第5信 過去からの手紙


 📞📞 来信 📞📞



 可愛い千代丸 

 いえ いまは菊池 四郎 武光殿でしたね


 武光殿は今 どちらにおいでなのですか

 もう元服を済ませ わらわではなくなったお前様が 

 今さら神隠しに遭ったとは 母はどうしても思えぬのです


 人攫ひとさらいに遭ったという者もおりますが

 僅か十四とは言え 鬼神のごとく剣も弓も達者なお前様が 

 人に遅れをとるはずがありませぬ


 殿様ちちうえ 叔父上様 跡目様あにうえはじめ

 ご家臣の多くも大友氏に討たれたと聞きました

 でもいくら初陣とはいえ お前様が討たれるはずはない 

 お前様には不動明王様と 観世音菩薩様のご加護がついています

 そう母は信じております


 なにか事情があってのことならば 母は全てを飲み込みましょう

 なにゆえ姿を見せぬのか 言えぬ理由わけなら聞きますまい 

 しかし今こそ 殿様ちちうえの跡を継ぎ

 お前様が おいえのために立つときではありませぬか


 この文を かの地に詳しい間者しのびに託します


 文のひとつ 便りのひとつでよいのです

 お前様の無事を 母に知らせてくださいませ

 さすればこの母が 万の援軍を差し向けましょう


 妾腹そくしつの子と 軽んじられた日々もここまで

 武光殿 いまこそ お前様の時なのです

 殿様ちちうえ跡目様あにうえの無念をはらすのです


 いま菊池のおいえは お前様の肩にかかっているのですよ




 📞📞 返信 📞📞



母上様


 被下くだされし御手紙しかと拝見致しそろ

 腹中に心案こころづもりありて今は身を隠しおれどもそれがし息災にて 母上様の御賢察恐れ入り候

 過日の決戦に於いては当家武運つたなく敗走致せどもそれがし一身は蟻の如く群がる大友の兵を軽々蹴散らし 敵無き原を歩むが如く悠々退きたる次第にて候

 大友の弱兵ごときに傷一つ負わせらるよしこれ無く 益々壮健に過ごしております故 御安心召されく候

 それにつけても大友ばらの所業まことに許し難く この仇酬いざるべからずとは无論のことにて候

 八幡大菩薩も御照覧あれ 必ず彼奴らを討ち果たして見せ参らする所存にて候

 但し今は雌伏の時と心得おり候

 薪の床に臥せ熊のを嘗め 満願果たさん吉日よきひを期すものにて候


 今まさに当家危急存亡のとき またそれがし時宜ときにして それがしの双肩にて当家をお支え参らすべしとの難有ありがたき御言葉 謹聴致し候

 この儀つらつらおもんぱかりまするに 嫡子たる我が末弟が家督をぐに如かざるにや

 古来 嫡庶の序を破りし故に家みだれ 尊卑の理を守らざる故に国乱れし例枚挙にいとまあらず 今は家内の団結断じてゆるがせにすべからずと心得る次第に候

 重責を敢えてらざるには非ず それがしには某の天命あり 赤心より当家に尽くすべしと心得し故のこと存ぜられく候

 このこといては吉野におわしますかしこき辺りへの忠勤にもなると愚考致し候


 それがし一身につきては不動明王様観世音菩薩様の御加護あります故御心配の儀無用にて候

 母上様の尽きせぬ御厚情には感謝の念に堪えず 落涙致し候

 何時か必ず御目にかゝり御礼申上る所存にて候


恐々謹言



(原文はいわゆる歴史的仮名遣いでしたが、読みづらいので、現代仮名遣いに改めています。また、句読点は原文のまま打たないでおきますが、「、」の代わりにスペース、「。」の代わりに改行を入れました)




 📞 📞 📞



「母の愛は海より深し」とはけだし至言であって、戦乱の世にあってもそれは変わらないようです。

 子にとってはありがたく支えになる一方で、その愛と期待とが時に重荷に感じることもあるかもしれません。親離れ・子離れが問題となるのもやはり時代を択ばない共通事情のようですね。

 加えて、この手紙には極めて微妙な政治問題が絡みますので、親子の情愛とは切り離した注意も必要です。

 四郎武光殿の返信から、そのあたりを見ていきましょう。


・信頼できる間者しのびに託すとはいえ、思いもよらぬ者の目に触れる機会がないとも限りません。

 現代において発言が「切り取り」され猛批判にさらされることがあるのと同様、不用意な発言が命取りになることもあると心得ましょう。


・その点、家督を狙うような言を自ら発するのは、避けておく方が賢明です。(庶子である武光殿であれば特に)

 古代中国に於いて皇帝位に推挙された者が三度固辞した後はじめて受諾したように、本心がどうであれ表面上は家督への野心がない風に装っておきましょう。


・一方で、菊池家を背負って立つほどの実力を有すること、心身壮健で戦闘継続に何の支障もないこと、は事に触れ仄めかせておくと良いでしょう。

 外の敵に対する牽制になりますし、家内での地位を確立する援けにもなり得ます。


・「誰の目に触れるか分からない」と最初に注意しましたが、むしろ積極的に多くの者の目に触れさせることで、内外への政治的効果を狙うのも有効と思われます。


・なお、当時は女性との手紙応答には仮名文字を多用するのが一般的だったようですが、烈女と形容すべき母君に対する手紙であれば、真名(漢字)多用が相応しいように思えます。また、敢えてそのような漢字多用の手紙を送ることで(他の者の目にも触れさせ)、母君の政治的地位を上げる効果が得られるかもしれません。


・もし、母の助言が過干渉に感じられたとしても、真正面から文句を言うよりも、母の保護を必要としないほど立派に育ったことを言動で示す方が良さそうです。

 「海より深い愛」ゆえのことですから、少々過干渉に感じても甘受しておいて悪くないと、個人的には思いますけどね――人生の半ばを過ぎた今となっては。(もちろん十代・二十代の頃にはそんな考えは思いつきもしませんでした)



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