おとなりの治療師

ぬゑ

【帝都の治療師】

異世界。別の現実。




 この世界に来たきっかけなんてものは、とっくに忘れてしまった。

 病気で命を落としたのか、事故死なのか、それとも事件に巻き込まれたのか。そもそも、元の世界で死んだから転生、転移したのかもわからない。もしかしたら道を歩いていた時にワープホールのようなものに巻き込まれただけなのかもしれないし、そんな大層なイベントもなく、ごく普通に、静かに、次元の裂け目のようなものに入り込んでしまっただけなのかもしれない。

 それこそ誇張抜きで、気が付けば、この世界の大地に立っていた。着の身着のまま、学生服の状態で。

 当然ながら、途中に神様とか女神様との面接なんてものもなかったし、チートスキルや超能力の授与式のようなものもなかった。突然拉致されたかのように、何の説明もないまま、何の変哲もない生身のまま、どこかもわからない荒野に放置されていた。

 更に苦境は続いた。

 この世界に来て僕が最初に遭遇したのは、村人や兵士、亜人なんかじゃなくて、なんてことはない、ただの獰猛な魔物だった。牙を見せ、涎をたらし、紅い瞳で確かに僕に狙いを付けたその魔物は、一切の遠慮もなく襲い掛かってきた。

 犬猫程度のものであれば組み合って押さえつけることもできたのかもしれないが、見上げるほどの巨体の猛獣なんかに生身で対抗できるはずもなく、僕は必死に逃げた。たぶんこれまでの人生で一番頑張ったって断言できるくらいに、文字通り必死で逃げ回った。

 だからこそ、逃げ惑う途中に傭兵の一団と遭遇した時は本当に嬉しかった。たぶん、相当運が良かったのだろう。後から知ったのだが、その一団は割と名のあるギルドだったらしく、人の身では到底敵わないと思っていた魔物をあっという間に討伐してしまった。その時に初めて魔法というものを目撃したのだが、死ぬ目に遭っていた僕にその感動を感じる余裕なんてなかった。

 ギルドの団長と話をしたのは、僕が保護されてから二日後のことだった。

 ケンジ・ユシマ――日本名、由志麻健次。そう、その団長という男も、僕と同じ異世界からの転移者だった。

 たぶん彼も最初は僕と同じ境遇だったのだろう。それから色々な話をしてくれた。

 学生服なんてものはこの世界には存在しないし、武器も鎧も持たず、戦闘力皆無のくせに魔物がうろつく荒野を歩いてる奴なんてのは、自殺希望者かあっちからの転移者くらいのものだと彼は笑っていた。

 彼が転移してきたのは、およそ十年前のことだそうだ。

 彼は幸運にも街の近くで目を覚ましたらしく、まずは住居を探し、仕事を探し、その合間に鍛錬を積み、紆余曲折ありながら、最終的には知り合った傭兵仲間と共にギルドを結成したらしい。

 彼が言うには、僕達転移者にチートスキルなんてものはないが、この世界で生まれ育った人達よりも内包する魔力量が高いらしい。元の世界がそういう仕様だったのか、それともゲートのようなものを通った影響なのかはわからないが、過去の文献からも等しくそうなのだという。


「俺の見立てでは、お前は特に多いようだな」


 表情を柔らかくしながら、彼はグラスを片手にそう話した。


「多いって……魔力量?」


「それはもちろんそうだけど……色々、だよ。運とか人の縁とか、そんな目に見えないものだ。特殊能力とまでは言わないが、その色々ってものは、大切にした方がいい。この世界で、生きるためにな」


(生きるため……)


 どこか諦めたように言い放たれた言葉が、やけに気になった。


「その、由志麻さんは――」


「ケンジでいい。同郷だろ? 遠慮すんなよ」


 少しだけ、こそばゆかった。


「ケ、ケンジさんは、帰らないんですか?」


「帰るって、あっちの世界にってこと?」


「は、はい……」


 彼は数回視線を左右に泳がした後、グラスの果実酒をぐいっと飲み干した。


「帰るって……どうやって?」


「そ、それはわかりませんが……例えば、魔法とかで……」


「確かに魔法は強力だが、そんな万能ではないさ。そんな方法があれば、たぶんとっくに帰ってる。俺さ、元の世界では婚約者がいたんだぜ?」


「そうなんですか?」


「ああ。俺にはもったいないくらい、めちゃくちゃ美人のな。普通の両親の元に生まれて、普通に育って、大学を卒業して、けっこういい会社に就職したんだ。業績だって積んでたし、上司からの評価も高かったと思う。そこで知り合ったそいつと付き合って、プロポーズして、OKもらってさ……けど……気付いたら、こっちの世界にいたんだ。全部置き去りにしてな」


「置き去りなんて、それって事故ってことですし……」


「それは俺の都合でしかないからな。あいつからすれば、俺は全てを捨てて行方をくらましたクソ野郎だろうよ。もちろん最初は元の世界に帰りたかったさ。色んな街に行ったり、遺跡を回ったりした。文献も読み漁ったし、有名な魔術師なんかを訪ねたりもした。……だが、この世界に来て十年……いや、十一年、だったかな? まあどっちでもいいか……。いずれにしても、そんだけ昔に転移してきた俺が未だにこんなところで傭兵なんてことをやっている……それが、答えさ」


「…………」


「今だからこそ思うんだ。ここは確かに異世界だ。だが、決して夢物語の舞台でもない。ケガをすれば痛いし、病気になれば苦しい。死ぬ目に遭うことも多いし、誰かが死ぬことも日常茶飯事だ。良いこともあれば悪いこともある。むしろ、悪いことの方が多いかな? 圧倒的にな。酒が美味いのはありがたいし傭兵業ってのも中々面白いが、これまでが順風満帆だったとは到底言えないものではあるな。……話は逸れたが、結局ここは、あっちとは変わらない。ただの別の現実でしかないってことだ」


「別の現実……」


「ってことは、あとはどうするかって話だ。この世界で生きるのか、それとも、とっとと野垂死ぬのか。もちろんそれを選ぶのはお前自身だ。でもお前はついてる。この俺っていうありがたい存在と運よく遭遇したわけだし、もしもお前が生き延びるって言うのなら、俺はその手助けをしたい。何なら、お前が希望するなら安全な街に送り届けて静かな暮らしをするのもいいだろう。でも、必ず自分で選べ。選ばなくちゃいけない。なあなあで過ごせるほど、この世界は甘くはないんだよ」


 ケンジさんは真っ直ぐに僕を見ていた。言葉に迷いはなく、ぶれることもない。

 もしかしたら、まだ彼は元の世界に帰りたいのかもしれない。まるでそんな気持ちを振り払うかのように、淡々と言葉が紡がれていた。


「……選ぶと言っても、それってほぼほぼ一択ですよね」


「生きるって言うなら、まあ、そうだろうな」


「厳しいんですね、ケンジさんは」


「厳しいのは俺じゃない。この世界だよ」


「世界が……。ホント、何なんでしょうね、これって……」


「さあな。そもそも、意味なんてものはないんだろうけどさ。神の気まぐれってところかな」


「迷惑な話ですよ。だから僕は、無宗教なんです……――」


 こうして僕は、しばらくの間、ケンジさんのギルドにお世話になることになった。

 この世界で生きていくため、その方法を、僕は何も知らなすぎる。これからどうなるのか、どうしていくのかはわからない。わからないけど、それを考えるためにも、まずは、生きていかなくちゃいけない。

 

「――そう言えば、まだ名前を聞いてなかったな」


「僕ですか? 僕は、瀬戸裕司です」


「裕司……俺の名前と被るなぁ」


「そうですか?」


「ああ。被る。そうだな……よし、名前を変えろ」


「えええ……」


 まさかの突然の提案。


「今日からお前はユージーン・セトだ。祐司だから、ユージーン。オシャレだろ?」


「そのセンスはわからないですけど……それってどうしても変えないといけないんですか? それとも、名前を変えないと何か不都合があるんですか?」


「安心しろ。ただの、俺ルールだ」


「…………」


 とにもかくにも、これから僕はユージーン・セトとして生きていくことになったらしい。

 酷く受動的ではあるが、これも一つのきっかけなのかもしれない。


 そして僕がケンジさんのギルドに合流してから、五年もの月日が経過した――――。



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