中年冒険者のささやかな幸せとすこしだけの幸運

穴の空いた靴下

1杯目 仕事の後の一杯

「はい、ゲンツさん。今日の換金は銀貨23枚です」


 ギルドの古びたカウンターに銀貨が置かれる。10枚の束が2つと3枚。手早く数えて冒険者カードに収納する。思ったよりも報酬が多くて内心ウキウキだ。


「いつもありがとうな、クイナ」


「いえいえ、今日もお疲れ様でした」


 ギルドの看板娘、クイナの笑顔に癒やされる。そしてこの笑顔を見るために頑張る冒険者は少なくない。俺も、そんな中のひとりだ。


「よぉ、ゲンツ。今日も潜ったのか?お前は真面目だなぁ」


 帰ろうとすると顔なじみの冒険者、ベーニッヒに声をかけられる。ショートソード使いの斥候で、何度かパーティを組んだこともある。ベテランらしく無駄のない動きをする良い冒険者だ。酒を飲むと下ネタが多いのが玉に瑕だが、気持ちのいい男だ。


「しかたねーだろ。俺もそろそろ引退後を考えて貯金しないといけない歳だからな」


「あーあー、聞きたくない聞きたくない!はぁ……現実見せつけるなよ、夢の冒険者様によぉ」


「そうだな、夢の冒険者……せめて6、いや5にでも到達できればな」


「だなぁ……悪い、せっかくの仕事上がりに辛気臭い話をしちまった。今度会ったら一杯奢るぜ」


「ありがとよ。たぶん明後日くらいには行くぜ」


「わかった、またな」


「ああ……」


 俺もそれなりのベテランになり、顔なじみの冒険者も多くなった。こんな辺境の街のギルドに入り浸る冒険者ということは、皆も俺と同じように、夢破れて、現実的な毎日の生活のために、生き方としての冒険者から仕事としての冒険者に変わった人間だ。

 やる気のある冒険者が、どんどん大きなダンジョンのある街へ出ていく。未開の地に旅に出るやつもいるだろう。


「もう、そんな歳じゃねぇんだよな……」


 もう、ため息も出なくなった。俺は、この生き方を、受け入れてしまっている。階位3、それが俺の実力だ。


 階位というのは神様が俺たち冒険者に与えてくれる加護のようなものだ。

 階位が一つ上がると、生物として一段階強くなるほどの変化がある。

 冒険者になるためには、まずは階位を1にすることが条件となる。

 人の時代が始まると同時に存在するギルドという組織、そこで冒険者見習いとして一定の手順、訓練を終えると階位1が与えられる。

 人間の手に負えない魔物と呼ばれる存在と戦うには、最低でもこの階位1になる必要がある。

 この世界で人間の立場は非常に弱い。

 そのために神様が哀れに思ってこの階位という仕組みを作ってくれたと信じられている。

 確かに、階位は神が与えた奇跡としか思えない。

 上の階位になると老化が遅くなり、寿命まで伸びていく。

 そんな中、俺はかれこれ45歳。

 3まで来れたのはいろいろな幸運もあった。

 3ぐらいになると冒険者一本でそれなりの暮らしができるようになる。

 慎ましく暮らすなら2でも、というか、結構2止まりになってしまう冒険者は多い。

 冒険者は危険な仕事だ。怪我をしたり、命を落としたりすることも珍しくない。


「俺はついてるな」


 改めてそう思う。


 もう日が暮れて街にも街灯の火が灯る。

 俺は夜の準備に入った街の雰囲気が好きだ。

 帰る家を持つものは足早に帰路につく。

 そして俺みたいなハグレモノは今晩の飯を求めて店を物色する。

 俺は今日、心に決めている。


「こんな日は、肉だろ」


 カランと小気味良い音を立てて扉を開く。


「いらっしゃい、お、ゲンツさん。ってことは、今日は良かったんですね」


「ああ、ミルト、そういうわけだ」


「こちらにどうぞ」


 賑わう店内、皆が楽しそうに食事を得ている。

 カウンターに通されると何も言わずともよく冷えたエールと小料理が出てくる。

 今日はキュウリーの酢漬けか。まずは、これだな。


「お疲れ様、俺」


 一人で乾杯して、一気に喉に流し込む。仕事上がりの疲れた身体に、冷たく刺激的な液体が注ぎ込まれる。


「んぐっん、ん、、、かぁーーーーー!! このために生きてるなぁ!」


 一気に半分ほど平らげる。

 ほろ苦さやホップの香りは後からこの満足感を彩ってくれる。

 もう、これだけでもいい。

 そう思わせる最初の一杯、なぜこんなにも美味いのか……永遠の謎だ。


「相変わらず美味しそうに飲みますね。今日はギュー肉の良いのがあります。ちょっと値が張りますが、シャモーの最高級品もあります。弾力のある旨味の塊のような肉質と、甘み溢れる油のハーモニーはやはり絶品。これは絶対に塩焼きで召し上がっていただきたい」


「シャモーの塩焼きだ!」


「ご注文ありがとうございます。シャモー塩焼き一丁!」


 相変わらずミルトは商売上手だ。説明を聞いているだけで腹が鳴りそうだ。


「こちらどうぞ」


 ほかほかと湯気があがるパンだ。

 ちぎって頬張ると温められて柔らかくなったパンの小麦の香りと控えめな甘みが口に広がる。

 これもまた、疲れて空腹だった腹に染み渡るようだ。

 キュウリーの酢漬けも口にいれる。

 さっぱりとした酸味と瑞々しいキュウリーの青臭さ、それとちょうどいい塩味。

 ついついエールに手が伸びる。


「っ、かーーー! ミルト、おかわり!」


「毎度」


 あっという間にエールを飲み干してしまった。

 そして、主役が現れる。


「はい、おかわりのエールと、シャモーの塩焼きです。ごゆっくりどうぞ」


「これは……たまらないな」


 油の焼けた香ばしい香りが俺の鼻腔をくすぐる。

 口の中から自分の意志とは無関係に唾液が溢れてくる。

 骨には紙が巻かれており、上品に食らうのでなく、喰らいつけと店が言っている。


「では、遠慮なく」


 がぶっ。


 噛みついた瞬間、じゅわっと肉汁があふれる。

 鳥の生命力が溶け込んだスープが味覚を暴力的にぶん殴ってくる。


 ぶちっ。


 音が出るくらいの弾力のある肉。

 噛めば噛むほど美味いが大渋滞している。

 香ばしい皮目の味わいもたまらない。

 これ、本当に塩味だけなのか?

 複雑な旨味がまるでコース料理のように押し寄せてくる。

 少しずつ楽しみたいという理性を、もっと喰らいたいという本能がぶち壊してくる。

 エールと塩焼きのコンボが止まらない……っ!


「はぁ、はぁ……くっ……やっちまった」


 気がつけば、一気に骨までしゃぶってしまった。


「最高ですよね。28階層のボルト鳥からのドロップ品だそうですよ。材料持ち込みで半額でお出ししますよ」


「28!? 誰がそんな深層に?大熊たちか?」


「いえ、ほら、最近話題になってる蒼き雷鳴ですよ」


「まじかよ……」


 その名前は最近ギルドで耳にしない日はない。

 その名前を聞いて落ち込む理由は、そのパーティの平均年齢が20代……

 まだ冒険者として5年も経ってないって事実。


「すげーな、物が違うってやつか……」


 さっきまで世界の絶頂のように幸せだったのに、センチな気持ちになってしまう。 

 こんな経験、今まで何度もあった……


「……ミルト、ギューももらおう」


「良いんですか?ボリュームありますよ?」


「構わん。今日は食って飲んでやる!」


「毎度ありがとうございます。ギューのステーキ一丁と……」


「赤ワインくれ。そこそこ合うやつ頼む」


「赤ワイン一つ、ギューと合うお勧め持ってきますねー」


 ギューも旨かった。

 ワインとの相性もバッチリだった。

 悪いのは、俺の腹だ……

 全てを平らげた頃には、腹が破裂しそうになってしまった……


 俺は、今日の稼ぎの半分以上を支払って帰路につく。

 夜風は肌寒いが、腹は暖かく満たされている。酔うほど酒を飲めなかったが、ちょうどいい。

 まあ、家で少し飲むかな。

 空を見上げれば無数の星が輝いている。

 今日も真っ赤な月と、黄色い月が夜道を照らしている。


「まあ、俺にはこの幸せで十分だわな」


 今日の美食との出会いに感謝して、俺は家路につくのであった。

 俺の冒険者としての1日は、今日も無事に終わりを告げた。

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