第2話 新宿区、喫茶店
「
「
「いや別に……不田房さん、講師の時そんな話しましたっけ? 私、演出助手で食うようになってから
「……そうだっけ? まあいいじゃん。宍戸さんも俺もあんまり変わんないよ! 寧ろ似たような感じだよ!」
それは絶対に違うな──と思いながら、
銀髪のマスターが、カウンター席に並んで座る鹿野と不田房の前にブレンドコーヒーと、それに銀色の灰皿を置いてくれる。「ありがとうございます」と小さくお礼を言った鹿野は紫煙を大きく吐き出し、
「宍戸さんと不田房さんはまったく別の人間ですし普段の言動にも重なる部分はないと思うんですが」
「厳しっ」
「その、
「うんうん、そうなんだよ。結局
「能世さん」
コーヒーにミルクを注ぎながら、鹿野は小首を傾げる。不田房栄治と同い年、同じ時期に同じ大学に通っていて、共に『
鹿野の傍らでコーヒーに琥珀色の砂糖をザラザラと投入している不田房はといえば、大学生の頃は能世の指揮の下で俳優を、卒業と同時に劇団が解散して以降は見様見真似で戯曲を書き、演出家としての活動を始めた。しかしさすがにそれだけでは食っていけないという理由で、とある大学に新設された授業・演劇講座の講師に就任したのがきっかけで、鹿野と不田房は知り合った。当時は生徒と講師だった。鹿野は演劇にさほど興味がなく──だが色々あって不田房に首根っこを捕まれ、演劇講座内で行われる舞台公演に演出助手として携わることになる。ふたりの縁は鹿野が大学を卒業してからも続き、今も演出家不田房栄治と演出助手鹿野素直は相棒同士として活動している。
「能世さん、新作だったんですか」
「うん」
「面白かったですか?」
「どうかな。能世の戯曲はもう大学の時に散々浴びまくったから、今更いいも悪いもないっていうか」
それはそれで損な経験だな、と鹿野は思う。能世春木の人気は年々増す一方で、ファンクラブを通してもなかなか席を押さえることができないというのが現状だ。鹿野のような「能世春木か。人気あるな。ちょっと見てみるか」程度の熱量では、チケット争奪戦に勝つどころか参加することもできない。そんな状態で、『代役』という立場とはいえ同じ稽古場に立った感想が「どうかな」。能世春木の熱狂的ファンに知られたら張り倒されること間違いなしだ。
「不田房さんは、誰の代役だったんですか?」
「ん? 能世」
「能世さん?」
「そう能世。あいつも今回結構台詞多い役だったからね。もし自分に何かあった時──風邪でもインフルエンザでも交通事故でも酔っ払って居酒屋の階段から転落とかなんでもいいけど──に代役を勤めるのが、元傘牧場の俺ならお客さんも納得するだろって理由で呼び付けられた」
「ははあ」
なるほど。納得。新しい煙草に火を点けながら、「何事もなくて良かったですね」と鹿野は言った。能世春木が作演出出演を担当する、都内の大規模劇場・イッセンマンシアター主催公演『
「いやさ、それが意外と何事もなくなくてさ」
「はあ?」
スプーンでコーヒーカップをがちゃがちゃとかき回しながら不田房が言った。鹿野は僅かに眉根を寄せる。
あまり良い予感がしない。
「なんかさあ、能世のやつ、最近怪奇現象に悩まされてるらしくて」
「……ストーカーとかじゃなくてですか? 能世さんモテるでしょうし」
「生きてるやつじゃないっぽいんだよねぇ」
「は……」
あまり深く聞きたい話ではない──そう思いながら口元を引き攣らせる鹿野の目の前に、チーズケーキが乗った皿が置かれる。注文してないのに。
「面白そうじゃねえか、不田房。聞かせろよ」
「ちょぉっ……と! マスター!」
鹿野も不田房もこの店の常連である。銀髪に白い髭を蓄えた七〇絡みのマスターとも、知らぬ仲ではない。
とはいえ。
「面倒臭いの嫌です! 幽霊とかお化けとか嫌いです!」
「でもさー鹿野さー見えるタイプじゃん」
「見えるだけで何の対処もできません! 能世さんは……能世さんが悪霊に取り憑かれているなら、なんかそういうのどうにかできる人に紹介してあげればいいじゃないですかっ!」
「そうそう。紹介したんだよ。紹介した上でこの話なんだけどね」
テンポが急に変わる。さすが現役演出家にして、副業俳優。話を操るのがうまい。マスターからのサービスであるチーズケーキにフォークを突き刺しながら、鹿野は唸るように言った。
「私は、絶対に能世さんには会いませんからね」
「不田房いるー?」
喫茶店の扉に付けられているドアベルが、大きな音を立てた。
「いらっしゃい」
「すみません待ち合わせ……おー不田房! 迷ったぞ俺!」
マスターに愛想良く微笑み、不田房にひらひらと手を振る痩身に金髪、それにライトグレーのレンズが入った丸眼鏡姿の男──能世春木を目にし、終わった、と鹿野は思った。
終わった。
だってもう、見えている。
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