第4話 存在しない落語家

 60年代のとある寄席にて、存在しない人間が高座にあがっていたことがある。


 60年代にテレビで演芸ブームが巻き起こると、それに引っ張られるように寄席も繁盛した。存在しない人間が出没していたという寄席も当時おおいに盛り上がっており、落語家だけでなく芸人たちも寄席にあがってずいぶんと賑わっていた。

 なかでも川亭流木という落語家はたいへんな人気だった。

 川亭流木はその当時からファンがついていたといい、ひょこひょこといつの間にか出てきて高座にあがると、それだけでかなり盛り上がったという。


 当時の寄席を楽しんでいた人々はこう語る。

「そういえば当時そんな名前の人気落語家がいた」

「川亭流木が好きだった」

「あの人の話はとても面白くて毎週のように通った」

「そういえば当時そんな名前の落語家がいた」

「他の落語家目当てで行ってファンになった」

 と、その活躍が寄席の中だけであったのを惜しむ声が多数あがっていた。


 しかし不思議なことに、川亭流木がどんな落語をしたのか、あるいはどんな落語が好きだったかと尋ねると、だれひとりとして内容をさっぱり覚えていなかった。覚えていても曖昧で、川亭流木の容姿や動作、どんな色の着物を着ていたかなどはなんとなく記憶にあるものの、どんな話をしていたかをまったく覚えていないのだという。

 同様に同じ寄席に出ていた落語家や芸人も、舞台袖でもまったく姿を見ないうえに、本人を見かけないので、「いったいどこの所属なのか」「面白いのにまったく姿を見ないし、そもそもだれなのかわからない」「一般人にも思えないのに、いつの間にか高座にあがっている」と不思議に思っていたそうだ。


 寄席のオーナーをしていた人物が後に語ったところによると、「川亭流木はいつの間にか高座に上がっており、いつの間にか消えていた。捕まえようとしても煙のようにいなくなった。けれども彼が語る落語は面白かったらしくて、客を次から次へと呼んでいた。うちみたいな小さな寄席には本当にありがたかった。そのころにはもはや川亭流木が何者なのかどうでもよかった。何者であれ、利益を生んでくれたんだから」という。

 しかしオーナーは「川亭流木の話を覚えているか」と問われると、真っ青な顔になり、「その話は……すみません」と言葉少なに口をつぐんだ。あきらかに何かを知っているようだったし、実際に川亭流木がなにを語っていたのか覚えているようだったが、オーナーがそれ以上なにかを語ることはなかった。


 後日談として、そのオーナーは後日電話にて「川亭流木の落語のことで話したいことがある」と言ってくれたものの、結局語られる機会はないままになってしまった。約束の日付を待たず、川に飛び込んで亡くなってしまったからである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る