わたしは、「  」と呼ばれている。

山十 翔

・・・・・・




 わたしの一日は、ピーという鳴き声と、生暖かい匂いと共にはじまる。

 あれはあいつが獲物を食らう合図であり、同時にわたしの腹ごしらえの目印でもある。

 山を下り、野を通り、塀を乗り越えた先に、いつもあいつは待っている。


「おーい、飯の時間だぞー」


 タツロウ。こいつは周りからそう呼ばれている。

 生え変わりが激しいのか、会う度にいつも毛皮が変わっている。うまい獲物も獲ってくるし、こいつのことはチビのときから知っているが、わからないことがまだ多い。

 だが、そんなことはいい。こいつの獲ってくる獲物は、そんじょそこらの野ねずみやトカゲよりもうまい。

 柔らかくて噛みやすい。しまいには喉ごしもいい。一体どこから見つけてくるのだか。

 ちとしょっぱいのは否めないがな。


「どうだ、サバ缶の味は? いつもブリ缶だから、少しは別のやつを振る舞ってやろうと思ってな。お前のために仕入れてきたんだぜ?」


 タツロウがぺちゃくちゃとうるさいが、獲物のうまさには代えられない。無くなっても、匂いや残り汁でなんとか満足感を延ばす。


「あ、おい。もう行っちまうのか? 猫ってわかんねーなァ」


 触られる前に退散する。

 タツロウに限った話ではないが。タツロウに似た姿の輩は、なぜだか食ってる最中や、昼寝をしているときに触りたがる。

 お陰で、毛並みが乱れて繕うのが大変だ。こいつらの匂いもついちまって、他の奴等からも変に睨まれたこともある。

 声をかける分には構わないが、触るのはやめてほしい。

 いや、やはりあまり声もかけないでほしい。こいつらの鳴き声は、ごちゃごちゃしていて聞き取りづらい。おまけに無駄に大きい。

 耳がどうにかなっちまう。

 タツロウが呼んでいるが無視だ。絶対に触ってくるし、挙げ句の果てには持ち上げられる。

 わたしがチビのときには、よくおっかあが首根っこを持ち上げてくれていたが。あれとは比べ物にならないくらいに、タツロウの場合は高い。

 別に、高いところは怖くない。怖いのは力ずくで丸められることだ。

 わたしはダンゴムシではない。そんなことをされたら、腰が折られてしまうのではないかと心配になる。

 早く、今日の安住の地を見つけなければ。




 ここはタツロウに似た姿の獣が多い。そいつらはニンゲンだと教わった。

 だが、意外にもニンゲン達の縄張り意識は、わたし達と同じくらい低い。なんなら、その場を離れるやつもいる。

 わたしは縄張りに固執しない。縄張りにあるものは、獲物も寝床も、すぐに無くなっちまう。

 だが、ニンゲン達はいい。なにもしないで、わたし達に獲物を分けてくれる。

 とてもありがたい。しかし、そこが不思議だ。

 仲間同士、争うことも無く。獲物を分かち合い、わたしたちと違ってどたばたと暮らしている。

 とはいえ、もの申したいこともある。それが、あのワンワンうるさいイヌって獣だ。

 あいつらは鼻が利く。だから、どこにいてもすぐにみつかっちまう。そうして途端に、ワンワンと吠え散らかす。

 お陰で、満足のいく寝床を探すのが一苦労だ。たまに、空気を読んで見逃してくれるいいやつもいる。

 それと、クルマ。タツロウが、あのぴかぴかな獣をそう呼んでいるあいつだ。

 あいつはニンゲンやイヌよりも訳がわからない。一見おとなしそうに見えて、ニンゲンを飲み込むと途端に元気になって、ブーブーブーブーと、イヌよりも騒がしい。

 だから、場所探しにはできるだけクルマが無いところがいい。

 それは全員の奴等が同じことを思っている。

 まだ縄張りにされていない小さな野原。空き地、ここが最適だ。


「おまえも来たのかよ」

「わたしが来ちゃまずいか?」 


 灰色のトラ、だと思う。向けられた視線と、鼻をつくような酸っぱい匂いがするから。


「最近、わたしの目が曇っているようなのだが。どうだ? わたしはおかしいか?」


 柔らかい芝に座り込んで、灰色のトラに訊ねる。


「ああ、おかしい。前におっちんだニケみてーになってんぞ。おまえもお迎えが近いのかもな。精々、余生を楽しめよ」

「そうか。ありがとう」


 灰色のトラは戸惑うこと無く、いつも通りのんびりと教えてくれた。

 前におっちんだと言うサビのニケ。彼はわたしにとって、兄弟みたいなものであり、気づくとそこにいる影の薄いやつだった。

 獲物を分け合い、寝所を分け合い、いつの間にか一緒にいて当然なのがニケだった。

 だが、先日に見たあいつは物言わぬ肉塊となって、カラスと呼ばれる黒い獣に貪られていた。

 あのときのニケは、とても悲惨なものであったが。かなしいとは思わなかった。

 ニケはカラスの獲物となったのだ。何も言えない獣は、食われるだけの獲物となる。

 わたしはそんな始末は御免だ。どうせなら、誰も知らないところでひっそりと土に帰り、そこを墓場としたい。

 そのためにはまず、灰色のトラの言う通りに残りの生を謳歌しよう。


「どこへ行く? この時間なら、まだ他の奴等は来ないぞ」

「暇が無くなった。わたしは行かなければならない。ほんの刹那も、無駄にしたくはない」


 去るわたしを見て灰色のトラは、寝返りをうって背を向き、「勝手にしろ」と無愛想に言い捨てた。

 取り敢えず、迎えが来る前に縄張りを一回りするとしようか。




 昼は不意に疲れてくる。空腹でぶっ倒れる前に、寄っていくか。

 ショーテンガイ。ここはそう呼ばれている。

 ニンゲン達に溢れ、仲間達は隅っこの影に潜んではぐうたらとしている。

 ここは四六時中、ニンゲン達ががやがやしていて寝所にはあまり向いていない。だが、まったくの得が無いわけではない。

 すり寄れば、獲物を分けてくれるし。タツロウとは違って、放っておいてくれるニンゲンも多い。カシャカシャと変な音を立てて寄って来るやつはやっかいだがな。


「おや、また遊びに来たのかい?」


 ミカミ。

 タツロウよりは小さく、弱そうなやつで、他のニンゲン達からはミカミばーさんと呼ばれている。

 やさい、という色とりどりの獲物を分け与えている。わたしにもだ。

 これがうまいかと言われれば、そうでもない。みずみずしいが、味はしない。道端の草とそれほど変わらず、正直、あまり好きではない。

 いらないと言う前に、ミカミが一方的に渡してくるからとても勿体無い。

 やさいに飽きたら次はにくだ。


「まーた来やがったのか。ったく、飽きないねー。お前も」


 ここにはハヤシってやつがいて、他よりニンゲンが少ない。

 トリ、ブタ、ウシ、ってやつのにくを分けてくれる。これを求めて、立ち寄る仲間達も多い。

 少しべたべたして落ち着かないが、柔らかい。このにくという獲物は、やさいよりも腹に入る。

 仲間達の中では、そういうところが病みつきになるらしい。わたしは生きていければそれでいいから、別に獲物に下手物も上手物も求めない。

 好き嫌いしていては、その時点から寿命は短くなる。

 一際、仲間の匂いが漂うところには、カンバラというニンゲンがいる。

 他とは違い、大きくて、色が黒くて、物静かで、きゃっとふーどをくれる。

 タツロウよりも大きい前足で触られるが、あいつよりは控えめで弁えがある。最初は仲間達と共に警戒していたが、今は慣れた。

 このショーテンガイは、ニンゲンが多くてうるさい。うるさいが、獲物を分けてくれるからそんなに嫌いじゃない。

 道を一度外れれば、じめじめしてて冷ややかながらも、格好の寝所がある。

 とはいえ、ここにいる仲間はあまり好かん。なぜなら、彼らはわたしと違い、場を追い出されたからだ。

 命からがらここへ来て、余所者に勝手にはいられることをよしとはしない。


「おい、ここはオイラの寝所だぞ! とっとと失せろ!」


 若いクロだな。トラやニケとは違って、分かち合うことの義を知らない。

 かなり苦労したのだろう。若い頃のわたしと同じだ。


「すまないな。少しでいい。ここで休ませてくれ。済んだらすぐに移る。だからそう毛を逆立てるな」

「はっ! そう言って、オイラを騙そうってんだろ? そうはいかないよ! オイラの獲物を横取りして、寝所を奪う気だ!」


 ギラギラと睨みつけてくるクロは、必死だった。

 仲間達は、皆が皆全て友好的というわけではない。若いうちは余裕がなく、ぴくぴくしがちなのだ。

 おっかあがみていたときの安心感が無くなり、それ故に刺々しくなっちまう。わたしも、一時は彼のように訪れる仲間に対し牙を向け、よく引っ掻き合ったものだ。

 そんなとき、わたしはある仲間にであった。

 白地に薄茶のマダラ。わたしは彼と出会った。

 マダラはわたしの威嚇をものともせず、ただ一言、「そんなことして面白いか?」と訊ねてきた。

 面白い訳がない。なにせ、わたしだけの憩いの場に、どこのものとも知れないやつがいる。

 やっと手にいれたというのに、腹が立つのは当然のことだ。

 わたしはそう訴えた。だが、マダラは悟った風に、落ち着いてこう返してきた。


「そんなシャーシャーしたって、得られるもんも得られんよ。所帯、獲物、寝所。行き着く暇が無いんじゃ、早死に確定だな」


 そう言われて、考え出したのはマダラが死んだと聞いてからだ。

 マダラは縄張りに拘らず、転々としていたらしい。遠目で見た仲間の話によると、最後は歩いているところを、パタリと横に倒れておっちんだ。

 マダラは何が楽しくて、勝手に縄張りに入ってくるのか。同じ歳になってようやくわかった。

 むなしいからだ。

 ただギザギザして一日を過ごすより、気ままに歩き回っていた方が何倍も楽しい。

 気がつけば、わたしはこうなっていた。

 このクロも、あとになって気づくだろう。固執することのむなしさを。


「早死にはするなよ」


 そう言ってわたしは立ち去った。

 クロは最後までシャーシャーと怒っていたが、いつか飽きてくれることを願う。




 夜が来た。

 こうなってくると、本格的にわたしたちの時間だ。影から這い寄る仲間達は、わたしのように徘徊を始める。

 この時は、すべての縄張りは隔てを無くしたわたしたちだけの社交場だ。

 今日起きた出来事や、夢の話、さらには九死に一生を得たというような縁起の悪い話まで、仲間内で交わされる。

 わたしもまた、昼に会った灰色のトラとこの日に出会ったクロのことを語り合っていた。


「そうか。ショーテンガイにそんなやつが。はた迷惑なやつだ」

「まあ、そう言うな。彼だって、いずれはわかってくれるさ。今は余裕を知らないだけで」

「余裕ね。前に言ってた、マダラってやつの持論か? まるで滑稽だな。自分で言えないことをやるなんて、不自由で退屈そうだ」


 灰色のトラは冷たく言った。

 彼の言う通り。当初のわたしも、そう思っていた。だから気づくのが遅れた。


「滑稽でも不自由でもいい。それよか、わたしはマダラの言ったことを持論とは思わないよ」

「ん? ならなんだっていうんだ?」


 わたしは他の仲間達を見回した。


「矜持。マダラに限った話ではなく、わたしたち全員の矜持。滑稽だの、不自由だのと抜かしていては、決して辿り着けないだろう結論だ」


 別に、意識していなくてもいい。あくまでもこれはわたしの思想だ。

 誰もがそうで、誰もが違くてもなにも言わない。わかってくれとも思わない。

 仲間達の顔を見ていて、この中の幾らが矜持を得たか、なんと無くわかる。


「それではわたしは失礼するよ」

「またあいつのところに行くのか?」

「ああ。お迎えが近いときみに言われたからね。未練は残したくはない。そうでなくとも、わたしがそうしたいだけなんだよ」


 わたしは灰色のトラと別れ、彼女の元へと向かった。

 彼女はあるニンゲンと共に暮らしている。仲間達からは囲われ者と呼ばれ、蔑まれている。

 だが、わたしはそうは思わない。

 囲われ者であろうと、わたしは彼女に惹かれたのだ。

 わたしとは違って、綺麗な白い毛。大きな黄色い瞳。夜に見上げるとあるあの光にそっくりだ。

 昼の光は眩しくてかなわないが、この夜の光はしつこさがなく、この身を包んでくれているような優しさを感じる。

 彼女が住んでいるのは、石の壁に囲まれたニンゲンの穴蔵だ。

 壁の高さはそれほどなく、なんとか飛び乗れる。

 ここから彼女を探すのは簡単だ。なにせ、彼女はいつも光を発しているところに居り、なおかつ彼女自身とても目映い。


「やあ。元気かい?」


 彼女が何て呼ばれているかは知らない。そのため、わたしは彼女をヒメと呼んでいる。

 白く艶やかな毛並み、そして夜の光を納めたような黄色い眼。

 どうにも、彼女を前にしてしまうと、わたしは緊張してしまう。不思議と、気が収まらない。


「私はいつも、元気にございますよ」


 見えない壁に阻まれ、わたしは姿形だけのヒメしかわからない。

 声は聞こえないし、匂いも想像できない。しかし、彼女の言いたいことは伝わってくる。


「今宵もまた、飽きずに来てくれたのですね」

「わたしにとって、あなたとこうして顔を合わせられることは、ある種の生き甲斐のようなものだからね。今夜も、一層と美しい。まるで夜の光が降りてきたようだ」

「まあ、お上手。これはニンゲン様が、丁寧に丁寧に繕ってくれました。喜んでいただいたようでよかったです」


 彼女と共に暮らすニンゲンは、仲間達からはおろか、わたしから見てもかなりの変わり者だと思う。

 タツロウと少し似ているが、外側が違う。言うなれば、わたしがタツロウだとしたら、この穴蔵に棲むニンゲンはヒメのよう。


「そのニンゲンは、今は何をしているんだい?」

「今は、おふろに入っていますよ。わたしもたまに入れてもらっています。中々に気持ちのよいものですよ? あなたもよかったらいかがでしょう」

「いや、わたしは遠慮するよ」


 ヒメの話によると、そのおふろとやらはみずに浸かって繕う方法らしいのだが。ヒメには悪いが、そもそもみずは苦手だ。

 毛皮がにゅるにゅるして心地が悪い。

 ヒメとの楽しい会話をしていると、彼女の後ろからニンゲンが現れた。

 ニンゲンは一番長い毛の束を繕いながら、わたしの方に目を向けた。すると、またすぐどこかに消えて、ガチャンという音がしたらわたしのところに歩いてきた。


「キミ、また来たの?」


 前足に何か持っており、鼻を突き出すとそれはそれは魅力的な匂いに絡まれた。


「はい。召し上がれ」


 タツロウよりも小さくて丸っこい前足。タツロウよりもいい匂い。タツロウよりも、わたしたちのことをわかっている。

 控えめな鳴き声ですすめられ、わたしはニンゲンの持つ極上の獲物にありつく。細長くて、忘れようにも忘れられない美味。

 こんな獲物を毎日いただいているとは。いつもながら、ヒメはなんとも怪しからん。


「ごめんね。うちはもうあの子の世話で手一杯だから、二匹目は飼えないの。だからこれで勘弁してね」


 ニンゲンが何か小さく鳴いている気がしたが、わたしは構わず舌を動かす。

 わたしはヒメが羨ましい。

 タツロウもいいが、このようなニンゲンと暮らせたのなら、お迎えが来ても少しは楽に逝けるのだろうか。

 このニンゲンの触れ方は優しい。油断をすると、瞼が重くなる。

 最後は、誰にも知られずひっそりと、と思っていたが。この心地よさに溺れながらの方が、案外悪くないのかもしれない。





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わたしは、「  」と呼ばれている。 山十 翔 @kakeluyamato

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