第40話:馬車でのふたり

「お久しぶりです、クロエ様。マデリーンがお世話になっています」


 大柄なニールを見上げ、クロエは笑顔を浮かべた。


「今日は御者をしてくれてありがとう」

「いえ、これくらい」


 ニールが早口で言うと、御者台に乗る。


「ほら、クロエ。早く出発しましょう」

「ええ」


 玄関に見送りに来てくれたエイデンを振り返る。


「エイデン様、明日帰りますので」

「ああ、気をつけるんだぞ」

「はい!」


 エイデンに手を振り、クロエは馬車に乗り込んだ。

 エイデンの黒塗りの高級な馬車とは比べるべくもないが、それでもちゃんと屋根付きの馬車だ。


「いってきます!」


 馬車が走り出した。

 かなりの速度だ。このぶんだと夜遅くなる前に村に着くだろう。

 ガタガタ揺れる馬車の車窓から、どんどん城が遠ざかっていく。


(ああ、なんだか寂しい……)


 それはクロエが城をもう家だと認識していることに他ならない。


(帰る場所があるってありがたいわ……)


 エイデンと出会わなければ自分はどうなっていただろう。


「ねえ、クロエ」

「なあに、マデリーン」

「素敵な指輪ね、それ」

「あ、ああ、これ……エイデン様にいただいたの」

「婚約のあかし、とか?」

「そうね……」


 王家につらなる者としていただいたものだ。


「そう言って差しつかえないと思う……」

「なあに、ずいぶん持って回った言い方ね。素直に婚約指輪だと言えばいいのに」


 マデリーンがくすっと笑う。


「あのお城だけれど……ずいぶん寂しいというか、人の気配がないのね」

「ええ。住んでいるのは三人だから」

「さ、三人!? 使用人は?」

「一人だけよ。料理長は毎日通いで来てくれているの」

「じゃあ、掃除や洗濯は……」

「私とケランで。私がいなかった時はケランが全部一人でやっていたの」

「信じられない……あんなに広い城なのに?」


 マデリーンが驚くのも無理はない。本来なら数十人の使用人がいて当然の規模の城なのだ。


「他の使用人は?」

「前の辺境伯……カーターがほとんど解雇してしまっていて……だから私兵もいないの」


 領民たちが恐れたのは、カーターが雇い入れた私兵の集団だ。

 粗暴で暴力や破壊をためらわない私兵たちは、長い間恐れられていた。


「私兵がいない……? じゃあ、私たちは何も知らずにただ怯えていたの?」


 カーターの横暴が通ったのは、徹底した武力ありきだったのだ。


「ええ。いつからかわからないけれど……。でも、花嫁を送らなければ、きっと新たに傭兵やならず者を雇って送り込んできたでしょうね」

「そうね……」


 村が襲われる想像をしてぞっとしたのか、マデリーンが腕をさすった。


「数少ない使用人も、カーターが亡くなって逃げ出したらしいの。エイデン様は何も知らずに赴任してきて、閑散かんさんとした城内にとても驚かれたみたい」

「でしょうね」

「そのうえ、私みたいな生贄の娘たちがやってきて……」

「そういえば、他の娘たちはどうしたの?」


 一瞬ためらったが、生死についてはマデリーンに嘘をつくほどのことではないだろうと判断した。


「私と同じ。エイデン様に助けられたの」

「その子たちはどこに? 村に戻ったの?」

「さあ、知らないわ。でも全員生きているのは確かよ」


 生贄だった娘たちが王都で別人として新生活を送っていることは、言わないほうがいいだろう。

 万が一にも彼女たちに迷惑がかかってはいけない。

 ふっとマデリーンが口元に笑みを浮かべた。


「そう……他の娘たちは城内にはいないのね」

「え、ええ……」


 なぜマデリーンが他の生贄の娘たちを気にするかわからず、クロエは言葉を濁した。


「でも、侍女もいないんじゃ、クロエは王子の妃としての優雅な生活とは程遠いんじゃないの?」

「そうね。土まみれだし、全然優雅じゃないわね」


 クロエは思わず笑ってしまった。

 形だけは王子の婚約者などとご大層だが、やっていることは王族の姫とはかけ離れている。


(やっぱり、私って庶民なんだな……)


 ドレスを着てパーティーに出かけるよりも、美しい庭を作ったり、城を整えたりする方が楽しい。


(エイデン様は本当に私なんかでいいのだろうか……)


「使用人は増やすんでしょう?」

「ええ。王都からも来てもらえるよう、エイデン様が手配したわ」

「そう……それならいいんだけど」


 マデリーンがぼそっと呟いたが、クロエの耳には届かなかった。

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