みんな狂ってる

 夢の終わりはいつだったか。気づけば遠くから小鳥のさえずりが届く。

 少女がゆっくり起き上がり、その拍子に涙が頬を滑り落ちた。


「……あ」


 まただ、紫苑はそう思った。

 また、あの夢だ。




 自室から出てすぐの階段を降りていくと、小さな喫茶店に出る。店内を満たす甘い香りに、紫苑は幸せな気分に浸った。


「おはよう、紫苑」


「おはよう」


 キッチンに立って紫苑に声をかけたのは、鈴村すずむら美弥乃みやのという女性である。喫茶店のオーナー。物腰柔らかな雰囲気だからか人が自然に寄ってくるというか、店は大いに繁盛もしなければ赤字にもならない。


「今日、フレンチトースト?」


「うん。紫苑、好きでしょ。今日は始業式だからねー」


「やった、着替えてくる!」


 フレンチトーストは紫苑の大好物。なおかつ美弥乃の焼くそれは、紫苑の胃袋を惚れさせた逸品だ。


 紫苑は現金に眠気を吹き飛ばし、再び階段を駆け上がっていく。その様子を見送って、美弥乃は微笑んだ。


「朝から騒がしいな、あいつは」


 店の奥から男が一人、苦笑しながら顔を出す。美弥乃の夫、れん。十年前、紫苑を施設から連れ出した男だ。


「あの子、どんなに眠くても私のフレンチトーストの匂いを嗅ぐと必ず目を覚ますのよ」


「あいつらしいな。誰かさんにそっくりだ」


「ええ、ホントに」


 二人が紫苑の話題に笑い合うのを、本人が知ることはなかった。「あいつ」とは誰のことなのかも。




「いただきます!」


 制服に着替え終わり、紫苑は開店前の喫茶店でコーヒーとフレンチトーストを楽しむ。自分のことながら、毎朝贅沢だなと感じる。


 紫苑は店内の隅に置かれたテレビをつけ、コーヒーを飲みながらチャンネルを切り替えていく。


「……次のニュースです。今日未明、都内の雑居ビルの屋上で一人の男性の骨が発見されました。骨の複数箇所に捕食痕があることから、男性はアンデッドに襲われた可能性が高いと見て、アンデッド対策本部が捜査を進めています」


 テレビの中のニュースキャスターが伝える無感動な声音を聞き、紫苑はぼんやりとそのニュースを眺めていた。


「いやぁ、怖いですよね。都内には狂ったアンデッドもたくさんいるようで、心臓だけ抉って食べる奴とか、血を全部吸っていく奴とか、そしてこの男性の遺体のように骨以外全て食べる奴とかいるらしいですよ」


「アンデッドなんてね、みんな狂ってるようなもんなんですよ、ええ。そもそも一度死んでいるのに、生き返るなんてそんなの狂ってるでしょ」


 コメンテーターの乾いた笑いが耳に張り付く。


 誰かが死んだことさえ、談笑のピースのひとつに成り下がる。この世界ではそれほどまでに、死が日常化しているのだ。


 生喰——アンデッド。それは、人の死から生まれ、人の生を喰らう者。

 人は死ぬとき、稀に蘇ることがある。その存在こそ、アンデッドだ。彼らは生命力なしには生きられない。そして既に死んでいるため、生きた人間よりも多くの生命力を消費する。


 生命力を得るには、生きた人間を喰らうしかない。全て喰い尽くせばその人間の寿命を全て奪い、血を少し吸えばその吸血量に値する寿命を得る。


 アンデッドはそうして、一度死に至ってから再び蘇り、かりそめの生命を獲得している。

 蘇っても、生きた血肉を喰らわないまま過ごせばそのアンデッドは飢餓状態となり死ぬ。そして二度と蘇ることはない。


 その特性を利用してアンデッドを殲滅しようと動いているのがアンデッド対策本部である。彼らは普通に銃器などを使うだけでは死んでくれないアンデッドを、捕らえて監禁し飢えさせることで駆逐する、アンデッド専用の警察のような組織だ。


 本部の発足によりアンデッドの数は減っているが、もちろん彼らのいないところで事件は絶えず起き続ける。


 一生終わらない追いかけっこでもしているみたいだ、と紫苑はそんなことをふと思った。

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