菜の花と夕凪

さなこばと

菜の花と夕凪

 おにいちゃんはいつも勝手だ。

 わたしのことなんか何も考えてないのかもって、大切にしてくれてないのかもってよく思う。

 今朝あったことはホントに許しがたい。

 わたしは朝が弱くて、時間ギリギリまでベッドで寝てるんだけど、目を閉じたまま時間配分をしっかりしてて、毎朝遅れずに起きることができるのだ。

 このことは密かな自慢。

 なのに、おにいちゃんときたらイヤな奴なんだ。

 わたしの部屋に無断で入ってきて、掛け布団ごしにわたしの体をゆすってきたのだ! 信じがたいことだ。ケイベツする。ホント何考えてるのかな。

 体を触られたわたしが一瞬で目覚めて、掛け布団を全身に巻きつけて、ふるふる震えながら訊いたら、お母さんから起こしてこいって言われたからだって。

 ふざけてるの?

 不用意に女の子の体を触っていいと思ってるの?

 わたしが起きたのを確認したおにいちゃんはのんびりした足取りで部屋を出ていったけど、わたしは怒りがあふれるようだった。

 それからリビングでご飯食べて、服を着替えて身支度をして、ランドセルを背負って出かけるまで、おにいちゃんの一切を無視した。声をかけられても答えず、視界にすら入れたくなくて、あえてすれ違うように動いた。

 一日の始まりはこんなふうに最悪だったんだ。



 今日の給食は大好きなカレーだった!

 わたしは野菜が好きじゃないんだけど、カレーに入ってると食べられる。きっと濃い味付けが、野菜の野菜らしさをかき消してくれてるんだ。

 希望をいうなら、ニンジンとか玉ねぎとか具材をもっと細かく切ってからカレーに入れてほしいなって。学校の意見箱に入れたら採用されるかな。カレーの野菜はあとかたもなく切り刻んでほしいです……とか。

 そのあとの昼休みに友だちの悠乃ちゃんと教室でお喋りしてて、悠乃ちゃんのお姉ちゃんの話になった。

 悠乃ちゃんのお姉ちゃんはこの春、高校生になったばかり。わたしたちは小学六年生だから、高校生って想像もできないくらい大人だ。

 悠乃ちゃんの話だと、宿題でわからないところを教えてもらったり、お姉ちゃん手作りのクッキーをもらったり、協力して進めるゲームを一緒に遊んだりしてるみたい。

 羨ましすぎる。

 わたしが思い描く理想の一つだ。

 それなのに、わたしのおにいちゃんときたら、デリカシーがなくてプライベートな空間に土足で入ってきてばかり。

 おにいちゃんは中学三年生。あと一年経てば高校生になるんだから、もっと大人になってほしい。わたしはいつも、いつも、不満に思ってる。ホントは、やろうとすればできるはずなのに、おにいちゃんはその場その場をへらへらと笑ってごまかしながら、のらりくらりと生きてるように見えるのだ。

 もっとしっかりしてよ……。

 そんなんじゃ、わたしは悲しい。

 わたしだって自慢したいのに。

 クラス内で兄弟姉妹がいる子は多くないから、おにいちゃんにいいところの一つでもあったら、それを話題にして胸を張れるのにな。

 悠乃ちゃんとの楽しいお喋りは、午後の授業の近づきとともに終わった。



 放課後の帰り道は途中から一人になる。

 散った桜の花びらが道路の隅に集まっているのを何とはなしに見ながら、ちょっと汗ばむ春の空気を吸ってはいて、自分も来年の今頃は中学生なんだなって思う。

 おにいちゃんが今通っている中学校にわたしは入学する。わたしの入学と同時に、おにいちゃんは卒業して高校生になって。小学生の頃とは違って、同じ学校に一緒に通うことにならないのは、何だか心の奥がきゅってなる感じだ。

 なんでおにいちゃんなんかにそう思うんだろう。

 あんな何でもかんでも適当で気遣いもできない全然ダメなおにいちゃんに。

 歩行者の信号が赤でわたしは立ち止まる。

 重たいランドセルを背負い直す。きしんで鳴る小さな音が、背中にぴたりとなる感触が、わたしを子どもにしてるみたいでもどかしい。

 お昼の給食のカレーで一喜一憂してた自分が、今になって恥ずかしくなってくる。

 自然とうつむいていた顔を、ふっと上げると。

 横断歩道の向こうからおにいちゃんが歩いてきていた。

 こんな夕方の時間に見かけるなんて、今日は部活がない日なのかな。

 信号が青になる。

 目を合わせないようにしつつわたしが道路を渡り切ったところで、おにいちゃんとすれ違う……と思ったらなぜかおにいちゃんは足をとめて、


 ちょっと寄り道しないか?


 と言った。

 どこに行くのか訊くと、ただ一言、公園だって。

 今朝のことがあるのでわたしはむすっとしてるんだけど、おにいちゃんはどこ吹く風でいつも通りだ。

 むかつく。

 おにいちゃんは中学生になってからすごく背が伸びて、声も低くなった。

 こうやって並んで立つと、わたしは成長の遅い子どもなんだって思えてきて、少ししょげてしまうんだ。

 でも、嫌いじゃないよ。

 むしろ、おにいちゃんと一緒にいて、そういうことを感じるたびに、わたしは嬉しくなってるんだよ。

 二人で歩く夕暮れどき。

 これから行く公園には菜の花の植えられた花壇があって、今は春だから花が咲いているはずだ。

 小さい頃、おにいちゃんとのお散歩で必ずまわった場所だった。広くはないし遊具もささやかなんだけど、手入れされた花壇がすごくきれいなんだ。木でできた長椅子に隣り合わせで座って、花の彩りに囲まれて気が済むまでお喋りして……そんな思い出の詰まった公園。

 でも、おにいちゃん。

 もう公園で花を見て機嫌を直すような年じゃないよ。

 心のもやもやが晴れていくのは、わたしの中に生まれたこの嬉しい気持ちは、気のせいなんだって思いたい。

 単純なわたしのことがイヤになりそう。

 だけど、小さな幸せを感じていて。

 いつも勝手なおにいちゃんだけど、そのたびに大人のわたしはため息をついて、仕方ないから許してあげようかなって、そう思うんだ。

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菜の花と夕凪 さなこばと @kobato37

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