第149話 またしても
東岸新市街東門から朝日が差し込んでいる。
門から伸びる北東大街道はそのまま真っすぐ、ベルザモック州都ソキーラコバルまでつながっている。
ジゼルは王都ナジアに来てからレベルを上げていない。それどころか一度も狩りに出ないで、基本的にはダラダラ過ごしていたような気がする。
レベル16のままのジゼルに、カルロッタも20しかなく、エルネストも24だという。王国4街道の一つである北東大街道の治安はかなりいいとはいえ、いちおう護衛のためにとアスランがついて行くことになっていた。
店には9月に除隊したアスランの元同僚が一人新たに勤めることになっている。
軍で副中隊長まで昇級した男でレベルが高い。用心棒的な役割を果たすだけでなく、いい歳なのだがこれから店員として接客等の仕事も覚えていくつもりらしい。
「それじゃあイリア、行ってきますわ」
「はい。お気をつけて」
ジゼルの背中にはナジアに来た時と同じように大きな荷物が背負われている。両親もアスランも同様だ。
子供時代のジゼルは馬車でしか行き来していなかった大街道だが、今回の旅の移動は徒歩である。魔法系ステータスで身体能力にはすぐれないジゼルだが、ゆっくり半月ほどかけ行楽がてらの旅になる。
「その親族という人に下宿を断られたら店に戻っていいんだからな?」
「親族というほど血縁が近くは無いんですが、まあわかりました」
「そういうことですからタマラさん、何かあればイリアの事をよろしくお願いしますわね」
「はい奥様、お任せ下さいな」
早朝の見送りに出てきたのはイリアだけではなく、副店長のタマラも一緒だ。カルロッタに比べるとかなり小さく見えるが、実際はイリアより半デーメルテ低いだけだ。
ジゼルはイリアの事を軽く抱きしめてから、家族と一緒に東門の向こうに去った。その表情は楽しげであり、年相応よりも少し子供っぽいと感じるほどだ。
別れは寂しいが、イリアは姉弟子の幸せそうな姿を嬉しく感じられた。
残り半年でレベル20まで上げるのはそこまで簡単な事ではない気がするが、学園を卒業すればジゼルは優秀な魔法使いとして様々な進路を選ぶことが出来るだろう。王都の学園本校研究院に進学するかもしれないと言っていた。
タマラと共に店に帰り、3階に上がって部屋に入る。
昨日のうちに整理しておいた荷物を手に取ろうとして、大事なものを忘れていたことに気づき、机の引き出しを開けた。中には二通の手紙が入っている。
一通はここに住み始めしばらくしてエルネスト宛に届いたもので、差出人は父ギュスターブだ。
イリアが世話になることについての礼が丁寧に述べられていて、同封されていたもう一枚の便箋には面倒をかけないようにという、イリア宛の伝言があった。
もう一通は最近イリアが出した近況報告の返事で、レベルを上げすぎていることについて「何事も慎重に、時間をかけることを恐れてはならない」と懸念が述べられていた。弟アレキサンダーと妹サーシャは元気に暮らしているらしい。
背負い袋の外側の物入れに手紙をしまい、衣類などで前より膨らんだそれを背負う。腰の革帯に無刃の短剣を差し、鎧をぶら下げた短鉄棍を左肩に担ぐ。
長かったような短かったような2カ月を過ごした部屋。その扉をゆっくりと閉じた。
南門から新市街を出て壁外地域の通りを南下する。途中には馴染みになった魔物卸商もある。
日の高い時間帯に見る壁外はそれほど厄介な地域には見えない。いや、よくよく見れば
態度というか、選択を間違わなければそれほど危ない目に会わずに済むのがナジア壁外地域だった。
スダータタル移民はこの場所ではやはり少数派だ。
本人が入国してきたのか、それともこちらで生まれたのか。その両親ともがスダータタル人なのか等、正確な人数が把握しづらいのはともかく、多く見積もっても全体で千人いないという。
もちろん、出身地域こだわらなければ半大人の若者はここにたくさん住んでいる。なぜカナトが同じ壁外地域の住人ではなくイリアを仲間に選んだのか。それには理由がある。
王都北東にあるアール村。村からさらに数キーメルテ東の辺りから広がっている人工管理魔境の一つが、管理の失敗によって生態系が激変して破棄が決定。そこに新たな村を作るための開拓作業が数年前から始まっている。
壁外地域に住む若者の多くがそれに参加している。主導しているのはもちろん国なわけだが、地理的な条件からどうしても有形無形の援助をアール村に求めることになる。
王都周辺地域における唯一のアール教信仰拠点であるアール村で寝起きしながらの開拓事業に、いちおうはラハーム教徒であるスダータタル移民が参加するのは困難らしいのだ。それがカナトが「壁外の外」に仲間を求めた理由。
さらに言えば、彼ら開拓団の若者たちが使う「酔い草」という嗜好品が気に入らないのだそうだ。
森に生えている植物で、乾燥させた葉を巻いて火をつけ煙を吸うらしいのだが、吸うと「やたら自信過剰になる」のだそう。
においも悪く、運動能力・神経反応も一時的に低下するというからいい所がない。
遠回りせずに真っ直ぐ来たおかげで、思ったよりも早くマルゴットの屋敷に到着した。新市街から壁外を通過して、農作地を南東に4キーメルテというところだろうか。今のイリアにとっては近所といえる。
相変わらず威圧的な鉄門扉を叩いて来訪を伝えようとしたら、うっすら開いていることに気づく。左右の扉の隙間を覗いてみても
門の中に入って、芝生も何もない土がむき出しの庭を通り抜ける。大きな屋敷の、塗料で真っ白の壁際に麦藁帽を被った男が黄色い花を植えていた。
ありふれた形の花だが時期から考えると金弁花だろう。例年ふた月もすれば雪が降るが、金弁花は多年草だ。雪に埋もれても地中に残った根が、来年も成長して花をつける。
男がイリアに気づき、立ち上がって笑顔を向けてきた。以前来たときにも屋敷内に案内してくれた、60歳前後の毛のない男だった。
男が案内してくれたのはまたしても玄関広間から繋がる大階段までだった。以前同様にぶっきらぼうに、「廊下の突き当りの扉」とだけ言う。
イリアとしてはさすがに気になる。
「あの」
「……」
「……あなたはその、誰なんでしょうか。マルゴットさんとどういうご関係で? 実はご夫婦だったりするのでしょうか」
「……むこうは子分と思ってるだろう。……俺は同志と思っているがね」
前歯を剥きだしたままそう言って玄関から出て行った。庭仕事の続きをしに行くのだろう。
執務室に入る前に、イリアは自分の格好が他人の家を訪問するにはやはり妙であることに気付いた。前回同様今回も、訪問を事前に知らせたりはしていない。
扉の横に背負い袋と短鉄棍を立てかけておくことにする。
分厚く密閉度の高い扉を叩くと、くぐもった声で返事があったので中に入った。
執務椅子に浅く腰掛け、両足を組んで大きな机の上に上げている人物はマルゴットではない。その顔を見てイリアは言葉を失ってしまった。
「……」
「……おいおい! なんてことだ! これは私の失態なのか?」
「……」
「いや、マルゴット氏の
机に足を上げ、なにか大きな本を腹の上で広げたまま身振りを付けてわめきたてている。
長い黒髪を外套のように纏った人物は、イリアの実家に6年前から雇われている「訪問家庭教師もどき」のハンナだった。
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