清里牛ステーキ

あべせい

清里牛ステーキ



 テレビさくら・制作部。午後10時12分。

「はい、制作……なにッ? そんな電話、こっちに回すなよ。広報でやってくれ。切るよ。エッ、名刺?……テレサタのウスか、ウーン、わかったよ。つないでくれ……もしもし、テレビさくらの制作ですが……」

「あのォ、清里でステーキハウスをしている者ですが……」

「清里? 清里って、あの清里ですか?」

「あのォ、あのって、あのォ清里です」

「それでご用件は?」

「いま、お宅の番組を見ていたのですが、映らないンです」

「失礼ですが、うちはテレビ局です。テレビの故障は、家電メーカーにお願いします」

「でも、映らなかったンです」

「映らなかった? いまは映るンですね?」

「いまもさっきも、映りません」

「あなた、映らなかったとおっしゃったでしょう。だったら、映りませんじゃないですか」

 受話器の向こうで、いきなり、

「どけッ、貸せ! オイ、電話は替わった。聞いているか!」

「ハイ。どなたでしょうか」

「人に名前を聞くときは、まず自分が名乗るのが、社会人の常識じゃないのか!」

「失礼しました。私、テレビさくら制作局第2制作部の伊針(いはり)です」

「わしは、清里のステーキハウス『ドン』のオーナー、牛黒だ。きさまの会社に、臼羽(うすば)というバカディレクターがいるだろう!」

「臼羽ですか?……いますが」

 そのとき、制作局のフロアーにのそりと人影が。

「牛黒さん。ちょうどいい。その臼羽が来ました。いま替わります」

「早く、しろッ!」

 伊針は、臼羽を手招きして、受話器を差し出す。

「清里のステーキハウスからだ」

「清里のステーキハウス?……アッ、それ、やばいッ、す。伊針さん、いない、って言ってください!」

 伊針を必死に拝む。

 伊針は、受話器の送話口を手でふさぎ、

「もう、いると言ったンだ。早く、替われ!」

「出来ません。後生です。伊針さんにも、責任の一端があるンですから」

「なにッ、おれにも責任!? 待て、清里のステーキ……!」

 伊針の顔色が見る見る青ざめる。

 受話器からどなり声が、

「出ないのなら、請求書を送りつけてやる。締めて、1200万円ダ!」

 受話器の向こうで、

「あなた、もうやめましょう。あちらにもいろいろご事情がおありでしょうから……」

「おまえはわかっちゃない。わしがさっき、あれほど赤っ恥をかかされたのを忘れたのか!」

 伊針、意を決して、受話器を構える。

「もしもし、失礼しました。臼羽は一旦戻ってきたのですが、忘れ物を取りに戻ってきたとかで、すぐにまた出かけました。申し訳ありません」

 電話の相手が替わり、

「さようですか。主人はいま私の目の前で横になり、ウンウンうなっております。少々高血圧気味で、いつお迎えがきてもおかしくない……」

「こちらから、改めてお電話を差し上げましょうか」

「それには及びません。いま救急車を手配いたしました」

「!」

「主人の代わりに簡単にお話させていただきます」

 臼羽、伊針の隣で別の受話器を耳に当てて聞いている。

「さきほど、そちらさまのチャンネルで放送がありました番組『秋の甲信越、食べ得グルメ2時間スペシャル』ですが、タレントさんが清里を紹介する場面で、お忘れになられた所がございます」

「なんでしょうか?」

「ちょうど3週間前のきょう、レポーターのタレントさんを含め、7名の撮影隊が私どもの『ドン』にお来しになり、清里牛のサーロインステーキ200グラムをお召しあがりになられました。ところが、今夜ご近所の方々や業者の方々とご一緒に放送を拝見していましたところ、タレントさんがステーキをおいしそうにお食べになっているシーンはおろか、当店の『清里ステーキハウス・ドン』の名前も登場しませんでした。これは何かのお間違いでしょう。きっとそうに違いないと考えまして、お電話を差し上げている次第です」

「待って、待ってください!」

 伊針、送話口を手でふさぎ、

「臼羽、どうなっているンだ。清里ステーキを外したのか!」

「伊針さん、試写用テープをご覧になっていないのですか。お話がなかったので、ご了解いただけたものと思っていました」

「聞いたことに答えろ。清里ステーキをカットしたのか!」

「よんどころない事情ができ、あのシーンはそっくり落としました。苦渋の決断というやつです」

「何が苦渋だ! そこを動くな。待ってろ!」

 伊針、送話口を口に近付け、

「実はあのロケは、私どもの協力会社、テレビサタデーが行ったもので、ディレクターもテレサタの社員で、臼羽といいます。いままた、戻ってきましたので、詳しい事情をご説明させます」

「伊針さん、それはキツイ、キツイですよ」

「いいから、出ろ。おれがうまい知恵をひねり出す。それまでの時間稼ぎだ!」

 臼羽、受話器を押しつけられ、

「もしもし、テレサタの臼羽です。ご無沙汰しております」

「臼羽さん、あの臼羽さんでしょうか。撮影後に、主人が『スタッフのみなさまにも200グラムのサーロインステーキを召しあがっていただきたいのですが』と申しましたとき、『ぼくだけ、300グラムにしていただけませんか。A5ランクの和牛は久しぶりなんです』とおっしゃった」

「は、はいッ。おいしかったです、とても。その節はありがとうございました」

「それで、臼羽さん、そのときおっしゃいましたね。『ステーキハウス・ドン』は、清里エリアの目玉です。10数分は、流せると思います。こんなにうまいステーキなンですから。全国の人に食べてもらわなくっちゃ』って」

「はい」

「放送時間が変わったのでしょうか。きょうの午後8時からのスタートということでしたので、清里牛を生産なさっておられる清い里牧場のご主人をはじめ、そのご家族、ステーキの付け野菜を生産なさっておられる清い沢農場のご主人とそのご家族をお呼びして。もちろんそのときお店にいらっしていたお客さまもご一緒に、70インチの大型テレビの前にお集まりいただいて、みなさまとご一緒に拝見いたしました」

「はい」

「臼羽さんは専門の方ですから、ご存知でしょうが、70インチのテレビは横幅が約1メートル60、縦が約1メートルございます。20数人が集まっても十分、楽しめる大きさです。私が止めるのもきかず、主人がこの日のために購入したものです。百万円近く、かかったかしら」

「はい……」

「みなさん、その大画面の前で、いまかいまかと清里ステーキハウスの紹介場面が登場する瞬間をお待ちいたしました。ところが、どうでしょう。清里の紹介はございました。清里駅と、ひまわり畑、キノコ園、それに展望台から見える八ヶ岳の雄姿。でも、それだけです。そこから場面は信州安曇野に移りました。あのタレントさん、何とおっしゃるタレントさんでしたか。清里名物のソフトクリームを3口で食べて得意になっておられたおバカさんですが、こちらでサーロインをお代わりまでなさったのに、ですよ。どうして、『ドン』だけが放送されなかったのでしょうか。お集まりいただいたみなさまは、放送時間が変更になったのでしょうと慰めてくださいましたが、そうなんですか。本当にそうなンでしょうか?」

「はッ、はい……」

 伊針が脇から、「それで行け」とささやく。

「は、はいッ、急に変更になりました。ご連絡が遅くなり、申し訳ありません」

「それでは、いつ放送になるのですか?」

「それは……局のほうでお決めになることですので、いま番組担当の伊針プロデューサーに代わります。伊針さん、お願いします」

 臼羽、受話器を伊針に押し付ける。

 伊針、観念する。

「きょうのは秋の特番でしたから、こんどは春、4月の番組改編期あたりかと……」

 再び、

「オイッ!」

「ご主人ですか。お体、大丈夫なンですか。奥さまが。救急車を呼ばれたとか……」

「やかましいィ! この夏に撮影したものを、来年の春に放送するって、カッ。バカも休み休み言え! 秋の観光シーズンが近いから、わしはロケに協力したンだ。テレビさくらは詐欺集団か!」

「詐欺!? その言葉は聞き捨てになりません」

「そうだろうが。宣伝になるから取材させてくれ、ってやって来て、金も払わず散々飲み食いして。放送しなかったら詐欺にならンのか!」

「今回は決して詐欺ではありません。事故です。放送事故というものです」

「あんた、伊針といったな」

「はい……」

「珍しい名前だから、覚えているが、あんたの自宅宛てに清里牛のサーロインが届いていないか?」

「イエ、ハイ……」

「どっちなんだ。届いてないのなら、郵便事故だ。郵政に損害賠償を請求しなきゃならン!」

「届いております」

「そっくり、すぐに送り返せ!」

「それは……できません」

「どうして、だ。あのバカディレクターが、『テレビさくらの伊針ピーが、牛ステーキに目がありません。代金は私がお支払いしますから、500グラムだけお送りいただけませんか』とこきゃがったンだ。あのバカは、よく心得ている。ロケを始める前も、 『すべて代金はお支払いしますから』とぬかしやがった。こっちが請求しないのを知っていて、ダッ」

「そうですか。局としましては、代金はその都度支払うよう指導しておりますが……」

「当たり前だ。うちで飲み食いして金を払わないでいいのは、わしとわしの家族と、債権者だけだ」

「ごもっともです」

「わしは、牛ステーキのわずかな代金が惜しくて言っているンじゃない」

「エッ、そうなンですか!」

「てめえに送った500グラムだけは無駄だったと後悔しているが、うちの店に来た連中の食事代くらい、わずかなものだ。わかるか。わしがどうしてこれほどまで怒っているか。サーロインステーキが放送されなかったことは、この先、放送すりゃすむことだ。すぐに編集し直してな。そっちにも再放送枠ってもンがあるだろうが!」

「はい、ございます」

「2週間後、再放送枠で放送すれば、今回の件はどこにもいわずに済ませてやる。いいか!」

「ありがとうございます。牛黒さまの寛大なご処置には頭が下がります」

「ステーキの件はこれでいい。しかし、許せないことがある」

「ほかに、なにか……」

 伊針に、不吉な予感が走る。

「あのバカディレクターは、わしの娘を騙したンだ。これだけは許せン!」

「エッ!? お待ちください……」

 伊針は、臼羽に、

「本当なのか。オイ、おれを左遷させるつもりか」

「伊針さん、誤解です。そんなこと……まさか、あれが……」

「いいか、よォく聞け。わしの娘はミス清里にも選ばれた、親の口から言うのも気が引けるが、まァまァの美形だ。ことし高校を出て、店を手伝っている。その娘に、あのバカが言い寄ったンだ。わしも、放送が終わる寸前、いまから20分前に、娘から聞かされたばかりだ。あのバカは、300グラムをペロリと平らげると、『こんど、番組のレポーターに使ってあげる。その前にカメラテストをしたいから』と言って、ほかのスタッフがまだステーキを食っているのをいいことに、娘をロケ車に乗せ、2人だけで森の中に行った。オイ、聞いているのか」

「ハイ……」

「バカも聞いているのか。返事をしろ!」

「ハ、ハイッ」

「臼羽。おまえ、娘と2人きりになったとき、何をした?」

 臼羽、伊針から受話器を渡され、

「エー、エーッ、思い出せません……」

「ステーキソースの臭いがしみついた、その薄汚い唇を、娘の顔の前に突き出した、だろッ!」

「突き出したというか、つい出たというか。お嬢さんがあまりにも美しくて、冷静さをなくしました」

「娘が、平手打ちで返しただろう」

「その通りです。まだ、その手の平の跡が残っています」

 伊針、臼羽の頬を覗いて納得する。

「しかし、おまえはそれにも懲りず、娘の手を握って引き寄せた。深い森の車の中だ。辺りに人はいない。そのとき、娘は何と言った?」

「お嬢さんは、『本当にレポーターとして出演させていただけるの?』とおっしゃいました」

「おまえは何と答えた?」

 伊針も身を乗り出して、聞き耳を立てる。

「私は、『もちろんだよ。テレサタの臼羽は、周りからウスバカと陰口をたたかれているのは、こんなバカな約束をするからなンだ』と言いました」

「娘は何と言った?」

「お嬢さんは、『うれしいィ! 私、こんなチャンスを待っていたの。さきほどまで撮影した、タレントさんにステーキを差し出すところで、私が映っているでしょう。あのシーン、わたし、清里のおともだちに宣伝する。放送されたら、わたしがタレントになるって、みんな納得するわよ』って」

「それで……」

「それだけです」

 伊針が横から、小声で、

「それだけ? ンなわけないだろう」

「本当にそれだけなンです。私がお嬢さんの肩に手を掛けた途端、私の手首を強くおひねりになって、『放送されたら、テレビ局に行きますから、それまで待って』と。それでも私がお嬢さんの胸に手を触れようとしたら、強烈な往復ビンタを頂戴いたしました」

 伊針が覗くと、臼羽のもう一方の頬にも手の平の跡が。

「当然だ。娘は合気道3段だ。そうでなくて、見知らぬ男と2人きりで車に乗るか。バカ野郎!」

「ハイ、私としたことが。迂闊でした。お嬢さんは強過ぎる」

「娘はともだちに触れ歩いたンだ。『今夜の放送は絶対に見てね』と。電話をかけまくり、楽しみにしていた。娘はいまどうしていると思う。ぼんやりした顔で、真っ黒な空に浮かぶ八ヶ岳の頂きを見ている。この先、娘が自殺したら、どう責任をとるンだ!」

「それは……」

「タダ肉しか食えないおまえらに、責任がとれるっていうのか!」

 伊針、首を傾げながら、

「臼羽、どうして、ステーキハウスを外したンだ。放送していれば、いいことずくめだったのに。合点がいかぬ。ステーキ屋の娘と……」

「それは……レポーターに使ったタレントの下呂が……」

「やつがドラッグで捕まったのか?」

「それはまだ……」

「どうした?」

「いいます。あの野郎、急に有名なステーキチェーン店のCMをとりやがったンです。予定していたタレントが事故で、その代役なンですが、そのCMがきょうから流れるって、事務所から1週間前に連絡があって……」

「そんなことくらいで、清里サーロインを落としたのか」

「そのCM、今夜のうちの特番のなかでも、スポットで流れるっていわれたンですよ。ほら、いま流れているCM」

 テレビを示す。

 ちょうど下呂が、ファミレスらしきテーブルで、ステーキを平らげ、「うまい、お代わり!」と叫んでいる。

「そんな話は聞いてないぞ。おれは、番組担当プロデューサーだ。もっとも、番組スポンサーの変更は連絡が来るが。スポットCMについてはよほどの大口でない限り、営業から連絡は来ない……」

「そうなンです。実際、私も最後までオンエアーを見て、確かめました。ステーキチェーンのスポットはなかった。結局、下呂の事務所にはめられたンです。あいつら、ステーキチェーン店にヨイショしたくて、私にデマを流したンです。CMに使われるかどうかの、最終候補にすぎなかったンですよ」

「ステーキチェーン店の安い外国産ステーキを宣伝しているタレントが、清里の高級和牛ステーキにうつつをぬかしていては、CMの最終候補から外されると深読みしたか」

「私は、それが言いたくて、この時間、伊針さんに会いに来たンです……」

 受話器から、牛黒の声が、

「オイ、いい加減しろ!」

「臼羽、貸せ!」

 伊針、受話器を取り上げる。

「牛黒さん、わかりました。お嬢さんを、私の旅番組のレポーターに起用します。いますぐにお嬢さんにお伝えください。ただし、お約束できるのは、1度だけ。あとは、お嬢さんの出来次第です。スタッフやスポンサーの反応がよければ、この先準レギとしてお願いします。よくなければ、それきりということで、いかがでしょうか」

「おォ、そうか。そこまで腹をくくってくれるのなら、わしに言うことはない」

「それから、編集でカットされたステーキハウス『ドン』のシーンは、お話の通り、今夜の特番を編集し直して、近く午後の再放送枠で放送します」

「きさま、わかってきたじゃないか。うちのサーロイン500グラムが、恋しくなってきたようだな」


               (了)   

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清里牛ステーキ あべせい @abesei

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