第18話 黒頭はその手を汚さない②

 ひしめきむらがる樹木つづきの緑の隙間から、臆病な小動物が巣穴から外界を窺うように、標的を狙う影があった。

 彼の名は闇樂あんらく雄鶏おんどりの妖怪である。妖術と弓矢の射程範囲には当然に限りがあり、くわえて標的に自らの居場所を気取られぬようにしなくてはならぬ。最速最善の位置取りを常に鶏冠とさかの如く反り返った前髪の載った頭の中で、彼は模索し続けていた。

 脳裏に線香花火ほどの予感が閃く。妖術で具現化させた卵が割れると、術者である闇樂あんらくに知らせる仕組みになっていた。

 麻で結った弦を引き絞ると、竹で造った弓が鋼鉄のような弾性でしなった。


 狙う相手は河の流れに乗って不安定に揺れる舟の上、しかも闇樂あんらくの眼からは人参ほどにしか見えない距離に居る。射手の業前が如何なるものでも、先端に削って尖らせた黒曜石をあしらった程度の矢では必殺の武器になり得ない距離だ。そもそも弓矢は多数の射手で矢衾にするか、接近して放つのが基本である。

 では、何故。

 先程は何故、只の一射で美猴王びこうおうの頸部を貫いたのか。

 闇樂あんらくの弓矢を暗殺技足らしめたのは【卵】の存在である。対象の位置に不幸を撒き散らせる卵を発生させ、射る。浴びた不幸の量で生死が決まるが、結果は大概良くない事だけが相手に起きる。

 余談ではあるが、何故雄鶏おんどりである闇樂あんらくの妖術で具現化されたものが卵であるのかは誰も、闇樂あんらく本人ですらも理解わからない。


 ぎりぎりと引き絞った弦を解き放つ。

美しい放物線を描いて矢が飛んだ。が、すんでの所で命中を免れたらしく対象には当たらなかった。

 がりっと奥歯を噛み締める。

 矢の存在が気付かれた。奇襲は気付かれないから有効なのだ。即座にその場から飛び退き、樹皮に裂け目の入った老大杉に駆け上がった。位置を気取らまいと存在感を消す。

 念の為、もう一人の近くに卵を設置したが、先程の卵が不発だったのならば、妖術の仕掛けを見破られた可能性が濃い。

 固唾を飲んで様子を観察していると、次の卵が割れ、もう一人のでか物が舟の甲板から河にずり落ちそうになっているのが見えた。


「間抜けめ」


 遠目に見ても連中が慌てているのが判る。緊張が少し解けて、連中に微笑ましさすら感じていた。次の卵を設置し、とどめの弓を構える。


 ぐちゃっと不快な音がした。


 思わずびくっと躰を震わせ周囲を確認する。足元に何かが飛んできたようだった。何かが。


「な、何だ」


 連中が何か投げつけてきたのだろうか。しかし、どうやって場所を把握したのか。もう一度、舟の上に視線を移すと、間違いなく小さい方の一人が此方を見ている。


「待て、奴ら【何】を投げつけたんだ」


 ぎしっと足場にしていた枝が揺れた。振り向くと同時に、衝撃が腹部を貫く。強烈な抉り込むような前蹴りを喰らって闇樂あんらくの躰が、くの字に折れた。


「いやぁ、幸運ついてるぜ。たまたま辿り着いた岸で隠れてた敵がまる見えだなんてな」


 殺した筈の、河に落ちた筈の美猴王びこうおうが背後に居た。正に驚異的な体幹。片脚立ちで枝の上に立っている。


「まさか卵を、そんな馬鹿な。割らずに掴むことなど、出来る筈は」


「おいおい、ふらつくと危ないぞ。足元注意しないとな。危なっかしくて殴れやしねぇぜ」


 酩酊者のように躰を揺らしていた闇樂あんらくは枝から足を踏み外し転落した。地から這い出した硬い巨木の根の上に落下して、そのまま仰向けで気絶したようだった。





 一方、舟の上では、生気を失ったような表情の百里魔眼ひゃくりまがん土蹴どしゅうが腰をついて項垂れていた。傍らに狐化した弟を首に巻いた喬狐きょうこが立っている。


「流石にもう駄目かと思うたわい。とっさに卵を氷漬けにするとは」


「どうでもいいが、主様は何処に行ったのだ」


「さっき土蹴どしゅうに卵を投げさせた先におる。しかし、もう、この舟は駄目だな」


 そうか、と残念そうに呟くと喬狐きょうこ土蹴どしゅうの背に這い登った。


「前にな、無理矢理滝壺に飛び込まされてからと云うもの水が怖くてな。まぁ、宜しく頼む。浅いとこなら大丈夫であろう」


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