百六十八話 僅かな間隙

「ご無沙汰しております、御曹司。文(ふみ)も出さず申し訳ありませぬ……」


 白髪部(はくはつぶ)の領域、その中でも「東都」に近い邑(むら)である。

 斗羅畏(とらい)さんを迎えた恰幅のいい、けれど眼光の鋭い老人。

 私たちを館に招いて、まず真っ先に斗羅畏さんへの連絡無精を詫びた。

 おそらくはこの邑の指導者、長老みたいな御仁だろう。

 雰囲気からして、若い頃はブイブイ言わせたのかもしれない。


「気に病むな、いろいろ事情があったのだろう。たとえ便りをもらっても、俺も忙しくてろくに返礼などできんからな」


 恐縮して手揉みする老人の肩をポンポンと叩き、わだかまりのないことを斗羅畏さんは示す。

 斗羅畏さんって、私たち以外の人には根に持たないところ、あるよね、あるよね。

 館の中や周囲に嫌な気配、要するに敵意や殺気を持って忍んでいるやつがいないことは、翔霏(しょうひ)や軽螢(けいけい)、そして斗羅畏さんのお仲間たちが念入りに確認してくれた。

 こうして安全地点を確保しながら、私たちはさらに少し離れた「大都」で行われている阿突羅(あつら)さんの殯葬(ひんそう)に向かっている。


「このたびは、まことに急なことじゃった」


 この邑で滞在するのはテント型住居の包屋(ほうおく)ではなく、木造平屋の立派な邸宅である。

 目頭を指で押さえながら、長老さんが嘆ずる。

 英雄の死が突然であるのは世の常だけれど、さすがにこんな最期は誰も予想していなかっただろう。


「そうだな、本当に……」


 腰を落ち着けてゆっくりとお酒を口に含んだ斗羅畏さん。

 こみ上げるものがあるのだろう。

 ぎゅうっ、と涙も弱音も漏らさぬように、目と口を固く結んでから言った。


「良い親爺だった。それがなにより誇りだ」

「う、うぅぅ~!」


 あれ、部外者の私が一番最初に泣いちゃったよ。

 阿突羅さんに一番、可愛がられていた斗羅畏さんが死に目に遭えなかったのだ。

 感情が決壊し、ぐしゃぐしゃの顔で呻くことしかできない。

 みっともないけれど、いいや。

 泣いて、私は私の心を、少しでも救おう。

 翔霏が貸してくれた肩にしがみついて、衣服に顔を押し当てる。


「さっきまでたわけた話をしていたと思ったら今度は泣き喚いてる。落ち着かん女だ」


 シニカルな口調で私を嘲って、斗羅畏さんはお酒を重ねた。

 長老さんの館では、今ばかりは国を分かつに至ったことをみんなが忘れて、生前の阿突羅さんの思い出話に花が咲いた。

 彼らの笑顔を見ていると、阿突羅さんは本当に素敵な親分さんだったんだろうな、ということがわかるね。


「おい小僧、今どき青銅の剣か」


 雑談の中で長老さんが軽螢の武器に興味を示し、優しげに笑う。


「うん、やっぱこれが、カッコいいよなと思って。鉄とは違った光があるからさ」


 今は亡き勇者の面影をその青銅剣に重ねているのか、軽螢がうっとりとした目で剣を撫でながら言う。

 あ、コイツ、酒呑んでやがるな?


「がはは、若い頃の親方さまのようなことを言う。お前たちは昂国(こうこく)の角州(かくしゅう)から来たと言っていたが、御曹司とはどういう関係だ?」


 率直な質問に、私たちが返答の言葉を探していると。


「ただの友人だ」


 ほんのりと顔を赤くした斗羅畏さんが、ぽつりと言った。

 私たちが驚いて斗羅畏さんを見るので、その反応が恥ずかしかったのか。


「は、覇聖鳳(はせお)のやつがな、雪崩で死んだときに、真っ先に見つけたのがこいつらだった。それからの腐れ縁というだけだ」


 と、言い訳がましい補足情報を付け加えた。

 色々と端折ったり、捏造された説明だけれど。

 たったそれだけのことなのに、私は、すごく嬉しくて。


「ぶいぃぃ~ん!」


 せっかく引っ込みかけた涙がまた怒涛のように寄せて返し、翔霏の服に顔をうずめるのだった。

 れぉなと、とらぃは、ズッ友だょ!


「ご朋友でありましたか。てっきり、良きご夫人を見つけたので連れて来られたのかと思いましたわい」


 しゃしゃしゃ、と愉快そうに長老さんは笑った。

 えーとその対象は、翔霏と私、どっち?

 勘違いされるのは心外ですけどぉ、斗羅畏さんに誰がふさわしいように見えるのかはぁ、ちょっと気になるところと言いますかァ。


「こいつのところに嫁になんて来た日には、さぞかし苦労するでしょうな」


 くっくと面白そうに笑って、翔霏が長老さんに言ったのだった。

 憮然とした顔で斗羅畏さんはお酒を飲み続けた。


「それで今、さしあたってこの邑で必要としている資材なんかは……」

「やはり冬の明けたこの時期は食いもんかのう、それになによりゼニじゃな、銀貨の量が……」


 お腹が膨れた上に泣き疲れて、いつの間にかうたた寝してしまっていた。


「ゼニカネの話は、何度聞いてもさっぱりわからん」


 膝を私の枕に貸してくれた翔霏が、つまらなさそうに感想を述べた。

 椿珠(ちんじゅ)さんと長老さんが、交易や親睦に関しての相談をしているのだ。

 商業が自由化されたということは、今まで統制経済だった地域に市場経済が導入されるという意味も含んでいる。

 そうなったときにモノを言うのは結局現ナマの撃ち合いであり、白髪部のみなさんも新しい時代に対応しようと必死だ。

 男性陣が難しいお話をしている今のうちに、おトイレを借りておこうかな。


「ちょっと失礼して、お花を摘みに」

「黙って行け」


 レディのエチケットとして言った定型句に、斗羅畏さんが真顔でダメ出しを呟いた。

 

「おお、女中に案内させる。付いて行くと良い」


 親切に長老さんが人を遣わしてくれた。

 結局やんわりとみなさんの注目を浴びながら、私は用足しへ向かう。


「こちらです。暗いので足もとにお気をつけて」


 しずしずと私を先導し、館のお手伝いさんが音もなく歩く。

 偉い人の館で勤めている年季が長いのか、所作も優雅で棘がなく、一目見ただけで上品さが伝わる女性だった。

 私も一応は後宮侍女の端くれなんだから、こういう立ち居振る舞いを身に着けなくてはいかんな。

 なんて思っていた、そのとき。


「むぐ」


 まったく、予備動作がなかった。

 離れへ続く人影のない廊下で女中さんがいきなり振り向いて、私の口を掌で塞いだのだ。

 そのまま流れるように腕の逆関節を決められて、私は館の壁に体を押し付けられた。

 身動きが、取れない!

 声を上げることもできない!

 な、なんだ!?

 翔霏も警戒していたはずなのに、館の中に敵が紛れ込んでいたのか!?

 私は必死で思考を高速回転させて、現状を打破する手がかりを見出そうとする。

 しかしこんな状況で私にできることなど、自分の油断と不運を呪い、相手が見事だったと変に感心することだけだった。


「手短に言うよ。分からなくても頷いてくれるとありがたいね」


 私の身体を拘束しながら、耳元で囁かれる、その声。


「おむあん~!?」


 言葉にならないくぐもった声で、私は返す。

 声の主は。

 首刈りの大軍師にして尾州(びしゅう)の宰相、除葛(じょかつ)姜(きょう)の下で働く諜報員の。

 乙(おつ)と名乗る、本名も年齢も不詳の、あの人だ!

 敵だ!

 敵がいるぞ~!

 翔霏~、早く来てくれ~~!!

 心の中でいくら叫んでも、翔霏が私たちの様子に気付いて駆けて来る気配はない。

 完っ全にみんな、館の居心地に油断して安心している!

 角度的に見えないけれど、おそらくドヤ顔で乙さんが言った。


「後宮は央那(おうな)ちゃんの庭だったからね。あそこで負けるのは仕方ないさ。でも外に出れば、あんたらに地の利がない場所ならこれこの通り。あたしもなかなかのもんだろう?」


 なんだよ、今さら負け惜しみの意趣返しかよ!

 謹慎中で身動きの取れない姜さんの意を汲んで、私をどうこうしようってのか?

 え、これ、詰んだんじゃね、マジで。

 腕を固められている私じゃ、一対一で乙さんに勝てる手段はない。

 戻りが遅くなれば翔霏が心配して見に来てくれるけれど、それにも今少しかかるだろう。

 ここまで、ずっと頑張ってやって来たのに。

 有能な間者たった一人の力で、全部覆されてしまうなんて!

 北原麗央那、過去最大級の、一生の不覚!!

 しかし、私が半べそでおしっこ漏らそうに震えているのを察して。

 乙さんは、思いがけない優しい声で言ったのだ。


「なにを勘違いしてるのか知らないけどね。あたしゃ別にあんたをどうこうしに来たわけじゃない。むしろ逆さ」

「ぎゃふ?」

「央那ちゃん。あんたこのまま阿突羅の葬儀にホイホイ付いてったら、死ぬよ」

「ぁんえぇ?」


 なんで私が死ぬんだよ。

 いやまあ、斗羅畏さんが狙われていて、その余波で危険があるというのなら、それは事実だけれど。

 翔霏もいるし、よほどのことが起きたって、ねえ。

 私のその思考を読んでいるかのように、乙さんは言った。


「あの猿(ましら)の嬢ちゃんがいるから、なにが起きても大丈夫だって思ってないかい? そういう次元の話じゃないんだ。阿突羅の葬儀は、鉄火場になる。戦争が起こるんだよ。あんたたちが頑張ったところでどうにかなるような規模を超えてるのさ」

「ふぁんぇ?」


 なんでだよ、と私の訊くのに乙さんは答えず、自分の都合だけを喋る。


「だけどその場に央那ちゃんが行くのは、今はどうしても必要だってことになってる。だからなにか起きても央那ちゃんが絶対死なないよう、生きて昂国に帰れるよう、あたしもこれから少し離れたところを付いて歩くからよろしくね」

「い~えうえお~」


 守ってくれるってことかな?

 乙さんが私を?

 彼女に殺意がなかったから翔霏も警戒しなかったということになるのかな。

 でもそれなら。


「一緒にいればいいじゃん、ってのはナシだよ。あたしを見たら猿の嬢ちゃんは問答無用であたしを拘束しようとするだろう。足腰立たなくなるくらいのことはするかもしれない。あたしだってそんなのお断わりさ」


 少しだけ、わかって来たぞ。

 乙さんは、もしくは雇い主の姜さんは。

 このまま私に阿突羅さんの葬儀へ、行ってほしいとは思っているのだ。

 けれどそこで危ないことが起きる可能性が高いので、念のために護衛として乙さんが陰から見守ってくれるということだな。

 私たちの想定を超える不測の事態が起きても、乙さんの経験と見識、そして勘を働かせ、私を生かして逃がすために。

 なおかつ、乙さんの希望としてはそれらの事情を。


「央那ちゃんの仲間たちには、あたしのことは絶対に隠してちょうだいよ。ウンって言ってくれなきゃ、ここであんたを怪我させて阿突羅の葬儀に行けなくするしかないんだ。頭のいい央那ちゃんなら、聞き分けてくれるよね?」


 他のみんなには伏せろと言う。

 なんだこいつ畜生バカヤロー!

 詳しく、説明しろや!!

 でも、乙さんにはその時間がないのだ。

 翔霏に怪しまれず戻るには、私がさっさと頷くしかない。

 そうでなければ私の道行きはここでストップ、骨でも折られて角州に帰らせる、ということだな。


「ぐぬぬ~」

 

 悔しさに涙を浮かべながら。

 私は、乙さんの提案に、渋々と首肯した。

 イエスしか選択肢のない相談というやつだった。


「物分かりのいい子でお姉さんは嬉しいよ。約束を破ったら見えないところからちょっと痺れて泡を吹く針でも矢でも飛ばすからね」


 最低だ、マジでこいつら。

 まっこと尾州の関係者は厄介者ぞろいじゃきに!

 私は体の戒めを解かれて、館の廊下にへたり込む。

 トイレの場所へ私を案内する役目を放棄し、乙さんは闇の中へ消えながら、声だけを残した。


「央那ちゃんに死んで欲しくない。そこだけは確実に除葛の本心だ。だから前のときも、危険の少ない後宮に閉じ込めておこうって思ったんじゃない? 信用してやりなよ」


 音もなく消えた乙さんのいた場所を見つめ。

 私は、姜さんの考えることに思いを馳せる。

 やつならどう考えるのか、必死でトレースするのだ。


「今じゃなく、別のどこかで姜さんは、私に背負わせたい役目がある……?」


 あの合理主義の化物が、こんな小さな私なんかを死なせたくないと考えている。

 それはきっと。

 私の死に場所は、命を遣うポイントは、阿突羅さんの葬儀ではないと言っているのだろう。


「死ぬなら別のとこで、僕の役に立ってから死んでほしいねん」


 闇夜の中、訛った口調でそう言ってのける、若白髪腐れモヤシ野郎の顔が浮かんだ。

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