SFと大人と婚約破棄

円盤

SFと大人と婚約破棄という組み合わせ

「なあ、僕たち別れようか」

「えっなんでよ!!!もうすぐ結婚するって話していたのに!」

 彼氏の四次元人たるエヴァンが言った。私は三次元人なので、彼の姿は三次元に合わせた人型なのだ。目と鼻とそれから耳。胴体と手足。

「僕は今まで何度も言っていたよね、遠出にワープを使うのは反対だって」

「でも、それは致し方ないものだったのよ。仕事の都合でどうしてもワープしないといけなかったの。地球からアンドロメダを1日で行き来するなんて普通は無理なんだもの!高速船でやっと5年よ。あなたと違ってどこにでもいられるわけじゃない」

 憤慨する私を見て、少し悲しそうにこちらを見た。

「僕はどこにでもいるわけじゃないけど、三次元から見たらそうなんだろう。君に説明するなら、二次元の方が良いだろうね」

「なによ。知らないわよ」

「僕から見て君は、二次元にいる絵のようなものだ」

「なによ小次元愛者の話?」

「いや、なんだいその小児愛者みたいな言い方は。僕は今は三次元の体をしてるだろ。関係ないよ」

「はあ。なんなのかしらこのマウント」

「はは、相変わらずかわいいね。で、つまりだ。君はワープをしたよね」

「そうよ」

「ワープの原理はわかる?」

「紙を折り繋げるように空間を捻じ曲げて、同じ一歩のあいだを小さくしてる」

「三次元の世界ではそうだね。でも、僕たちにとっては全く違うんだ」

「どういうことよ」

「何度も説明したけどなぁ、やっぱりワープで書き換えられちゃってるみたいだ」

「だから簡単にさっさと説明しなさいよ」

 エヴァンはふたつの写真を表示した。見慣れた街の風景と、美しい海と岸壁の映されたものだ。エヴァンは、街の風景に私の画像を表示した。これは確か、2人で初めて出かけた日の写真だ。

「あのね、この2枚の写真は折り曲げてもつながらないでしょう」

「そうね」

「でもこうする」

 街の写真の上に、海と岸壁の写真は重なった。空中に表示される写真の透明度を下げて重ねることで、下の様子が透けて見える。

「なによ。これがなんなの?」

 その写真の私のいる場所を上からなぞる。そして生まれた人らしき形の模写を、エヴァンは指差した。

「これが今の君だ」

「は?」

「僕たちの次元から見たワープの真理なのさ」

「はあ?」

「つまり。僕から見た君は僕と付き合っていた君のコピーなのさ」

「はあ!?」

「だから君とはもう付き合えない……本物の君だとはもう思えない……」

「わけわかめすぎるわよ!?なに!?円城塔の小説みたいな感じなんだけど!?」

「彼の小説はもっと特別な世界を持っているよ。こんな単純じゃなくね」

「うるさいわね!で、じゃあ、ほんとに私はもう?」

「うん。前の君は僕でも見つけられない高次元に行ってしまった。恐らくもう、この宇宙で見つけることはできないだろう」

「そう、なの?」

「うん」

「元には、戻れないの?」

「うん」

「……」

私は黙ってしまった。

「分かったわ」

「そう」

 彼は少しだけ寂しそうに、下を向いた。

「ありがとう、今まで。」

「ええ。ありがとう。偽物らしいけど、貴方との記憶は本当に素晴らしいものだったわ」

「僕もさ。やっぱり、次元違いの恋っていうのは難しいものだね」

 その顔を見て、私はいてもたってもいられなくなった。

「まってて」

「え?」

「必ず貴方に追いつくわ」

「は?」

「必ず四次元に向かうわ。無限の私が、前の私が、これからの今の私が」

「そんなの、無理だよ、ヒトの意識は3と4次元にしか無いって研究が」

「私たちの世界は長らく3次元で止まっていた。貴方達が私たちが観測できないほど、ナノよりもずうっと小さい世界から、分度器の角度は小さいほど変えやすく、小さい世界からなら簡単に移動できると教えてくれて初めて出逢ってから、世界は四次元に変わったわ」

「高次元の私が必ず迎えに行く。三次元の私と高次元の私はきっと繋がっているわ」

「……うん」

「その証拠に、記憶はずっと存在し続けてる。だから必ず迎えに行くの。安心して、待っていて。ピコより、ヨクトよりずっと小さい世界を観測し続けて。きっと私はそこにいる」

「……わかったよ」


 そうして、私たちは別れた。悲恋などではない。希望的観測を胸に。





 それを読んだわたしは、この薄っぺらい紙束を机に叩きつけた。目の前には、嬉しそうな顔をした部員1号、ええとエヴァンじゃないなんだっけ名前。

「坂田栄です」

 そうだ、さかたさかいとかいう回文のような名前の男だった。ばんだえいと読めるからもじってエヴァンと言いますと子供が一所懸命に考えたようなあだ名を持つ男は、毎週訳のわからない小説を持ち込んでは読ませてくるのだ。

 いくらここが文芸部とはいえ。文芸部とはいえ!!!!

「なんで私とあんたが付き合ってる設定なのよ」

「彼氏のいないかわいそうな先輩に、流行りの婚約破棄を味わえるようにという後輩の粋な計らいでございます」

「きぃぃぃなによそれ、あんた彼女は道具としか思ってなさそうな心根をしてるわ」

「うるさいですねー、次は恋愛ものを作りなさいって言ったのは先輩ですよ」

「ついていけないわこんなの。なにこのワープ理論。読者を置いていくSF小説まっしぐら」

「オリジナリティは大切です。それに文体に気を付けて読みやすくしています」

「ト書きみたいな説明文で?今日も私の小説の方が良かったわね」

「うぇっ、この……可哀想な女の妄想を垂れ流したような?」

「うるっさいわね!」

「愛のワープ航法……ださ。ええと?君を待たせてしまったな……?」

坂田は読み始める。






「クリス様……私を迎えに来るために、そんな無茶をなされたんですか」

 私はクリス様の青い瞳を見つめた。美しかった髪は硝煙で黒く染まり、ボロボロのマントを身につけて、身体中擦り傷だらけ。立っているのがやっとなのだろう。

「君のためだったら、宇宙など簡単に越えられる」

 ワープを行うたびに、人間の体は傷ついてしまうのに。何度も何度も私を探す為、星々を渡り歩く為、ワープを繰り返したのだろう。

「でも、わたし。貴方に生きていて欲しくって、だから」

「君がいない世界など存在していないも同然だ」



「いや無理ですって」

「まだ途中よ!」

「冒頭でもうわけわからないんで」

「最近のTwitter広告を参考に、最初に大きなシーンを持ってきたわ」

「クライマックス最初に持ってくる阿呆がいますかこれ」

 先輩に向けた態度とは思えない姿勢で、人の小説を机に置いた。原稿を破ったり投げたりしないところ、一応物書きとしての優しさはあるらしい。

「それにテンプレなセリフを散りばめただけの小説らしき物体」

「だって恋愛なんて縁がなかったのよ。でも三題噺でSF、婚約破棄、大人ってなによこれ」

「ぶわはは先輩の大人の男像ウケる」

「あんたのは自分だから大人じゃないわよ」

「高次元の男は大人だと思いまーす」

「うわぁ変人。てか普通自分の名前使わないでしょ……ガチナルシスト」

「ナルシストはいいことだと思いまっす」

「ちいっ、なによこいつ。全然優しくもないのになんでモテるの」

 うーん、と悩んだ後、坂田は自分の顎に手を当てて言った。

「この顔のせいですかね?イケメンなんで」

「テンプレやめれ。まあイケメンは認めるわ。そしてこの度の小説勝負はあんたの勝ちよ。次は必ず負かしてやるんだから」

「このレベルで?」

「他のものはいい勝負だったでしょうが」

「まあーそうですけどぉー」

 荷物を鞄に詰めて、部室がわりの理科室を出る。

「じゃ、私帰るから。今日のお題は幽霊、部室、シャボン玉」

「はーいはい、じゃあまた書いてきますよー、また明日」

「また明日」


 坂田栄は、椅子から立ち上がってカバンを肩にかけ荷物をまとめ、開けたままの理科室のドアをくぐった。

「何で気がつかないのかなーあの人」

 廊下を歩きながら、先輩が今日書いた小説を引っ張り出して捲る。正直なところ、酷くダサいし、酷くつまらない内容だ。けれど。

「普通あそこまでやったら少しは意識しない?何なのあの鈍感さ。はー。今度はどう小説内でいじってやろうかなぁ、寧ろどこまでやれるか図りたくもある」

 夕日が沈み、夜の空気が少し肌寒さを与える。坂田は何をしてやろうかと考えながら、この地球もシャボン玉の様になっていて、星はその球面に投影されたものだということを思い出した。


「次はとある部室での実験により、霊感がなくても幽霊をシャボン玉の内側に投影して見る事ができる装置を作った話でも書くとするか。ついでに先輩を登場させて、幽霊にあれやこれやと脅されるシーンを……」


そこまで考えて、止めた。

「可哀想だからやめておこうか、普通に冒険っぽい感じに仕上げよう」

 坂田は目を瞑った。

 あの日、初めて会った時。自分の書いた落書きの様な小説を楽しそうに読む先輩。正直今日のものは僕も駄作だったから仕方ないけれど。


 嬉しそうに感想を伝えてきたあの顔は忘れない。だから今度はもう少し、彼女が喜ぶものを作るのだと、坂田は帰路を急いだ。

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SFと大人と婚約破棄 円盤 @Saikun_9

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