第15話:クロエのいる日常

「おはようございます、エイデン様!」


 ノックの音とともに、ドアが開けられる。


「う……ん……」


 はきはきしたクロエの声に、エイデンは目をこすりながら起き上がった。

 クロエを驚かせないように、ちゃんと寝間着を着ているのを触って確認する。

 年頃の女の子と暮らしているのだ。

 気をつけなくてはならない。


「おはよう、クロエ……」


 シャッと音がして、カーテンが大きく開けられる。

 眩しい朝の日差しに、エイデンは薄青の瞳を細めた。


「もう朝食の用意ができていますよ」


 クロエがきびきびと着替えの用意をしてくれる。


「うん……すまないな、毎日……ふあ……」


 エイデンは大きくあくびをした。

 クロエがこの城に来て、早一週間がたっていた。

 彼女は驚くほどこの城での生活に馴染なじんでいる。

 毎朝エイデンを起こすのはケランの役割だったのが、今やすっかりクロエに代わっている。


 若い娘が男の寝室に入るのはいかがなものか、ちゃんと自分で起きねば、などと殊勝に思ったものの、結局寝起きが悪いのは直せず今にいたる。

 すっかりクロエに甘えてしまっており、忸怩じくじたる思いでいっぱいだ。


「じゃあ、朝食の用意ができていますから、身支度ができたら食堂に下りてきてくださいね」


 そう言うと、クロエはエイデンが脱ぎ捨てた服を集めてさっと部屋を出て行った。

 朝からてきぱきと動けるケランやクロエは、まるで自分とは違う生き物のようだ。

 エイデンはのろのろと起き上がり、寝間着を脱いだ。


(クロエは働き者だな……。明るくて素直でいい子だし、どこに行ってもやっていけるだろう……)


 今年、花嫁の儀でこの城にやってきた生贄の娘はクロエをいれて6人。

 中にはお嬢様育ちでどうなることかと心配になるような頼りない子もいたが、王都での生活は存外楽しいようで、どの子も問題なく生活しているとの報告があった。

 ホッとすると同時に、彼女たちが城にいる間は暗い顔をしていたことを思い出す。


(やはり、若い娘がこの城で暮らすのはつらいことなのだろう……)


 王族として生まれたときから注目を浴び、しがらみの中で生きてきたエイデンは、のんびりと自由に暮らす生活を多忙ながらも満喫していた。

 だが、もともと不便な村で育った娘たちにとっては、いろんな店があり、大勢の人で賑わっている王都のような都会が魅力的に映るようだ。


(当然だな……。綺麗な服や雑貨、美味しい食べ物。学校や仕事だっていくらでも選べる……)


 だから、クロエも他の娘たちと同じように二、三日で王都に行きたいと言い出すと思っていたのだが。


(全然、出て行く気配がない……)


 クロエは着飾らなくても、ハッとするような清廉な空気をまとった美しい少女だ。

 なのに、ドレスではなく作業着を着て生き生きと土いじりをし、馬に乗る練習をしている。

 彼女が所望しょもうするのは服や髪飾りではなく、レンガや花の苗。


(あんな女性は初めてだ……)


 贅沢に慣れた王都の貴族の女性たちはもちろん、自分を王子だと知った生贄の娘たちの中にも、エイデンに物や好意をねだってくる者がいた。

 エイデンも過剰にならないよう気を配りつつ、期待にこたえてきた。


 だが、クロエだけは違った。

 何かを与えようとするたび、遠慮し、申し訳なさそうにする。

 彼女が自分から欲しがるのは、この城をより良くするための必需品だけだ。

 思わずもっと自分を大事にしろ、と言いたくなる。


(本当に変わった娘だ……)


 クロエは対価を求めることなく、ただひたすら働いている。

 彼女の願いは『この城にいたい』ということ。

 それは前任者の悪行の犠牲となった彼女の当然の権利だ。


 大げさでなくクロエが望むなら、エイデンはこの城でずっとのんびりと暮らしてもらっても構わないと思っている。

 女性を一人養うくらい、エイデンにとっては容易たやすいことだ。

 だが、彼女はそれを良しとしなかった。


気高けだかく誇り高い……)


 そんな言葉が浮かぶほどだ。

 彼女の働きぶりには、あのケランですら一目いちもく置くようになった。


 ケランは他の生贄の娘たちにはまったく興味を示さず、必要最小限しか話さなかったのに、クロエとはよく話すようになった。

 それどころか自分の仕事の一部――エイデンの世話など――もクロエに任せている。

 クロエを認め、信頼している、ということだ。

 この短期間にクロエは、この城になくてはならない人材となりつつあった。


(頼りすぎてはいけないんだがな……)


 クロエはいつかここを出ていく存在だ。

 彼女ならば希望の仕事に就けるだろうし、いずれは結婚もするだろう。

 そのことを考えるたび、もやっと心に何か消化できないものが渦巻く。


(俺は惜しいと思っているのか、クロエが去るのを)


 自分の未熟さがうとましい。

 クロエのおかげで城の玄関口は明るく整えられ始め、出入りするたびに気持ちが明るくなる。

 クロエの笑顔を見ると、仕事でささくれだった心が癒やされる。

 いつも一人で食べていた食事も、二人でないと物足りない。


(いかんな……)


 ずっとここにいてほしいという気持ちと、責任を持って彼女を新しい人生に送り出さねばという気持ちがせめぎ合っている。


(そろそろちゃんと、クロエの今後を話し合わねばな)

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