第4話 都内、鹿野迷宮邸⑤
「芸名?」
「知らん。子ども生まれたーって話は傘牧場が解散してすぐに聞いたけど」
「ちょっとちょっと待ってください」
スマートフォンの画面を指差しながら言葉を交わす宍戸と不田房のあいだに、鹿野が割って入る。
「あのですね、私たち怪奇現象に慣れすぎではないですか!? 冷静に考えてください、宍戸さんのスマホの画面が勝手にぐるぐる回って……それでこの、石波小春さん? の写真で止まったんですよね? これ絶対おかしいですよ!」
「そういえばそうか」
と、顎を撫でながら宍戸が応じる。
「じゃこのスマホ触らない方がいいかな」
「人の実家に呪物置いていかないでください!」
「それもそうか」
宍戸は肩を竦めて笑い、それから慎重な手付きでスマートフォンを拾い上げる。特にこれといった異変は起こらない、が。
「動かん……」
画面をタップしたり、指先でスライドしたりしながら宍戸が唸る。石波小春の宣材写真──笑顔ではなく、どこか冷えた仏頂面の写真の掲載ページから移動できなくなっているのだ。
「電源落としてみたら?」
「落ちねえ〜っ!!」
「ああもう……」
呑気な不田房、スマートフォンと取っ組み合う宍戸を交互に見、鹿野はうんざりと頭を抱えた。
「もうなんか、たぶん駄目ですよ」
「去年機種変したばっかりだぞ」
「そういう意味じゃなくて」
石波小春さん。
鹿野は心底困り果てた様子でその名を舌に乗せる。
「うち、見かけました、わりと最近」
「え」
「小春ちゃんを?」
瞬時にスマートフォンから興味を失ったらしい宍戸と、能世春木と不動繭理のあいだに生まれた娘を「小春ちゃん」と呼ぶ不田房が、同時に鹿野の顔を注視した。
「どこで?」
「終電で。あのー……宍戸さん覚えてます? 新宿の喫茶店で探偵さんから色々聞いたじゃないですか。あの帰りの電車の中で」
「あの時」
「えっちょっと待って。そうだよその探偵ってさぁ、」
「不田房さんは黙っててください! あのですね、そう、なんかすごく綺麗な女の子がいるなぁってぼんやり見ちゃったんですよ私。でその子……私が降りる駅とは全然違うところで下車したんですけど」
それだけなら構わない。石波小春だって電車で移動することぐらいあるだろう。その車両に、鹿野素直が乗り合わせることだって。
「……こっちを見たんですよ」
僅かな沈黙ののち、鹿野は言った。
「ドアが閉まって、窓越しに、石波さんこっちを見てた」
宍戸が眉を顰め、「何か言われた?」と不田房が尋ねる。鹿野は首を横に振る。
「何かを言ってはいました。でも聞こえなかった。ドア閉まってたし」
「……小春ちゃん」
いつの間にか、宍戸のスマホの液晶画面はブラックアウトしていた。自身のスマートフォンを取り出しながら、不田房が呟く。
「生まれた時に連絡もらって……デビューしたのはいつ頃だったかな。一応さ、能世と不動のこと知ってる俺ら、元傘牧場のメンバーにはお達しがあって」
「どんな?」
宍戸の問いに、不田房は左手の人差し指をくちびるの前にピンと立てる。
「能世、不動の娘だってことを絶対言うなって。箝口令よ」
「それって効果あったんですか?」
次いで尋ねる鹿野に不田房は小首を傾げ、
「わからない。……鹿野は知ってた? 小春ちゃんのこと」
「いや……不勉強で申し訳ないですが、名前を見たことがあるだけで顔までは知らなかったですね。結構出演してるじゃないですか、舞台。歌がうまいのかな? 音楽劇のチラシとか見てると名前を……」
「俺と一緒に一〇年仕事してる鹿野がこうだから、まあ成功してるんだとは思うよ。小春ちゃんが親の七光りを背負ってない設定は」
右手でスマートフォンを操作していた不田房はそう言うと、
「あ、今はこれか。新宿のアートシアター・ムーンパレスで……それこそ音楽劇に出演中」
「ムーンパレス? ずいぶんちっちゃいとこに出てんだな」
宍戸が驚いたような声を上げる。そう。アートシアター・ムーンパレスは文字通りの小劇場だ。客席は七〇から、良くて百といったところ。それ以上の椅子を詰め込んだら消防法に引っかかる。
「当日券結構あるね」
「あるんですか。……能世さんや、不動さんのファンが見に行ったりはしてない?」
「してないってことでしょ。ま小春ちゃんには小春ちゃんのファンが付いてて、親のことを知ってても知らん顔してる可能性もあるけど──」
「不田房、当日券三枚押さえろ」
「にゃ?」
うんともすんとも言わなくなったスマートフォンをデニムのポケットに押し込みながら宍戸が言う。
「石波小春のツラ拝みに行くぞ」
「宍戸さん、そんな、石波さんには何もない可能性もあるんですよ?」
「本気で言ってるのか鹿野?」
「……」
本気ではない。人気戯曲作家、演出家、俳優の能世春木が関わる舞台で奇妙な事故が何件も発生し、鹿野、宍戸の仲間である不田房栄治も巻き込まれた。不田房と離れているあいだに鹿野と宍戸は探偵を雇って情報を収集し、その結果を聞いた帰り道で鹿野素直は石波小春──舞台上で起きた事故のいちばん初めの被害者となった能世春木の実の、娘と遭遇し、記憶間違いでなければ彼女に何かを言われた。
石波小春に何もない可能性は──著しく低い。
「予約完了」
「げっ」
「何鹿野その声」
「ああ……いや家の外に出るんだなぁって……」
「そうだよ? 迷宮さんにはあとでお礼言うとして」
「あのですねそういう問題でなく……」
「俺たちは、迷宮さんの家という安全地帯を出て、劇場というヤバい場所に向かう」
座椅子から腰を上げ、宍戸クサリが宣言する。
「不田房が東京にいるあいだに全部解決するぞ。北海道の客まで落胆させるわけにはいかねえからな」
「し、宍戸さん、俺のために!?」
「高いチケット買って公演を待ってる客のためだ。不田房栄治、おまえはついで」
ついでかぁ〜と笑う不田房が、「鹿野戸締り頼むぞ!」と声を上げる宍戸が、廊下を通って玄関に向かってしまう。
──なんであんな人たちと組ん取るんじゃろう。うち、もしかして人を見る目がないんかな。
内心そう呟きながら、鹿野はいつの間にかリビングに戻ってきたチョッパーの頭を優しく撫でた。
「ちいと出かけてくるけえ。留守番しとってな」
そうして上着を羽織り、よく晴れた家の外へと足を踏み出した。
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