第2話 大馬鹿者



「副作用、ですか?」


 ベッドの隣に設置された椅子に座ったルルが、不安そうに返す。


「そ。さすがに緊急用の魔法回復ポーションの連続服用はダメだったなぁ」

「だめに決まっておろうが!何のために連続服用に厳格な規制があるとお思いか!」


 ベッドに寝ながら、甘んじて子どもの頃から世話になってる公爵家主治医の爺さんからのお叱りを受ける。


 いやでもなぁ。あの暗闇で巣の掃討するには無理があった。実際、いくらか犠牲が出てしまったし実践経験が豊富な各団長らや《旋風の盾》リーダーも「無理だ」って口を揃えた。

 高ランク冒険者グループならなんとかなるかもしれないとのことだが、今から依頼を出しても間に合うかどうかという切羽詰まった状況。


 それなら、この前やったみたいに外に出てきたところを一網打尽すればいいんじゃない?って提案した。洞窟周辺の一定領域を結界石で囲い、そこから外に出れないようにして。

 当然猛反対にあったが、かといって他に解決策があるかというとそうでもなく。

 結局追い出し作戦が採用されて、万全の準備を整えた上で決行することになった。


 メインは俺の炎。

 燃えるモンスターのトドメと、俺が見逃したモンスターの討伐。


 結界石は追い出し組にも持たせ、発破をかけた衝撃で入口に暴走し始めたモンスターから身を守るために使わせた。

 それから俺ら掃討組の各所にも結界石を配置し、休憩所を作った。

 騎士であろうが魔術師であろうが、精霊魔法を扱う精霊師であろうが体力や魔力を消費するからな。交代制で対応できるようにしたかったんだ。


 となると、結界石が大量に必要だろう?

 近場の商人から金に糸目をつけず(事情を知って、良心的な価格で提供してくれた。ありがたや)買い漁り、それに魔力を充填。

 そこで2回目の魔力回復ポーション。

 1回目は前回の掃討戦のときだ。このポーション、連続服用は原則1ヶ月以上間隔をあけることになっている。この時点で1ヶ月も経ってないからこの時点で実は副作用が発生することは確定していた。

 まあ、それは覚悟の上だったよ。


 回復後、結界石の稼働状況と全員の状態を確認して決行。

 数時間に及ぶ激闘のすえ、出てくるモンスターの数が明らかに減った辺りで俺、魔力切れにより昏倒。ハンスによって叩き起こされ強制的に接種させられ3回目。

 まあ、魔力持ちは魔力が枯渇したら生命維持を無視して魔力回復しようとして死ぬからハンスの行動は正解。



 はい。というわけで現在、まともに立って歩けません。座るぐらいはできるけど。

 魔力変換がバグってるような状況だから落ち着くまでは安静にしてるしかないらしい。


 けどなぁ、まだ色々やること多いんだよな。

 スラムの件や事業、領政に今回見つかったダンジョンの管理方法の策定やルルが10歳になった以降の教育をどうするかの選定とか。

 ベッドの上で書類仕事ぐらいは、と思っていたところで、マルクスが腕を組んでぎっと睨んできた。


「兄上は当面、絶対安静です。仕事もなし!」

「え?ちょっとそれは」

「ちょっとではありません!大体、兄上は昔から人に頼ろうとしないで自分でなんとかし過ぎなんです!今回は仕方ないにしても、普段からの兄上の仕事量は明らかにおかしい!!」


 マルクスがここまで怒ったのは初めて見た。

 呆気に取られていると、ハンスもため息を吐いて「僭越ながら公爵閣下と同意見です」って言い出した。


「私に回されている仕事も最低限ですよね?本来なら、もっと量があるはずです」

「いや、でもハンスには伯爵邸のこともお願いしてるし」

「執事長ならそのぐらい当然ですし、補佐となる優秀な者も配置いただいています。もちろん、私では閲覧できないものもございましょう。しかし、旦那様には補佐に該当する方がいらっしゃいません、当主代理の時代から」

「えと、クリストフが色々とやってくれたから、あれだ。クリストフが凄いんだ」

「クリストフ執事長が凄いのは分かりますが、彼ですら旦那様は仕事を抱え込みすぎだ、渡してくださらないと頭を抱えていましたよ」


 マジかよ。

 抱え込んでる自覚はなかったんだが…え、あれ多いの?

 いやまあ、クリストフやハンスから何度か「他にお手伝いできることは?」って聞かれてたけど…。


「兄上がやっていた仕事は一旦、私が引き取ります」

「いやいや、お前だって結構な量抱え込んでるだろ!」

「兄上ほどではありませんが?それに、私には側近が3名います。交代で担当してくれてるんですよ。…引き継ぎ前に兄上がリストアップしてきた方々で、シュルツ卿ご協力の下問題なしと判断され合格した者たちです」


 そういえばそんなことしたな。

 まだ若いし、困ることもあるだろうからって身辺調査して優秀で信頼できそうな貴族家の次子以降をリストアップして「シュルツ卿と相談して決めてくれ」ってマルクスに投げたやつ。


 いや、でも、と言い募ろうとして口を噤んだ。

 マルクスが泣きそうになっていたから。


「……兄上は、僕やルルを置いて死ぬつもりですか」

「そんなつもりは、」

「あなたにそんなつもりがなくても実際にそうじゃないですかッ!!」


 鈍器で頭を殴られたようなショックだった。


 声を荒げたマルクスはグッと噛みしめると、踵を返して部屋を出ていってしまった。

 引き止めなきゃいけないと思ってても、声が出なかった。

 なんて声をかければいいのか、分からなかった。



 …俺は。

 俺は、ただ、ルルが、マルクスが幸せにって、そのためなら、なんだって。



 ぎゅ、と手を握られてそちらに視線を向ける。

 その小さくて温かい手は、ルルの手で。

 その握られた手に、ぱたぱたと温かい水が落ちてきて。


 ただただ、堪えながら泣くルルに俺は間違えていたのだとようやく理解した。


「…ヴォルフガング様。まずは第一に安静、次にご家族と話し合いを。マルクス様が仰る通り、あなたのその症状は今回のポーション多用による副作用だけではない。元からの不摂生もあって起こっていることだということを、ゆめゆめお忘れなきよう。普通は副作用があってもそこまで悪くならん」

「……ああ」

「それでは、私はこれで」


 静かに主治医の爺さんが出ていく。一緒にハンスや侍女たちも出ていった。

 パタン、と閉じられたドア。室内には俺とルルのふたりだけ。


 ぐす、と鼻をすするルルに手を伸ばして、躊躇する。

 カティに、絶対に幸せにするって約束したルルをこんなに悲しませてしまった。


「……ルル」

「…っ、ひ、…、うぅ…ッ、そ、つきッ」

「っ…」

「うそつき、お父さまのうそつきッ、マルクス叔父さまが、公爵になったらっ、忙しくなくなるって言ったのに!!」


 ボロボロとルルの瞳から涙が落ちていく。

 胸が痛い。目頭が熱い。でも、俺はここで涙を見せちゃダメだ。


 カティの死を受け入れずに泣き叫んでいた幼いルルのときのように、我慢させてしまう。

 俺は彼女の叫びを聞かなければならない。


「わたしさびしかったの!わたし、お父さまと一緒にいたい!!」

「うん」

「お、かあさま、みたいに、置いてかないでよォ…ッ!!」


 腕を伸ばしてルルを強く抱きしめた。

 それを皮切りに大声で泣き始めたルルに、ごめん、ごめんと繰り返す。



 俺は、馬鹿だ。大馬鹿だ。

 一番大事な家族を傷つけてまでやることじゃないだろうに。

 大事なものを見誤っていたんだ。



 …本当に、俺は、馬鹿だった。





 ―― しばらくして、ルルの嗚咽が小さくなりぐったりと重くなった。

 ゆっくりと体をずらしてやると、寝てしまったようだった。

 全力で泣けば疲れるし、何より俺が倒れてしまった心労もあったのだろう。


 本当は7歳ともなれば男親と同じベッド、というのはよろしくないんだが、ここで離れるとまたルルの情緒が不安定になりそうな気がした。

 ベットサイドにある呼び鈴を鳴らす。

 すると、すぐに小さなノックがあった。「入れ」と小さめの声で答えたが聞き取れたようでドアが静かに開けられる。

 顔を出したのはハンスだ。ああ、ハンスならあれぐらいの声も拾えるか。


 ハンスはちら、と眠るルルを見て、俺に小声で問うた。


「お嬢様はいかがなさいますか」

「ドロテーアに侍女を交代制でこの部屋に控えてもらうように依頼してくれ。さすがに今部屋に返すのはマズい気がする」

「そうですね。ドロテーアを呼んでまいります。それから、お嬢様が落ち着いたようであればマルクス様がお話されたいとのことですが、いかがなさいますか?」

「寝ているルルがいても良いのであれば」

「承知いたしました。お伝えいたします。では、まずはお嬢様をそちらに移動させても?」

「頼む」


 ルルをハンスに託す。

 ひょいとルルを横抱きにしたハンスは、ぐるりとベッドを周って俺のベッドの空いているスペースにルルを寝かせた。

 寝るのに邪魔そうなアクセサリーや靴を手早く取り、それを抱えて静かに部屋を去っていく。


 泣きはらした目が痛々しい。

 こんなふうにしてしまった自分自身が憎い。他の野郎だったら殺す勢いで殴ってた。

 でも自分自身をそんな風にしてしまうとまたルルを悲しませそうで、湧き上がる自己嫌悪に静かにため息を吐きながら、ルルの頭を撫でた。



 コンコン、と控えめなノック音に「どうぞ」と小声で返す。

 入ってきたのはマルクスとドロテーア、それから侍女だった。


 マルクスは俺のベッドの隣まで近づくと、置いてあった椅子に静かに腰掛ける。

 そうして、軽く頭を下げてきた。


「…申し訳ありません、兄上。ルルの前であのような……」

「…あれは俺が全面的に悪い」

「いいえ、僕が取り乱さずに…せめて、もう少し言い方を考えなければなかった」


 直接的な表現だったからな。たしかにそれでルルにショックを与えてしまったのはある。

 …でも。


「…だが、マルクスがあそこまではっきり言ってくれなければ、俺は自覚しなかったと思う」


 マルクスの頭がゆっくりと上がる。

 泣いてこそいないが、まだ何かのきっかけで泣いてしまうような、そんな表情だった。


「俺はお前たちが憂いなく、幸せに過ごしてもらうことが望みだったんだ。そのためだったらどんなことだってやってやろうって思いでさ。あ、怒るなよ?だから俺はなんともなかったんだ」

「…」

「自分の体のことはどうでもいいと思ったことはない。だが、そうだな…医者の爺さんが言っていた、体が悲鳴を上げていたことには気づいてなかったんだ」


 感覚が麻痺していたのか。そもそもその感覚がないのかは分からない。

 でも俺は疲れを感じこそすれ、それを吹き飛ばすほどの活力を得ていた。だから精力的に仕事もできていた。


 それが実際には蓄積されていて今こんな状態になってるんだろうけど。


「さっきも思わず言いましたけど、兄上は人に頼りなさすぎです。そう考えると、義姉さんがうまくハンドリングしてたんですね」

「そうかもな」


 色々思い返せば、ハンスもクリストフも苦言を呈してくれていた。

 けれど俺は「まだ大丈夫」ってどんどん抱え込んだんだ。

 本当に、全然大丈夫だって感じていたから。ある意味頑固だったんだろう。


 カティはそんな頑固な俺をうまく誘導して、色々あちこちに頼んでいたと思う。

 公爵代理夫人として、伯爵夫人として。


「兄上の仕事量から考えてやはり最低ふたりは側近をつけましょう。僕の方でリストアップしても?」

「そうだな。頼めるか?」

「もちろんです。こちらでシュルツ卿と相談してみます。兄上はくれぐれも、安静にしていてください。ルルと僕のためにも」

「ああ。本でも読んで過ごしてる」


 それではと部屋を去っていったマルクスを見送る。

 ふと、ルルに視線を向けたときに、視界の端に俺とは反対の位置のベッド脇に椅子を持ち込み、座っているドロテーアが目に入った。そちらを見れば、ドロテーアはじっと俺を見つめている。彼女の後ろにはもうひとり侍女が立っていた。


「…いつもルルのことを気にかけてくれて、感謝してるよ。ドロテーア…と……すまん」

「旦那様のご事情はお伺いしておりますのでお気になさらず」

「助かる」

「……ご自覚いただけたようで、何よりです。わたくしどもやお嬢様から見ても、旦那様は働きすぎだと思っておりましたから。あのご多忙な中、お嬢様との時間をどうやって適度な頻度で捻出されていたのかと疑問に思っておりました」


 ドロテーアの言葉にこくりと侍女が頷いた。あ、みんなからそんな風に思われてたのか。

 使用人の立場から主に苦言は言えても、はっきりと忠告はできないから遠回しになるもんな。

 俺はその遠回しの忠告には気付けなかった、鈍い奴だったわけで。


 ふ、とドロテーアが笑う。


「今はごゆるりとお休みくださいませ。ゾンター伯爵家、レーマン公爵家に仕える使用人一同、旦那様のご快復をお待ちしております」

「…ああ、ありがとう」


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