第4話 思い出は支えになる


 2学年の終わり頃だったか。

 俺はいつも通り昼休み中に裏庭に逃げ込んだ。

 裏庭は奥まったところにあり、しかもほの暗くてめったに人が立ち寄らないところなので、ゆったり過ごすにはちょうど良かった。


 そんなとき、珍しく先客がいることに気づいた。

 女生徒の集団で、何かを囲んできゃあきゃあ騒いでいたんだ。なんだ、と思っていたら囲いの中からバッと黒い何かが飛び出してきて、また囲いの中に引きずり戻される。

 そのなにかは、よく見れば狐だった。しかも珍しい黒の毛色の。


 その狐は時々逃げ出そうとするものの、その抵抗は弱々しかった。

 腹付近の柔らかい毛の部分や、尻尾、耳を無遠慮に触られて明らかに嫌がっているにも関わらず彼女らは愚行を止めない。むしろ、喜んでいると勘違いしているようだった。

 そういえば狐って、こんこんって鳴かないんだな。ギャー、とかワン、とか犬に近い声だった。


 結局俺は見てられなくて「嫌がってるようだけど?」って声をかけたら、今度は女生徒たちが悲鳴をあげて散り散りになって逃げてった。地味にショックだったなあ、あれ。いやまあそのときにはもうカティがいたから逆に言い寄られなくて良かったんだけど。


 ボサボサになってしまった黒狐の前にしゃがみ込み、一応「背中と頭の毛並みだけ直すな」と声をかけてから撫でて毛並みを直してやった覚えがある。

 どっから紛れ込んできたかは知らんが、この裏庭のすぐ隣には演習用の森があった。そこから迷い込んできたのかな、と思って裏庭から森に通じる道を案内して見送ったはずだ。



 …え?あの狐!?


「今は安定したけれど、あの頃はまだ魔力が不安定で突然、獣の狐になってしまうことがあったんだ。なんとか人気のないところに、と思って隠れながら進んでいたけれど彼女らに見つかってしまってねぇ。女性に無体はできないから強く抵抗できないところを無遠慮にあちこちまさぐられ、挙げ句には股を開かされて『この狐はオスですわね』なんて笑われたんだ。女性全員がそうではないとは理解しているけれど、どうにも嫌悪感があって」

「そんな体験したら俺だって無理だわ」

「だろう?だから君は私を救ってくれたヒーローだったのさ。だからね」


 にこり、と狐の口が弧を描く。

 目は笑っていないし、なんか声色が低くなった。


「私は怒っているんだよ、ヴォルター」

「…へ?」

「君が君自身を顧みないことに。私はまだ、君に恩を返しきてれないんだから君には長生きしてもらわないと困るんだよ」

「お、恩返しは十分されてると思うんだが?俺が相手の顔分からないからってサポートしてくれてただろ?それ気づいたのも最近で、情けない話なんだが…」

「いいや!まだまだ足りないね!だからヴォルター」


 むぎゅ、と頬を挟み込まれる。

 意外と肉球が硬いけど指の毛ふわふわ…、なんて思考が一瞬飛んだが、目の前の真剣な表情に引き戻された。


「散々、弟君にも叱られただろうが。私にも遠慮なく頼りたまえ」

「…」

「たとえ私と君の間に爵位という身分差があろうとも、だ。私は君の友で、親友だ。存分に『ベルント公爵』という地位を有効活用したまえ。君が願う、君の家族の幸せのために。私は喜んで利用されようじゃないか」

「…どうして」


 どうして、そこまで。

 思わず溢れたその言葉にペベルはふ、と笑うとワシャワシャと俺の頭を撫で回した。

 結構強いその撫で回しに軽く目を回していると、穏やかな声で返される。


「狐っていうのは、恩を返すものなのだよ。逆も然りだがね。君と、カサンドラ夫人には大いに恩を感じているんだ。まあ、もちろん過剰な要望には応えるつもりはないが、君はそんなことはしないだろう?」


 ぼふん、という音と共にまた煙が上がる。

 それがはれると、いつものペベルがそこに座っていた。どうやら腕輪を付け直したらしい。

 魔道具なのか、あれ。


 すると、間を置かずにドアがノックされる。

 俺ではなくペベルが「どうぞ」と応えると、侍従に頼んだ果物をルルが持ってきてくれていた。

 時計を見れば、もう授業は終わっている時間だ。


「やあ、小さなレディ。お邪魔してるよ」

「ベルントさま」

「いやいや、堅苦しい挨拶はこの場ではいいよ。勉強は終わったのかい?」

「はい」

「そうか。では、話すことも話したし私もお暇しようかね。これからお父君とおやつの時間だろう?」


 ちら、とルルの後ろに侍従がカートを引いて立っているのが見えた。

 果物を切り分けたものとティーセットが乗っているようだ。


 ペベルは立ち上がると、ルルの傍に歩いていく。

 ルルの目の前で膝を折り、その手を軽くとって手の甲を額につけた。

 目を瞬かせるルルにペベルは微笑む。


「お父君が仕事をしているようだったら、叔父殿に遠慮なく密告したまえ」

「はい!」

「いやさすがにしないって」

「いやあ、どうだろうねぇ」


 君は鈍いから。そんなことを言い残して、ペベルはひらひらと手を振って部屋から出ていった。



 ◇◇



 ペベルの他にも、見舞客がちらほらと来た。


 フィッシャー卿夫妻。シュルツ閣下、シュルツ公爵。ハイネ男爵。それからカールの出身孤児院の竜人神官殿と孤児院代表の子がふたり。スラム地区代表の爺さん。

 フィッシャー卿夫妻にはえらく心配されたし、シュルツ閣下に至っては見舞いに来てすぐ問答無用で頭にゲンコツ食らった。痛いしその後の魔力枯渇による弊害、ポーション乱用についての危険性などを説教されて思わずベッドの上で正座して聞いたぐらい怖かった。

 隣にいたシュルツ卿からは生温かい目で見られた。なんで。



 療養開始してから2週間ほど経ってから、軽い運動が許可された。相変わらず仕事は許可されていない。大丈夫かな、俺。仕事の仕方を忘れてないだろうか。


 運動がてら、ルルと庭を散歩する。

 風が冷たく感じられてきたから季節はもうヴィンターに差し掛かっているようだった。


 この国は世界地図としては南の方に位置している。

 なので、雪が降るほど寒くはないが…といった感じだな。その代わり、ゾンマーの時期はかなり暑いが。

 まあ、元日本人としては年中を通して比較的過ごしやすい気候の国ではあるんだけど。


「あ、お父さま見てください」


 ルルが指さした方を見れば、庭に植えてあったケヤキの枝に真っ白な小鳥の集団が仲良く止まっていた。

 換毛期だからだろうか。こころなしかふっくらと丸みを帯びているように見える。

 あれだ。シマエナガみたいだ。


「かわいい」

「かわいいなぁ」

「お父さま、お父さまは鳥も描けますか?」

「ん?まあそれなりには…」

「描くのが難しいものとかあるんでしょうか?」

「俺は人物画が苦手かなぁ」


 人の顔を描いてるうちに、あれ、こんなんだっけ。ってなるんだよ。特に俺はすぐ分からなくなるから、それが極端になる。何かが違う、と描いて描いて繰り返してようやく「同じかもしれない」っていう程度になる。

 これは俺が相貌失認だからってわけじゃなく、絵を描く者は必ず通る道かもしれない。


 ルルが黙り込んだ。

 その表情は何かを言おうとして戸惑っているように見える。


「……明日、ルルの空いてる時間に一緒に絵を描いてみるか?」


 ぱ、とルルの表情が明るくなる。

 良かった、当たってた。


 よし後でハンスに画材を用意するように頼もう。いきなり油絵や水彩画は難しいから…ああ、色鉛筆から始めるのがいいか。

 題材は何がいいだろう。いきなり風景画はハードルが高いし、花は…ああ、コスモスが咲いているな。天気が良ければあれがいいだろう。


「じゃあ明日、天気が良かったら外であの花を描いてみようか」

「はい!」


 嬉しそうに笑うルルに俺も自然と笑みが浮かぶ。

 うん、やっぱり笑っているルルが良い。この前のような失態は今後やらないようにしないと。


 結局、魔力回復ポーションに頼らなければいけないほど一気に魔力を失ったのが問題だったんだよな。

 魔力の回復は基本よく食ってよく寝る、なんだが、この前のような状況だとそうもいかない。

 結界石は魔力を取り込んでその効能を発揮するから、魔道具なんかもあるんじゃないか。

 世界で戦争なんて起こったのは300年近く前に起こったヒースガルド帝国の侵攻ぐらいだが、たしかそこで魔石を使用した魔道具の開発が一気に進んだはず。

 冒険者等がモンスター退治するときに純粋な武器だけではなく魔石を使ってあらかじめ補充していた魔力を用いた道具があるかもしれない。要するにエンチャント武器だな。


 我が国では主に戦うのは騎士団や魔術師団で、騎士団は剣や槍、盾等を用いた物理戦闘集団だ。魔法を扱える者は少ない。

 あ、もしかして王家直属の精鋭部隊は何か使ってるかもしれんな。マルクスに知らないか聞いてみよう。

 それから可能であればシュルツ閣下や魔術師団にも戦闘時の注意点を ――


「お父さま?」

「っ、あ、なんだい?」

「ボーっとしてどうしたんですか?」


 危ねぇ。普通に考え込んでしまった。

 ハンスにも指摘されたが悪い癖だな。


「いや、カティ、お母さまとルルであの樹の下でピクニックやったなぁって思い出して」


 すまんカティ。利用させてくれ。

 ここでまたなんか仕事に近いことを考えてたなんてルルにバレたらマルクスにまで叱られてしまう。俺が悪いのは分かってるから。


 ルルはきょとんとした表情で「お母さまと?」と瞬きする。


「ルルはまだ小さかったから覚えてないかな。今よりもうちょっと暖かい時期に、3人であそこにシートを敷いてお弁当を食べたりしてたんだよ」

「覚えてないです…」

「ああ、絵を残してたはずだ。あとで見に行こうか」

「はい。…あの、あたたかくなったら、お父さまと叔父さまと一緒にピクニックしてみたいです」


 えへへ、と笑うルルに、俺も笑った。

 そうだな。来年のフリューリングにはマルクスと一緒にピクニックするか。

 未来に向けて思い出をたくさん残していくのは良いことだ。


 俺にとってカティとの思い出が、生きる支えになっているのと同じように。

 未来のルルにとっても、何かあったときに俺やマルクスとの思い出が支えになれるように。


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