第6話 初恋フレッシュ

 ラベルタの初恋は、親友レーレル・ルルの兄であり、父サンドットの弟子、三級冒険者のリーリド・ルルだった。


 行方不明、否、遠い地で『死んだ』ラベルタの父サンドットから拍動杖シャムカディカを受け継いだリーリド・ルルだったが、ウーバウに帰郷した際、少し修行をすると言って出て行った後、帰ってこなかった。ラベルタがまだ五歳の頃。こうしてあっさりと、彼女の初恋は終わってしまった。リーリドが死んで、どうしてラベルタがあんなに泣くのか。理由を知る者は誰もいない。


 ちなみに、彼の部屋に残っていたシャムカディカは、妹弟子であり婚約者のゼゴラ・タナトへ譲渡された。そして今は、ゼゴラの弟子となったレーレルに譲られている。


「おぇっ」


 宿屋『帰り星』の裏手で、ラベルタは嘔吐した。心配そうに、犬型の穢具〈影を追う黒い爪〉ことカゲクロウが寄って来る。消え入りそうな声で大丈夫、とだけ言った彼女は、ハンカチで口元を拭って、呼吸を整える。


 だが、それでも気持ちは収まらない。もうほとんど忘れかけていたのに、リーリドの顔が頭を過る。


『リーリドを殺したときだって完璧だったんだし。兄妹そろって同じ場所で始末してやる』


 ゼゴラの言葉。ついさっき、集落の酒場『夢の上』で聞いた、恐ろしい言葉。


「そんなこと、ないよね?」


 ラベルタはカゲクロウに話しかける。カゲクロウには、そもそも会話する機能はない。ただ、主人が悲鳴を上げていないか様子を確認するだけ。ラベルタは首を振った。


 確かに、ゼゴラのことを憎く思ったことはある。子供心に、リーリドとゼゴラの距離が異様に近いことで胸をかき乱された覚えもある。だが、それ以上に、ゼゴラは家族、否、それ以上に頼れる大人だった。レーレルとはまた違う、まさに姉と呼べる存在だった。


『だから、代わり作んの。そのために帰って来たんだから」』

『ああ。次はラベルタだ。レーレルは殺す。で、代わりにラベルタ連れて、また冒険って寸法よ!』

『じゃあ早く襲っちまいなよ。まだ生娘だろ。なんで今までぐずぐずしてるんだ』

『わたしは傷心のかわいそうなラベルタを連れて集落を出る、優しいお姉さまってことでさ』


「嘘だよね」


 思い出すと、また吐き気がする。自分が信じているゼゴラと、同一人物の言葉だとは思えない。否、思いたくなかった。ゼゴラは確かによく酒を飲むし、酔っぱらって人に迷惑を掛けることなんていつものこと。ガサツで杜撰で、適当。酔っているときと素面のときで、真逆のことを言うことも少なくない。今回のことも、酔った勢いで出た、間違いかもしれない。覚えはないが、自分の言動が、ゼゴラを傷つけたということも考えられる。それならば、きちんと謝らないといけないだろう。良くない方向に考えすぎるのはよくない。


「晩御飯、用意しなきゃね」


 結局、晩御飯のメニューの相談はしそびれた。買い物に行く気も起きない。キッチンにある材料を使うことにした。料理は好きだ。集中していれば、少し嫌なことがあっても忘れられる。深呼吸して、体を落ち着かせる――だが、こちらをじっと見つめる、カゲクロウの視線が気になった。確かにカゲクロウに会話を行う機能はないが、その気配には敏感だ。自分の心身の乱れに気付ているのだろう。


『じゃあ、わたしが壊しておいてやるよ』

『もう少し飲んだら宿屋に戻って、わたしが犬を壊して来る』


 ゼゴラの言葉。これは、嘘だと思う。確かに、自分以外に評判のいい穢具ではない。だけど、この子は、父も母もいなくなった今、唯一の家族といっていい。幼いころからずっと自分の傍にいた、大切な家族だ。その事はゼゴラもよく知っているはずだ。そんなことするはずがない。わかりきっていることだ。


「……カゲクロウ、今日は外じゃなくて、お家に居ようか。一緒にご飯作ろう」


 いつもは外で番犬をさせているそれを、宿の中に誘導した。しかし、その足取りは重い。


『レーレル、そろそろ用済みかなあ。殺すか』

『冒険者の弟子なんてもんは、師匠の食い物にされてやっと価値が出るってもんよ』

『リーリドを殺したときだって完璧だったんだし。レーレルも一緒だ。兄妹揃って同じ場所で始末してやる』


「レーレル……」


 ついつい、思い出してしまう。そして、そうなると、う止まらない。う、と呻き、再び地面に蹲る。そして、吐瀉する。そうして、自分の胸の裡にあった疑問がようやくわかった。


 ――どうして。どうして酔っぱらっただけで、あんなに酷いことを言えるのか。もしかしたら、本心でそう思っているのではないか。ゼゴラは今までずっと嘘をついていたのではないか。本当は自分も、レーレルのことすらも嫌いだったのではないか。


 ――嫌い? もしかしたらそれ以下で、ずっとただの商売道具にしか思っていなかったのではないか。


 どんどん悪い方向に想像が向かうのが止まらない。ラベルタは自分の肩を抱いて、落ち着こうとするが、浅い呼吸が止まらない。


 そのとき、ふと、今朝方にゼゴラが言っていたことを思い出した。


『質問だっていいぞ。なんでも、お姉さんに訊くがいい』

 

 ゼゴラの伝えたかったであろう意味は少し違うが、これは一つの真理だ。『聞けばいい』のだ。だって、ゼゴラはなんだかんだ言って、いつもラベルタのことを思って行動してくれる。危ない魔物が来たって、宿屋に差し掛かる前に、汗だくになって守ってくれるし、今日だって不埒な冒険者を追い払ってくれた。


 だから、訊けばいいのだ。少し驚いた顔をした後、いつもみたいに快活に笑って、ごめんごめん、嘘だよ、と言ってくれるだろう。もしかしたら、そのあとにレーレルへの、ちょっとした愚痴がおまけでついてくるかもしれないが。レーレルは繊細さに欠けることがある。でも、それくらいなら、自分こそが笑って聞いてあげよう。


 ――だって、わたし達三人は姉妹みたいなものだから。


 でも、もしかしたら今日、ゼゴラはレーレルを『探しに』森に行くかもしれない。そうして、一晩は帰ってこない『かもしれない』のだ。そうすると、落ち着いて話す機会がない、かもしれない。


 話す場所をきちんと作ろう。今日のゼゴラの部屋は広いし、掃除も完璧。そうだ、彼女の大好きな香も焚いておこう。


 ラベルタは新たに決意を固めて立ち上がる。


 ラベルタが父も母もいない宿屋を守り続けている理由はいくつかあるが、そもそも、彼女は誰かを喜ばすことが大好きなのだ。


 ラベルタはスキップしたくなる気持ちを抑え、素振りに出かけたレーレルを探しに行った。その後ろをついていくカゲクロウは、ずっと低い声で唸っている。敵の姿は見えない。

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