3. 棺桶姫は人としての時間を生きる

 棺桶姫は人間の世界に戻ってきました。

 もう、寝るところも素敵な天蓋付きベットのある塔の寝室です。

 出歩くときも、姫様親衛隊としての髭部隊が警備を固め、ロマンチックな馬車で遠乗りです。

 ちなみに、生き返った兵士たちは、その証の髭をたいそう大事にして、軍部に一大派閥を形成し、死ぬまで伸びた髭を剃らなかったそうです。


 でも、姫の心は空虚でした、そう、愛するフェルナンドが居ないからです。


「こんな事なら、びょうを出るんじゃなかった、そうすれば、ずっとフェルナンドと戦えていたのに」


 そんな事を思う姫さまでした。


 悪魔の呪いはとけて、たいそう美しくなったお姫様ですが、怪力の方は無くなっていませんでした。

 これは、女中が掃除をするときなどにベットを動かしたりの役にたち、下働きの者には大好評なのでした。

 むろん、フェルナンドと戦って鍛え上げられた武道は今でも姫の中にあり、彼を思うよすがとして生きているのですが、お姫様生活の中に武道を使う状況などは皆無でございます。


 ほう、と姫がため息をついている間にも季節は移り変わります。


 姫は、学校に通い、字を覚え、書を読む事を覚えます。

 やさしい声のお友達もできて、表面上はたのしい生活を暮らす姫でしたが、でもなんとなく虚ろな感じは消すことができません。

 それでも、初めての友情や、人との関わりは、姫のこれまでの生活に無かった事で、心が踊る事は止められず、学業に、社交にと、ふわふわと楽しく過ごすのでした。


 社交界にも出て、素敵な殿方とお近づきになり、巧みに舞踏しますが、やはり、姫は血湧き肉躍る武闘の方が好きだな、などと思っています。


 王様はそんな姫を見て、とても満足しています。

 美しく、やさしく育った姫は、王様のご自慢です。


 そんなおり、姫に縁談が持ち上がります。

 お相手は、隣の強大国の王子さまでした。

 姫は心に思うフェルナンドに操を立てて、断りますが、なにしろ相手は強大国です。国境沿いに軍を移動させたり、通商を止めたりと、色々な嫌がらせをした上に、王子を晩餐会へ送り込み、熱烈なプロポーズをするという、軟硬取り混ぜた政治的な圧力をぐいぐいかけてきました。

 王様がみるみる消耗して行くのを見て、姫は決心しました。

 強大国へ嫁入りをすると。


「おまえは今でもフェルナンドを思っているのだろう、だったら良いよ、わしの事は心配するでない、せっかく悪魔の呪いが解けたのだ、好きにして、幸福になるのが一番いい」

「人の世に生きろ、と彼は言いました、人の世とはままならないものなのですから、それが一番良いのです」


 王様は感極まって泣きました。

 姫は王様と抱き合い、自分の少女だった時代が終わるのだなと、少し寂しく思っていました。


 姫は盛大な行列で送られて、強大国へ輿入れしました。

 素晴らしいパレードの中で、にこやかに手をふる姫の心は、すこしだけ、悲しみに染まっていました。


 強大国へ嫁に行って、姫は不幸になったかというと、そうでもありません。

 王子は物静かで穏やかな人で、姫を愛してくれました。

 気になっていた宮廷陰謀の数々も、たいした事はありませんでした。

 たまにくる暗殺者などは、姫にとっては児戯に等しいもので、自ら鉄拳を振るって撃退するたびに、懐かしいびょうでの、あの頃の生活が思い出されて体が熱くなるぐらいでした。


 そして、姫が嫁いで二年、二人の間には玉のような男の子が産まれました。

 強大国のお世継ぎ誕生です。

 姫は子供を産んでも、その若さも美しさも損なう事も無く暮らしておりましたので、宮廷の対立派閥からは魔女では無いかとの噂も流れておりました。


 さて、この強大国は、王子の父王のカリスマによって、中堅国から成り上がり、沢山の国を征服して強大になっていった国です。拡大につぐ拡大、軍拡につぐ軍拡で、国としてもあり方がいびつになっているのに国民も宮廷も、誰も気がついていませんでした。


 父王が狩りの場で落馬して死にました。

 強大国が砕け散っていくのは、これが発端でした。


 王子は王として戴冠しました。姫もお后さまになりましたが、このお話では姫で通しますね。


 強国が瓦解する発端は、強王が死んだ時、というのは珍しい話ではありません。

 物静かで穏やかな王に対し、貴族達がまず反乱を起こします。

 軍を動かして平定をはかりますが、なかなか上手くいかず、上手くいった領地では、貴族が隣国に逃げます。

 そんな状況で、強大国に隣する五つの属国が独立、この地方は乱世の匂いを帯びていきます。

 外交で、派兵で、王は事態の解決を図りますが、果断な行動を避ける方針は攻め手を奮い立たせる効果しかありませんでした。


 あっというまに、主要都市は陥落、連合を組んだ隣国の軍はまっすぐ強大国の首都を目指し行軍を開始し、電撃のように首都を包囲しました。


 翌日には城下街の平民が裏切り、主門を開放、雪崩のように入って来た軍が、城下を無慈悲に破壊しながら王城をめざします。


 破城槌が城門を打ち壊し、敵兵士が、敵騎士が、城内になだれ込みます。

 玉座でぐったりと座り込む王の横で、姫は国が滅びていく姿を目におさめていきます。

 お腹を痛めて産んだ可愛いわが息子は、まだ幼く、姫のスカートにまとわりついて怯えています。


 城の中で、近衛と軍の先鋒がついに刃を交え始めます。


 そんな事態の中で、姫にわき起こる感情が一つありました。


 このまま、国に殉じて死んでも良いのだけれど、一目、あの人の姿を見て死にたいわ。


 姫はフェルナンドの事を思っています。

 人生の最後に思うものは、あのころ、何も解らなかった獣のような自分と、フェルナンドが戦う、びょうの中での生活、余計な物が何も無くて、肉体と肉体をただ打ち合い、しのぎ合い、ひりひりとした緊張感で包まれた、幸せの光景でした。


 あの人に会いたいわ。

 もう、すっかり人の世界に馴染んでしまって、子供もできた私を見て、あの人はなんて言うのかしら。

 いまでも、あの太い笑い方で、私を見てくれるかしら。

 ああ、会いたいわ。


 そして、姫は、一声、上げました。


「フェルナンド、助けて!」


 ガッシャンと、ステンドグラスを打ち破り、やせ馬と共に落ちてきたのは、誰あろう、あの時のままのフェルナンドでした。


「わかった、棺桶姫」


 やせ馬の上で、フェルナンドは太く笑います。

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