第22話 識界の魔女

アコニットは彼を哀れみ、見下ろす。それと同時に、違和感を覚えた。確か、右手の握力はほとんど失われたはず。これほど強く握れるはずがないのだ。それに右手の指が外側に向かって曲がっている。

「まさか、その右手は――」

「右手ではなく、左手だ」


魔女の掌から発せられる熱と振動でアコニットの左足が瞬時に分解される。バランスを崩したアコニットが驚愕の表情でどうと倒れ込む。左手は武器になり、魔女を内側から破壊する。以前にグルタルがそう言っていたが、こういうことだったのかと理解した。


ヨーケルたちはアコニットに会う前に作戦を立てた。ヨーケルの右腕の肘から先を切断し、その切断面を人工皮膚で治療する。そして、手の魔女の左手を右手に装着し、目の魔女を欺くというものだ。それによりヨーケルは両手を失うことになるが、右手の握力が回復する望みはなかったし、手の魔女の義手もあるので、それほど大きな抵抗はなかった。


事前の段取りでは、左手には煙幕を仕込んだ普通の義手を装着し、キャンバスで右手の手元を隠しながら右手に装着した魔女の義手で肖像画を描くつもりだった。それならば、アコニットが目の魔女であってもなくてもいずれにも臨機応変に対応できる。そして、今、ダメージを負いながらもなんとか対応することに成功していた。


「自らの右手を切り落とし、左手の義手と付け替えていたのですか。何という無茶を」

手術でも何でも器用にこなす手の魔女がいるとはいえ、アコニットにとっては想定外の出来事だったようだ。


アコニットが横たわったまま戦術高エネルギーレーザーを発射する気配を感じる。と同時に、床に転がる左手の義手から濃い紫色の煙が一気に吹き出す。ただの人形の義手に仕込んでいた煙幕が作動した。視界を煙に遮られ、彼女は辺りを見回すが、紫の煙以外なにも見えない。目の魔女は視界に頼りすぎる。視界を奪われることを極端に怖れる。アコニットの動きが止まる。


その隙に、背後に回り、魔女の義手でアコニットの右目の義眼をえぐり出した。

「ああ! コハク様、どこに」

煙が薄れ、義眼を探し回るアコニットの姿は、母を探す迷子のようだ。普段の輝くような様子はみじんもない。


「目の魔女コハクに支配された哀れな娘。それがアコニットの正体だ。さあ、目の魔女の眼を破壊する。これで終わりにするぞ、ヨーケル」


しかし、ヨーケルはグルタルの声には応答しない。彼はおもむろに焼けた左肘で左目の眼帯を外し、窪んだ眼窩に義眼をはめ込む。なぜそうしたのかは分からない。ただそうしたい、奏しなければと思った。アコニットが見ていたものを、見てみたいと思ったのかもしれない。


「お前、何をしている!」

目の魔女の記憶と、手の魔女の記憶がヨーケルの頭の中にイメージとして溢れてくる。物資を静止軌道へ運ぶマスドライバーの起動方法、オービタルステーションを中継した月面太陽光発電プラントからの送電方法、受電設備と地下工場の稼働方法、惑星移住、超人計画、ありとあらゆる記憶が、彼の脳に流れ込んだ。


もはや誰の何の記憶かも分からない洪水の中で溺れるようだ。溺れながら、遠のく意識の中で、いつかどこかであっただろう二人の男の会話を思い出していた。


「超人計画は、なぜ中止になったんです」

「超人計画に参加した人たちの脳はどこまでも覚えることができた。それほど脳のキャパシティは大きいんだよ。だけど別の人間の人生を強制的かつ間接的に体験することで、脳は解体と再構築を繰り返し、新しいことを覚える度に人格が変わっていった。それがあまりに非人間的ということで、中止になったんだ。肉体は器と思われてたが、意外に人格とか意識ってのは肉体が生み出してる幻かもな。で、AIに手や体を与えて、何でもできるヒトモドキを作る方向にシフトしていったわけだ」


聖遺物堂の扉を開けた人夫は、変わり果てたアコニットと、その傍に立つ人物を見た。少し前に案内した男とはずいぶん人相が違っている。

「君は誰だ」と人夫が男に問う。アコニットを見ていた男は、視線を人夫に向けた。

「識界の魔女、とでも名乗っておこう」了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女と義手の画家 的矢幹弘 @dogu-kun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ