第104話 安全確認

 エミリアの家である茶店兼食事処。その一番奥の個室で【不殺(仮)】の秘密を語っていたイリアは誰かが近づいてきたことを察し、口を閉じた。

 衝立を開けて若い男が入ってくる。

 左手に大きな盆を持ち、その上に載っていた皿と陶器茶碗をひとつずつ、エミリアとイリアの前に置いた。

 前髪が顎に届くほどの長さ。黒髪で長身の若者はイリアとエミリアの顔を交互に見て、ニヤニヤしながら無言で去っていった。


「兄よ」


 口の端を変な形に歪ませてエミリアが言った。

 運ばれてきた料理は奇麗な黄色をした紡錘形の物体だ。溶き卵を焼いたものに見える。卵の種類までは分からない。


「食べていいのかな?」

「よくそんな気になるわね」

「でも、ちょうど空腹だし……」

「勝手にすればいいわよ。何で私があなたの、あんなありえない話を信じたと思うわけ?」


 イリアは卓の上にあった鉄匙を手に取り、錆止めの油を服の裾でぬぐい取ってから黄色い塊の左端を掬った。

 中身まで卵のかたまりではなく、薄く焼かれた卵の層の中にコメが詰まっていた。茶色く色づいたコメと卵の皮を一緒に口に入れる。

 塩味のついた卵と、よく煮込まれた動物系の出汁の味が染みこんだコメ。柔らかいコメと同じくらい丁寧に火を通された玉ねぎの食感もある。香辛料であるピプロの風味があった。コメと言いピプロといい、基本的に輸入食材だ。量は少ないが安価な料理ではない。


「聞いてるの? あなたの話が信じられないって言ってるんだけど」

「……話してる途中で気付いたんだけど、信じて貰うのって簡単じゃないかな? 君が賢者で、成長素が溜まるのが見えるっていうんだから。低級魔物でも一匹倒して見せればそれで済む話だ」

「……」


 陶器茶碗の中身は何か果物のにおいがするお茶だ。甘い香りが強く、本茶葉を使っているものなのかどうかがよくわからない。色は紅茶と似ている。

 菓子と合わせるには良さそうだが、料理と相性がいいとはあまり思えなかった。


「それは私と二人で魔物狩りに行こうっていうこと?」

「君がそう望むんだったらね。俺は指定有害アビリティー保有者じゃないんだから、どこかに突き出されるいわれも無い」

「【吸血鬼】かもしれない相手と二人きりになる危険を冒せと?」

「いや、さっき一人で俺と戦おうとしたじゃないか」

「それは、まあね……」



 イリアは味付きコメの卵包みの最後の一口を頬張って考えた。

 エミリアの強さのほどはよくわからない。家が家族ぐるみで飲食店をしていることから考えて、幼少のころから武術を鍛錬してきたとは思えない。

 だが魔眼によってレベルも看破されているはずであり、おそらくエミリアは1対1でもイリアに勝てると思っているはずだ。レベル・ステータス的には互角以上なのだろうし、先ほどアクラ川の土手で対峙した際の構えは何らかの武術的素養が感じられた。


「【吸血鬼】とか【屍喰鬼】って『成長系』アビリティーなんだよね?」

「まあ、そう分類できるんでしょうね」

「なら成長素の取り方が普遍型と違うって特性があるだけで、特に闘いに有利な異能を持ってるわけじゃ無いってことだ。そこまで警戒する必要があるのか?」

「戦闘に直接有利な異能が無いという点は【賢者】も同じよ」

「そうかもしれないけどさ。なんかあまりにも敵視しすぎてる気がするんだよ。社会の敵って言ってただろ?」

「実際にそうだから仕方ないわ」

「よく分からない。【吸血鬼】や【屍喰鬼】は確かに人からも成長素を摂れるっていうけど、他のアビリティーみたいに魔石からも成長素が摂れるって聞いたよ。その点は俺の【不殺(仮)】より応用が利くというか…… ともかく、人を相手にしないと本人が決めれば普通のアビリティーと変わらないはずじゃないか。そんなに警戒して迫害するほどのことなのか?」


 人食いアビリティーの話をハンナ以外から聞いた記憶はイリアにはない。そして言及されている書物も読んだことが無かった。少なくとも子供向けの本に書かれていることは無く、触れる事すら禁忌とされている印象がある。

 エミリアは自分でもコメの卵包みに手を付け、イリアの発言が終わるころには三分の1ほど食べ終わっていた。茶で口の中を流してから話を続ける。


「人食いアビリティーの危険性は、文字通り人食いである事そのものよ。ウーフの言った通り、魔物相手に魔石狩りをしているだけなら問題は無い。けど考えてみて? レベルがある程度上がって、例えば40を超えて、もう大物の魔石でなければ自分のレベル上げの役に立たなくなったとする。大物は探すこと自体難しく、倒すのには大勢の協力が要る。自分の異能は直接戦闘の役に立つものではなく、魔石の配分が自分に回ってくるのはいつになるのかわからない」

「……」

「そんなとき周りを見回せば、そこに居るのは? 自分と同じほどのレベルを持っていて、血を吸ったり食べたりすれば成長素を摂ることが出来る対象。魔物を探すよりもずっと、比較にならないくらいに簡単に見つけられて、しかも野生の生き物より油断を突きやすい。そんな対象、がいくらでも、一つの街に何十人も何百人も居るのよ?」

「だからと言って、人間を襲うなんてことは倫理的に……」

「ほとんどがそう考えるとしても、たった一人よからぬ考えを持てば、それだけで大惨事が起きる。人間を殺めればあやめるだけ、どんどんレベルを上げて強くなることになる。レベルを高くまで上げて、社会的にも高い地位についている人間はそれだけ有名。探し出すのは難しくない。そんな人でも年を取り、レベルはそのままでも戦う力は弱っていく」

「……」

「つまり、人食いアビリティー保有者は本人の気持ち次第で、あっという間に世界最高のレベルに近づくことが可能なのよ。何十人何百人もの犠牲の上に、ほとんどの人間が手出しできないほどの力を手に入れられる。だからこそ、第一種指定有害アビリティーになってるの」


 恐ろしい話だが、理屈が通っているようにも聞こえる。上級魔物を探し出すのは容易でなく、見つけて倒してもその魔石を得るのは集団のなかのたった一人だけ。

 『白狼の牙』ではその一人とはすなわち、父ギュスターブに当たる。

 戦士団というのはそもそも、そうやって最高レベル、最大戦力の者をたった一人作り出すための枠組みと言える。

 そのたった一人も【吸血鬼】や【屍喰鬼】にとっては獲物に変わる。どこに居て、どこで眠るのか。そして何を守り、弱点は何なのか。

 それを調べ上げる労力は同じレベルの魔物を探す労力の何分の一だろうか。



「……ともかく、俺が【吸血鬼】でも【屍喰鬼】でもないってことは簡単に証明できる。人食いが簡単に強くなれる性質を持ってるとしても、エミリアは俺のステータスが見えてるんだろ? 現時点でたったレベル7だってことが分かってるなら、それで安全確認は十分じゃないか」

「まあね。じゃあいいわ、明日晴れたら球蟲たまむし狩りにでも行きましょうか」

「あ、蟲系はちょっと」

「なんなのよ……」



 エミリアは料理を半分しか食べなかった。なんでも乳脂が多く使われていて食べ過ぎると太るのだという。もったいないと思って見ていたら、食べてもいいと渡してくれたのでありがたく貰った。


「まあ暫定的にウーフが新種アビリティーだって事を信じるとして、ならなんで逃げたのかって説明がつかないと思うんだけど?」

「俺もよくわかってない。むしろエミリアに聞きたいんだけど、アビリティー研究処ってどういうところなんだ? 研究処の責任者もやっぱり【賢者】? エミリアの師匠っていうのはアビリティー学者なのか?」

「私の先生は歴史学のおじいちゃん教授。アビリティー学者の教授賢者についてはよくわからないなぁ。そういう偉い人とちゃんと交流するのは学問研究院に進学してからよ。つまり17歳になっていったん卒業してからの事」

「えーっと、エミリアは今何歳なんだ?」

「2月生まれで春に入校したばかりよ。要するに、研究処がどういうところか分からないから、実験動物みたいに扱われるのが怖いって話なのね?」

「うん。実際どんな感じだとおもう? エミリアの感覚でいいから」

「……やっぱりわからない。チルカナジアでは30年新種アビリティーが見つかってないんだし。研究処がどういう反応するかなんて、想像の及ぶ範囲じゃない」


 結局のところ、以前ハンナの言っていた通りのようだ。

 エルネストの用意してくれた下宿先証明書と、銀合金の身分証をエミリアに提示し、逃げるつもりがないことをはっきりさせたうえでその日は解散となった。

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