6杯目 最悪の目覚めと最高の知らせ

 子供の頃、ギュー舎の裏で遊んでいる時、ふざけて堆肥で友達と取っ組み合いをして、近くの糞溜に突っ込んだ時があった、ギューの糞なんてのは、草しか食べておらずきちんと管理されているので、臭いは臭いが、なんといか遠くに草の香りを感じる、ある意味、素朴なニオイだ。

 だが、ゴブリンの糞はそんなものとは比べ物にならない、一体何を食べればこんな臭いを生み出せるのかというくらいの悪臭、そして、最悪なのはこの世の全ての苦みとえぐ味を混ぜ合わせたような、不愉快な味。そう、不愉快な……味……


「うおぇ……くっせぇ」


 強烈な匂いと味の記憶で目覚めた俺の眼の前には、知らない天井が見えた。


「おお、起きたか。久しいなゲンツ」


「ん……あ、がっは……」


「落ち着け、これ、飲めるか?」


 渡されたコップには水が、見た瞬間にガブガブと一気飲みをしてしまった。

 喉が、からっからだ。


「ぶはーーー」


 ああ、ああああ、染み渡る。

 乾いた喉に、身体に、水が文字通り染み込んでくる。


「もっと飲みたいだろうが、少し時間を置け、腑が驚く」


「ドク先生、ってことは、医院か……」


「そうじゃ、ゲンツは最近はまったく世話しとらんでな。

 久しぶりに見たら死にかけとって、あまり老人を驚かすもんじゃない」


「すんません」


「いや、理由は聞いている。この場合は、こう言うべきじゃな。

 ゲンツ、良くやったな」


「へへ……ってことは、あの3人は助かったんだな」


「そうじゃ、一人はそれなりに危なかったが、お主ほどじゃない。

 左肩の粉砕骨折、肋骨は6箇所、骨のヒビはそこら中、裂傷打撲数え切れん。

 臓腑もそりゃあもう……」


「よく、助かったな……」


「普通助からん。だが、お主は強運じゃ。

 階位の祝福によって九死に一生を得たんじゃ」


「階位の、祝福……? ま、まさか……!?」


「ほれ、お主のギルドカードじゃ」


 ドク爺から手渡されたカードは、薄汚れた銅の色から、輝く銀色に変化していた。


「まさか……5……?」


「偉業じゃぞ、階位3のものが単独で大型魔物を討伐したんじゃから」


「まじか……俺が……」


 ふと手を見ると、長年の冒険でこき使ってボロボロだった指先が、まるで冒険したてのようにキレイに、そして、身体に満ちる力が、別次元のソレであることを感じる……


「ただな、お主は身体の成長よりも回復に力が使われてしまったらしく、他の階位5の者ほど圧倒的な力は無いかも知れんと、ギルドの者が言っておった……命が助かっただけでも、と、思ってくれんか?」


 普通ならば、それはひどく酷い宣告なのだが、俺にとっては、気にもならなかった。


「俺、あと何年、冒険者ができると思う?」


「ふむ……その肉体の充実、お主の堅実な冒険者生活なら、40年くらいは問題ないんじゃないかのぉ……」


「……40……」


 ぶるりと武者震いがおきた。

 あと数年、いや、今年中にも限界が来ると思っていた冒険者としての自分の人生に、今までの冒険者人生並みの猶予を、神から、そう、神から与えていただいたのだ……


「ありがとう、ございます、神様……」


 気がつけば、大粒の涙が溢れていた……


「さてと、お主を心配していた者たちにも伝えぬとな……」


 ドク爺は俺が落ち着くのを待ってから人を呼びに行ってくれた。

 だが、そこまで俺を心配する奴がいるとも思えないが、まぁ、顔なじみの奴らが少しは心配してくれていたんだろう……

 それにしても、間違いない、ドク爺は成長していない様に言っていたが、この肉体は、階位の変化はやはり凄まじい、別の身体のようだ。

 ずって眠っていたので少しづつ慎重に身体を動かしてみるが、なんというか、キレが違う。

 この年になると、自分の思っている動きと実際の動きには差異があるのが当たり前だ。

 思ってから行動に移るまでにもわずかながらの遅れをどうしても認識してしまう。

 肉体の衰え、残酷な変化は、自信を失わせ、いやがおうでも自分の限界をまざまざと突きつけてくる。


「自分の身体じゃないみたいだ」


 今ではそのズレがない、いや、無いどころではない。

 肉体が自分の想像を超えた動きをする……

 これには、興奮する。

 肉体の成長、若い頃には当たり前に起きていたことが、歳を取るとなくなり、無くなったばかりではなく、衰えていく。この現実は想像以上に俺の自尊心を粉々にしていたのだと、今ならわかる。

 立ち上がってみても、隠せない節々の痛みや、腰の重み、年月の積み重ねが、全てすっきりこっきり消えている。


「おいおいおい、こんなに身体って軽いのかよ!」


 思わずその場で走り出してしまう。癖になっている足音を抑える所作も精度が違う、その場で全力で走っても、足音も立てずにトトトトトトトと僅かな気配で走れる。


「つ、疲れねぇ、全く疲れねぇ!! なんだこれ、なんだこれーーー!」


 いくらその場で駆け足しても、腕を大きく振っても、息切れ一つしてこない。

 身体がエネルギーで満ち溢れていた10代に戻ったかのようだ。

 それから、自分の身体の能力を確かめるように、腕立て、腹筋、背筋、スクワット、逆立ちに、バク転、ジャンプなど、室内で大はしゃぎしてしまった。


「なんじゃ、あまり病室で騒ぐでないって、何をやっとるんじゃ……?」


 指一本で逆立ちしながら腕立て伏せをしているところにドク爺が戻ってきた。

 その背後には……


 知らない人が居た?


「え、どなた?」


 見たこともない、いや、あるかな? いや、こんな若い娘に知り合いなど居ないぞ?

 しかも、若いが、美しいと言って差し支えない。俺なんかとは育ちが違う気品を感じる。

 間違いなく、俺の知り合いにこんな上等な女性はいない。そう断言できる。


「よかったっ!!」


 そんな女性が、俺の胸に飛び込んで抱きついてきた。


「おっ、え、ああ……?」


 俺は慌てふためくしかない。

 どうやらその女性は、俺の胸で涙を流していた……


 いったいぜんたい、何が起きているんだ……?

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