【第一章・第十二話】瞳の奥に隠されたもの
「もう、随分と昔の話だがな。変わらず、お元気だと良いのだが」
「そういえば、明日、城下町に皇族の方が視察に来られるようですね。サフィア様ではないかもしれませんが、気になるのなら出かけてみてはいかがでしょう?接客もだいぶ出来るようになりましたし、少しの間ならわたしが店番を___」
その後の言葉が続かなかったのは、勘違いだったのかと思うほどの数秒、お師匠様の瞳が潤んだように見えたからだ。けれど、それを確認する前に瞬きによって遮られた。それが再び現れたときには、既に普段の色を浮かべている。
「いや……遠慮しておこう。ティアを頼ってばかりでは悪いしな」
少々、無神経な発言だったかもしれない。かつての主を心配するお師匠様に、せっかくなら会ってきてはどうだろうと考えて言った言葉だったが、お師匠様が皇城の近くになんて足を踏み入れることなどないと、わたしは知っていたはずなのに。
「これは例え話だが……私はもう死んでいる、と言えば、ティアはどうする?」
お師匠様は、唐突にそんなことを言った。
その発言は、いったい今の話と、どんな関係があるのだろうか。お師匠様は、真剣な話をしているときに無関係なことは言わない。真意を探るように凪いだ瞳を見つめれば、わざとらしく微笑まれる。
「嘘、ではないのですね?」
「ふふっ、ただの例え話だと言っているだろう?」
「お師匠様は、そういう嘘はつかない方だと存じております」
「それは……ありがたいことだな」
まるで作り物のような笑みが寂しさを隠しているように見えるのに、お師匠様の声色は至って普段通りだ。なにかを隠している声なのだろうか、これは。どこか、瞳も静かな気配がする。いつもはもう少し、色々な感情が浮かんでいるのに。
やはり、わたしになにかを隠している。
この件以外のことも……きっと、たくさんのことを。
そしてそれは、お師匠様がこの店を始める理由になったなにかだ。寂しさを含んだ、お師匠様の心の中に仕舞い込まれた一等大切なもの。先程、少しだけ覗いた記憶の片鱗。
「嘘はついていなくとも、もしかしたら全てただの夢だったりして、な」
隠しているなにかに踏み込めないわたしを置いて、当の本人はにたりと意地の悪い顔で笑うから、思わず手を伸ばしてしまった。触れた頰は仄かな温もりを宿している。
わたしは小さな憤りを込めて、少しだけ力を入れて抓った。すると、お師匠様は、痛い、と思ってもないことを言う。
「これが、夢であるはずがないでしょう?」
「そうは言っても……抓るのは酷いだろう」
「だって、一番分かりやすい方法だと思ったから」
そう答えながら、わたしはそっと抓ったところをなぞる。お師匠様は、怒りたいような、そうでないような、複雑そうな顔をしていた。
人の頰にそう触れたことがあるわけではないが、お師匠様の肌はひどく触り心地がいい。まあ、本当は人ではないのかもしれないのだが。そのまま戯れるように触れていたら、いい加減にしなさい、とでも言いたげな瞳が胡乱げな光を帯びた。
先程までの凪いだ瞳よりは、ずっといい。そう思ったら少しだけ笑みが零れて、それがまた、お師匠様に不機嫌そうな顔をさせた。
「……ティア」
「すみません。触り心地が、思いのほか良くて。人に触れたことは、あまりないからかもしれません」
「喜んでいいのか、微妙だな…」
そう言ったお師匠様は、本当に微妙そうな顔をしていた。
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