は、化け物の脳を正確に貫いていた。





「………それで?今日のスコアはどうだったの?」

「30とちょっと。いつもより数は多かったけど、でも今日のはピンクだったから」

私は剥き出しのコンクリートの上で仰向けに寝そべったまま、焚き火を弄る女性の問いに答えた。

彼女の名はアンナという。

焚き火の熱でじっとりと温められた瞼が重い。

「あぁ……前に言ってたわね。赤色が濃い方が面倒くさいんだっけ。じゃあ、今日は楽勝だったんだ」

「そう、楽勝なの。ふざけて鴨撃ちって呼んでるけど、これじゃあ本当の鴨撃ちの方が難しいんじゃないかって思ったくらいには、ね」

「凄いなぁ……って、なんか年寄りの反応みたいになっちゃったけど、いや、でもホントに凄いと思うよ。私だったら、あんなに沢山の機械を同時に操作なんて出来ないよ」

「そんな事言ったら、私は一日中火を絶やさないように番をするなんて、とてもじゃないけど出来ないよ。絶対途中で寝ちゃう」

私が食い下がると、彼女は

「ふふん、そうでしょう?この仕事には絶対に寝ない不屈の精神力が必要不可欠なの。私に適任よ」

と、冗談めかして自慢した。

こういう時、変に食い下がらないのが彼女の良い所だ。

対人関係から切り離せない、特有のへり下りにうんざりしてしまう私は、出会ってすぐにその魅力に魅せられてしまった。

もっとも、自分自身は意識しないとそれを止められないという、ダブルスタンダードの状態にあるのだが。

「あれ?前に言ってたのと違う。確か前は、火の勢いを見て状況に応じて物を焚べる判断能力と、燃やす物をなるべく節約する計画性が必要、って言ってたよ」

「あれ、そうだった?」

テキトウな人だ。

「どっちでも良いけど。それじゃ、私は寝るから」

鴨撃ちの疲労と、暖かい炎、そしてアンナの静かで落ち着いた話し声の働きで、さっきから私は半分眠りについている。

私は時々、彼女こそがこの渓谷の睡魔であるかのように感じる事がある。

彼女と話していると、まるで真夜中にふと目が覚めて、すぐに布団に潜り直したかのような、どうしようもない眠気におそわれるのだ。

勿論彼女との会話がつまらないなんて事はない。

ただ声の調子が心地よい物であるだけだ。

「あ、寝る時は極力寝息を立てないでね」

「はぁ?」

「考えてみてよ、こっちが寝ないぞ、寝ないぞ、って耐えてる時に隣からすうすう寝息が聴こえてきたらこっちも眠くなっちゃうでしょう?」

何か言い返そうと、重い瞼を開いて彼女の顔を睨むと、彼女はある種煽情的な、とろんと弛緩した目をして船を漕いでいた。

黒目の中でオレンジの炎が踊っている。

言い返す気の失せた私は

「わかった、起きたらその仕事交代するから、今は普通に寝かして……」

とだけ言い残して、すとん、と眠りに落ちた。

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