檻降リ語騙リ

木古おうみ

プロローグ

 怪談なんて現状に不満を抱えた弱い奴が好き好んで聞くものだ。


 小学生の頃、確かにそう言った覚えが確かにある。

 その頃、おれはドがつくような田舎暮らしで、宿題もやらずに山で遊んでいるような悪ガキだった。夏休みの読書感想文は親友のタッちゃんに泣きついて、ほとんど代筆してもらっていた。


 だから、当時のおれがそんなに的確な言い回しをできたとは思えない。おれの取り止めのない言葉を、タッちゃんが代わりに上手くまとめてくれたのかもしれない。



 タッちゃんは口元の黒子を上下させて笑った。

恵斗けいとは作り話が嫌いだもんな」

 夏の夕暮れの校庭で、タッちゃんは一番低い鉄棒に腰掛けていた。


 おれは昼間の日差しとタッちゃんの体温でぬるくなった鉄棒の隅に腕をかけて答えた。

「作り話でも面白いのなら好きだよ。でもさ、何でわざわざ作り話で怖かったり嫌な気分になるのがいい訳? そんなの変だろ」


 タッちゃんは小さく笑ったが、馬鹿にされたとは感じなかった。俺が怪談は嫌いだと言うと、他の友だちは皆、ビビってるんだと揶揄った。嗤わないのはタッちゃんだけだ。


 タッちゃんは色白で大人しくて頭がよくかった。おれは冬でも日に焼けていて、教室で馬鹿騒ぎして叱られて、体育以外の成績はひどかった。


 今にして思えば、全く正反対のおれたちが親友でいられたのは、タッちゃんがおれに合わせてくれていたからかもしれない。いつも独りぼっちだったタッちゃんに話しかけるのがおれしかいなかったのも理由のひとつだろう。



 タッちゃんは鉄棒から降りて言った。

「不幸なひとにとっては怪談って作り話じゃないんだよ」

「どういうこと?」

「例えば、『急に幽霊が出てきて殺されるなんて有り得ない。最悪な冗談だ』と思うだろ」

「誰だって思うよ」

「でも、例えば、虐待されて毎日殴り殺されるかもって思いながら生きてる子にとっては、冗談なんかじゃないんだよ」


 おれは黙り込んだ。砂埃まみれの手洗い場の蛇口から水滴が落ちる音が響くほどの静寂だった。



 沈黙に耐えかねた頃、タッちゃんが言った。

「恵斗はそのままでいい」

「何だよそれ、イヤミ?」

「違う。恵斗には不幸になってほしくないから」


 そのとき、おれは外で遊んでいるところを見たことがないタッちゃんが、偶に盛大に転んだような傷を作っていたことを思い出す。

 先程の例え話はタッちゃん自身のことじゃないかと思ったが、聞くことはできなかった。



 タッちゃんは俯いていた。長い前髪が目を隠して、幽霊みたいに見えた。

「恵斗、もうおれと関わらない方がいいかもしれない」

 おれは冗談めかして笑う。それ以外の方法を知らなかった。

「何言ってんだよ。タッちゃんがいなかったら誰が読書感想文書いてくれるんだよ」

「それは自分で頑張れよ」


 タッちゃんは笑い返したが、その笑顔を思い出すことはできなかった。

 古い写真に煙草を押しつけて焦がしたように、タッちゃんの顔が黒い空洞になって記憶から抜け落ちている。


 おれが覚えている小学五年生歳の頃の記憶はここまでだ。あとは、焦げた黒点が広がって全てを塗りつぶしてしまう。



 欠落した記憶の点を結ぶと、最後に行き着くのは夏休み明けの教室だ。


 ニスが剥げた木の床に血溜まりが広がっている。掃除の後、机を並べるために床に貼られた四角のテープが、泡だった血で剥がれかけていた。


 生徒の叫び声と、教師の足音が重なって、耳の奥で音が爆発したようだった。それなのに、幼い手から零れたナイフが床で跳ねる、カランという音はしっかりと聞こえた。



 他に思い出せることは何もない。

 それでいい。恐ろしいものなんて見ていない。扇状的だがよくある事件、それ以上のことはない。


 呪いも幽霊もこの世に存在しない。

 おれは不幸じゃないから、そんなものを信じない。

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