悪女、魔王の秘書官になる~反逆罪で処刑された悪女が地獄で送る死後のセカンドライフ~

猫野早良

第1話 魔王の秘書官

 グレイアム暦1603年


 グローディア王国の王城の一室で、家臣たちに囲まれながら、今まさに一人の老人がこの世を去ろうとしていた。

 彼の名はウィルフレッド1世。

 国民皆から愛され、尊敬された名君だった。


 朦朧もうろうとした意識の中、ウィルフレッドは今際いまわの言葉を繰り返す。


「グレース…グレー…ス……」


 それはウィルフレッドを裏切った部下の名前だった。


 グレース――超人的な魔力と身体能力を有し、女だてらにウィルフレッドの近衛隊長まで務めた人物である。その献身ぶりから、誰もがグレースをウィルフレッドの忠臣だと信じて疑わなかった。


 しかし、ソレは全てまやかしだったのだ。


 グレースは忠臣のふりをしてウィルフレッドに仕える傍ら、裏で彼の家族を亡き者にしていた。そして、とうとう謀反まで起こしてしまったのである。


 だが、グレースの命運もそこまでだった。

 天罰が下ったのか、グレースの反逆はあっけなく鎮圧された。彼女は処刑台に送られ、稀代の悪女として終わりを迎えたのである。


 そんな裏切り者の名前をウィルフレッドは呼んでいるのだ。

 その場にいた家臣たちは、裏切られてもなお彼女のことを想う王の慈悲深さに心を打たれた。


「やっと、君と――……」


 ややあって、ウィルフレッドは事切れた。

 彼が最後に何を言おうとしていたのか、それは家臣たちにも分からなかった。




**************************************

ウィルフレッド1世の死からおよそ三十年後、魔界『第七地獄』某所。



「死ねぇえええっ!こんの女狐がぁっ!!」


 魔族の男がその熊のような巨体を揺らしながら、斧を片手にこちらへ走って来る。

 馬鹿正直に真正面から突進する男に呆れつつ、グレースは自身の右手を掲げた。その瞬間、何もなかった空間から忽然と剣が現れる。

 闇で染め上げたような漆黒の剣は巨大で、グレースの背丈ほどもあった。


 漆黒の大剣は、明らかにグレースの細腕には不似合いな得物だ。自分に合った武器も選べない素人だと思ったのか、男の顔にあざけりの笑みが浮かぶ。

 そして、その表情のまま、男は右半身と左半身が一刀両断されていた。


 おそらく、男は何が何だか分からなかっただろう。グレースが目にも止まらない速さで剣をふるい、斧ごと男を叩き斬ったなんて気付きもせず、彼は絶命したのだ。


 男の身体から噴水のように血があふれ出す。

 返り血を浴びたら服の洗濯が大変だ――なんて思いながら、グレースは器用に血しぶきを避けた。避けながら、特攻隊長がいとも簡単に絶命して呆気に取られているテロリスト他十二名の方へ足を向ける。


「お、女をこちらに近づけるなぁっ!魔法だっ!魔法を使えっ!!」


 いち早く、気を取り直した男の指示に従って、テロリストたちは慌てて呪文を唱え、魔法を放った。

 炎の玉や雷の矢、風の刃などが一斉にグレースに向かって飛来する。


 ゴォオオン――大きな爆発音とともに、もうもうと土煙が上がった。


「へっ、へっ。さすがにこの集中砲火で無事のはずは……」


 テロリストの一人がそう呟いたとき、ローズグレイの長い髪をたなびかせて、煙の中から一人の若い女性が現れる――グレースだ。

 の彼女を目にして、テロリストたちは恐怖に身体を凍り付かせた。




「こちら、第一班グレース。テロリスト共の掃除は完了した。二名は捕虜として確保。第二班、第三班、状況は?」


 念話テレパシーでグレースは部下に状況を尋ねた。今回の任務は、第七地獄王都のS-2地区を占拠したテロリストらの一掃である。

 テロリストの拠点は三箇所あった。そこで、グレースは部隊を三つに分け、同時にテロリストたちを襲撃したのだ。

 ちなみに、第一班はグレース一人だが、第二班と第三班には彼女の部下五人ずつで構成されていた。


『こちら第二班、ラルフ。こっちも片付きました。捕虜一名確保。殺害、十確認』

「よくやった。第二班そちらの被害は?」

『はい、隊長。損耗なし、負傷なしです』

「結構」


 第二班の成果をたたえつつ、グレースは「第三班は?」と引き続き尋ねる。すると、少女のような元気いっぱいの声が返って来た。


『こちら!第三班、ミアですっ!こっちも片付きましたぁ!テロリスト共はきれいさっぱりです!』

「そうか。それで捕虜の確保は?」

『え~と…それがぁ、綺麗に吹き飛んじゃいまして……えへへ。気付いたら、みんな肉塊ミンチに……』

「……」


 グレースは額に手をやり、押し黙った。


馬鹿バカミア!隊長は一拠点につき一人は捕虜にしろって言ってただろ!?黒幕を吐かせなきゃならないからって――』

『バカとは何よ!バカとは!バカって言った方がバカなんだからっ!ラルフのばぁか!』

『お前は子供ガキかっ!?』

『そもそも、このテロリスト共が弱すぎるのがいけないんだからっ!!』

『どういう理屈だよ!それ!!』


 ギャアギャアうるさい部下たちに頭痛を覚えながら、グレースは言う。


「ミア、君は城に帰ったら始末書を書くように」




 天界、人間界、魔界――世界は大きく三つに分かれている。


 天界は、神とそのしもべ神使しんしがいる場所。

 一方、魔界は、かつて天界から追放され堕天した神使しんしとその末裔――魔族たちが牛耳っていた。


 言わずもがな、人間界に住むのは人間だが、彼らにとっても天界と魔界は無関係ではない。

 人間は死後、神使しんしによって『審判』にかけられた。

 人の魂ははかりで罪の重さを測定され、生前の行いに基づき、死後の運命が決定される。


 善行を行った者は輪廻転生し、その魂は再び人間界に戻って、人としての生を受ける。

 罪を犯した者は、天界と人間界の狭間はざまにある幽界で刑罰を受け、罪を償った後、転生する。


 生きている間に特に素晴らしい功績を遺した人間は、神のしもべ――神使しんしとなることも可能だ。

 逆に、幽界でも罪をすすぐことができず、転生するに値しないと判断された大罪人の魂は魔界――いわゆる地獄へ堕とされた。


 地獄に堕ちた亡者は炎でかれ続け、ゆくゆくは真の意味での死を迎えることとなる。地獄の業火により亡者の霊魂は単なるエネルギー体『コア』に還元され、母なる世界樹の下に戻って、新たな魂の材料となるのだ。


 つまり、魔界とは神使しんしによって「不要」と判断された大罪人の掃き溜めと言って良い。

 そして、グレースもそんな風に地獄へ堕とされた罪人の一人だった。




 テロリストの討伐後、十人の部下と捕まえた捕虜を引き連れて、グレースは魔王城に帰還した。これから捕虜に尋問をかけ、テロリストの背後バックにいる魔族の名を吐かせなければならない。

 大方、保守派の貴族連中の誰かだろう――そう当たりをつけつつ、「そう言えば」とグレースは思い出した。

 一応、今回の任務について上司に報告しておくべきだろう、と。


 部下たちに指示を出した後、グレースは独り玉座の間に向かう。


 真っ白な雪星石の床に、黄金の壁、天魔戦争の光景が描かれた壮大な天井画――贅の限りがつくされた玉座の間は、豪華だがきらびやか過ぎて悪趣味だとグレースは思う。

 現在、そこにいるのはグレースと彼女の上司だけで、広い空間はガランとしていた。


 黄金の玉座には、赤銅色の髪の青年が坐していた。人間の年齢で言えば、二十代後半ほどの美丈夫だ。

 彼こそがグレースの上司にして城の主、この第七地獄を統括する魔王ベルンハルトだった。

 

「陛下」


 グレースがベルンハルトに声を掛けると、彼は軽く閉じていた目を開いた。すぐ近くに控えるグレースを目にとめて、ベルンハルトはたちまち相好を崩す。


「やぁ、グレース。帰っていたんだね。お帰り」

「はい。つい先ほど帰還いたしました。陛下は執務をそっちのけで優雅に居眠りですか?」


 しまりない笑みを浮かべる上司ベルンハルトに、グレースは冷たい視線を向けた。


「そんな、誤解だよ」


 ベルンハルトは首を横に振る。


瞑想めいそうをしていたんだ。これも己を鍛える修行の一つ。居眠りなんてとんでもない」

「口元、よだれがついてますよ」

「えっ?あ、本当だ」


 慌ててそでで口を拭うベルンハルト。

 やはり、居眠りをしていたな。コイツ――と、グレースは内心で舌打ちした。

 少し目を離すと、すぐコレだ。ベルンハルトのサボリ癖はもはや病的である。

 グレースがベルンハルトの秘書官になって早九十年が経過するが、その怠け癖にはいつも苦労させられていた。これでも昔よりは改善したのだから、頭の痛い話である。


 この魔界には、七人の魔王がいて、それぞれ【傲慢】、【強欲】、【嫉妬】、【憤怒】、【色欲】、【暴食】、【怠惰】をつかさどるとされるが、これは天界の連中が勝手に決めたことに過ぎない。 

 ただ、ことベルンハルトに関しては、まさに【怠惰】の魔王の名に相応しいと、グレースは考えていた。


「……陛下、S-2地区を占拠していたテロリストの掃討についてご報告したいのですが」

「うん、聞くよ。ほら、もっと傍においで」


 言いながら、ベルンハルトは自分の膝をポンポンと叩く。それはグレースに彼の膝に座ることを要求するジェスチャーだったが、彼女は無視を決め込んだ。


「テロリストの排除は完了いたしました。これから捕虜を取り調べし、彼らの犯行を支援した者を突き止めます」

「そっか、そっか。お疲れ様~。任務で疲れただろう?この後、一緒にお茶でも飲もうよ」

「いいえ。これから捕虜の取り調べがありますので」

「ちょっとくらい、いいじゃないか。働きすぎは身体に毒だよ。ほどほどにしないと……ね?」


 お前はもっと働けっ!!そう言いたいのをこらえながら、「結構です」と一礼し、グレースはきびすを返した。そのまま、玉座の間を出て行こうとする。


 グレースにすげなくされて、ベルンハルトは口を尖らせていたが、一つ欠伸あくびをすると、だらりと姿勢を崩した。グレースにかまってもらえないし、このまま居眠りの続きをしようという腹である。


「ところで…」


 不意にグレースが振り返り、途端にベルンハルトは表情を明るくした。


「なに?なに?俺に用?」

「今日中に決裁の必要な申請書や稟議書。まさか、手つかず……ということはありませんよね?」

「えっ!?」


 ベルンハルトの声が裏返る。そんな彼に、グレースは微笑みかけた。


「あとでチェックしますから。もし、決裁が終わっていなかったら……分かっていますよね?」

「も、もちろんだよ」

「それなら安心いたしました。では、失礼いたします」


 引きつった笑みのベルンハルトに再び一礼すると、今度こそグレースは玉座の間を出て行った。

 一人ポツンと残されたベルンハルトは、小さく呟く。


「仕事……するか」


 そうして、溜息を吐いた。



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