第119話 税制
右手で短鉄棍を振り回しながら湿原を囲んでいる砂丘を登る。
おそらくアビリティー無しの状態の5割増し近い腕力になっているはずだが、片手で振り回すことはまだ難しそうだ。
一段一段が高すぎる階段を一番上まで昇ったところで男に声をかけられた。
「君ちょっといいかね」
「なんですか?」
大きな鷲鼻を顔の真ん中にくっつけた、中年の痩せた男。豊かとはいえない頭髪を変に長く伸ばしている。
灰色で丈の長い法衣の前を開けて羽織り、腰には細身の剣を
「君、腕輪をしていないけど学園生かね」
「いえ、違いますけど」
「それは困るよ? ここは学園生のレベル上げのために作られた人工管理魔境なんだ。君のような人間が利用していい場所じゃない」
「あー、すいません。それならもう来ません」
「公的な仕組みから利益を得たければ、義務を負うのが当然だ。こうして異常が無いか見回っている私の給料がどこから出ていると思っているんだね?」
「え? あなたお役人じゃなかったんですか?」
法衣を着るのは役人に限らないが、男性が着る場合はほとんどの場合、役人としての地位を示すためである。特にこの暑い季節、防具としての機能が期待できない法衣をわざわざ着こむのはそれ以外に考えられなかった。
「……私はアシオタル州政庁の役人だが、それがどうしたというんだ」
「いや、だったらあなたのお給料は国とか州の税収から出てるんじゃないですか」
チルカナジア王国においては国税と地方税があり、地方税は複雑でいちいちイリアは覚えていないが、国税の基本は「戸税」と呼ばれるもので、特殊な商売をしている者でなければこれが一番多くとられる税金となる。
戸税は家や店など、王国国土に建つ家屋の所有者に課される税金であり、これを国に支払っている者とその家族が正式な国民と認められ、戸籍・国籍をもっていることになる。
14歳のイリアは法的に大人であるが、家でも建てて自分の戸籍を申請しない限りはギュスターブの子として登録され続けていて、ギュスターブはその分だけわずかに多く戸税を払い続けているはずだ。
国税には他に、酒の販売価格に一定の割合でかかる酒税などがある。
これらの「販売税」と呼ばれるものは税収を期待しているというよりも、無制限に流通しては困る品物の規制の意味合いが大きい。
イリアが防壁を持つ街に入るたびに支払ってきた入街税というのは地方税。
東岸新市街の一時入街税はジゼルに支払ってもらっていたが、まだ返していなかったことを思い出す。
あまり背の高くない役人の男は、砂丘の上から一度湿原を見渡し、イリアに一歩近づきながら言葉をつづけた。
「学園は国立だ。学費だって国の収入の一部なんだから、税金みたいなものだろう」
「そうですか?」
「学園生は国に学費を払っている。そしてアシオタル州と王国政府の財源は一体のようなものだ。だから私は今、ここの利用のために金銭的負担をしている学園生のために働いている」
「……」
別に言い争いたいわけではないのだが、何か話に納得がいかない。これ以上ここに来る予定も無いのだが、首を傾げつつイリアは話しをつづけた。
「それはおかしいのでは。学園生が支払う学費と同額が、国から補助金として出てるはずですよ。だから国は別に儲かってないはずでは」
「……口答えが多いな、君」
「だって、そうでしょう。仮に学園が明日無くなったって、あなたのお給料はちゃんと出るはずじゃないですか」
今の今まで考えていなかったが、男との会話を通じて改めて考えてみるに。
学園に出ている補助金のもとは国民が払い続けている税金のはずだ。
ギュスターブは自分の子供3人しか家族がいないのに、大きな屋敷を持っているせいで普通の家長より多く戸税を払っている。それなのにイリアは学園に通っていないので、補助金として返ってくる分を利用できていないのだ。
人工管理魔境の管理を税金で雇われた役人がしているのなら、むしろイリアにこそより多く利用する権利がある気がする。
自分の財布の中身に真剣になる機会が増えたことで、イリアは前より少しだけ損得勘定に敏感になっていた。
「……話は何でしたっけ」
「……いずれにしろだ。学園生の人数やレベル、魔石の需要を計算して
「調整が要るのは分かります。でも、確か今は餌を与えるのをやめて共食いさせてる時期なんですよね? 俺は見ての通り、死体を持ち出したりしてません。俺がここでレベル上げをしていようとしていまいと、球蟲の個体数には何の影響もないと思うんですけど?」
そもそも殺していないので死体を作ってさえいないわけだが、それを言っても仕方がない。
イリアは自分が大人に対してこれだけ口論めいたことが出来るとは思っていなかった。初めてのことで少し高揚している。
怒りなのかなんなのか、役人の男の顔に血が上って来た。腰の長剣の鞘に左手をかけている。
「ぐずぐずとっ! 素直に謝って逃げ去るなら許してやったものを、お前らのような
「はい? いや俺はチルカナジア国民ですって」
「なにい⁉」
「王都の人間じゃないですけど、親はちゃんと戸税を払ってます。身分証もあるし、東岸新市街に下宿中です」
胸元から財布袋を引っ張り出して、身分証と証明書をとり出した。男が役人であるという証拠を提示していないので、イリアは手渡さず、自分の手で広げて見せた。
男の顔色が最初と同じ、不健康そうな黄色に戻った。眉間の皺は残ったままだったが。
「……まともな身分があるのなら、そんなみすぼらしい恰好はやめてもらいたいものだね。入校もまだなのに一人で魔物狩りというのも感心しない」
「はあ」
身分証の生まれ日まで確認したらしい。イリアがもし学園に入校するならあとひと月半待つ必要がある。
「もういいかね。私は仕事中なのだ」
「はい」
男はイリアを押しのけるようにして階段を降り、湿原を縦横に走る土盛りの道を駆けて行った。
イリアは自分の衣服を改めて見てみた。草の汁によるシミは洗濯によって取り除かれている。汚いのは靴くらいであって、ズボンの膝にできた穴も繕って塞いである。なにがみすぼらしい恰好なのかイリアにはよくわからない。男の苦し紛れの嫌味に違いないと思うことにした。
ジゼルの家の食事では全く魔物肉が出てこない。家畜の肉の方が一般的に味がいいのは確かなのだが、イリアにとって魔物肉は故郷の味であり、たまには食べたい。
下町地域を巡り歩いて探し出した料理屋に入り、
そこまでおいしいものではないのだが、実家では年に一度、夏場に食べる習慣があった。
くせが強く食感も悪いのだが、滋養強壮に良いという迷信めいた評価は王都でも存在するようで、小銀貨1枚を支払っておつりは無しだった。
そのまま下町地域の地理でも覚えてみようかとぶらぶらと歩き回った。
橋を通って新市街に帰ったのは日の9刻過ぎ。ハインリヒ商会の扉を押し開けると店の中は騒ぎになっていた。
「もういい! 何度も言うが私はカルロッタに会えるまでここを出るつもりはない! いいから早く呼んで来い!」
ロウマンに食って掛かっているのは、背の高い筋肉質の、半白髪の30歳。
疑惑の男バイジスだった。
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