百六十七話 降雨と龍鳳
雨はまだ、降り続いている。
「まだ山に入れば雪は残っている。殯(もがり)はそれなりに期間を取るだろう」
白髪部(はくはつぶ)の大都への出発準備の中で、斗羅畏(とらい)さんが言った。
もがりと言うのは正式なお葬式をして遺体や遺骨をお墓に入れる前の、猶予期間、遺体安置期間を指す。
死体の腐敗を遅らせるために、残雪や氷などをお棺の底や周囲に敷き詰めるんだな。
その間に外からの来賓が、故人と最後のお別れをするわけだ。
私の常識だとお通夜的な前葬から本葬儀とその後の埋葬まで、長くてもせいぜい数日の間で一通り終わる。
後宮で人が亡くなったときも、そうしていたからね。
「戌(じゅつ)の地は昂国(こうこく)より冷涼だから、もがりの期間を長く取る習慣が残ってるんだ。人によっては墓にも埋葬せず、野の獣たちに遺体を晒す送り方もある」
椿珠(ちんじゅ)さんが教えてくれた。
なるほど、土地が違えば気候条件が違い、気候が違えば習慣や生活様式も異なるのだなあ。
風葬や鳥葬がまだ残っているとは驚きだ。
そして、今回亡くなられた阿突羅(あつら)さんはユルく沸教(ふっきょう)を信仰していた。
「葬儀も沸の坊主を呼ぶし、遺体は火葬されるだろう」
と椿珠さんの言うところだけれど。
「ってそれ、お葬式を仕切るの、あの星荷(せいか)さんになっちゃうじゃん」
うげっと言いたい気分で生臭坊主のことを思い出す。
椿珠さんもその名前を知っていたのか、補足説明をくれた。
「だろうな。なにせ今の大統、喪主である突骨無(とごん)の母方の伯父だ。阿突羅にとっては義兄に当たる。葬儀の監督までするかどうかは知らんが、重要な来賓として必ず出席するだろう」
「赤目部(せきもくぶ)出身の、あの怪しい僧侶か……」
私たちの話を聞き、翔霏(しょうひ)が難しい顔を示す。
あの人結局、敵か味方かわからないんだよねえ。
覇聖鳳(はせお)を倒すために北方を旅する、そのことには手を貸してくれた形になるけれど、決して積極的ではなかったし。
今、白髪部と赤目部がおそらく共同で各地にヤク中ガンギマリの刺客を放っている状況に、星荷さんが果たしてどれだけ関わっているのかも謎だ。
誰が味方で誰が敵なんて、そうそう簡単に割り切れることじゃないのはわかるけれどね。
私たちの悩みを愚かなこととでも言いたい顔で、斗羅畏さんがすっぱりと断言した。
「赤目の大伯父貴は、状況がどう転んでも突骨無(とごん)の肩を持つだろう。それだけ考えれば別にややこしいことはあるまい」
難しい問題を考えているときこそ、自分の思考はシンプルに、頭脳と視界はクリアに。
この場合「赤目部シンパの白髪部、そして白髪部シンパの赤目部たちは、突骨無さんを中心とした一つのユニットとして考えていい」ということだ。
その外側、グラデーションのようにぼんやりとした未分の境界がありつつ、突骨無さんの思うようになかなか動かない各派閥が存在する。
各地を飛んでいる暗殺者たちの仕掛け人は、諸派閥中の超過激派かもしれないな。
「葬式、阿突羅さまがお墓に入るまで見て行くんか?」
今回の移動で最も大事なこと、斗羅畏さんの滞在期間を軽螢(けいけい)が質問した。
長く白髪部の領域に居座るほど、私たちが攻撃を受ける可能性が高くなる。
まったく不本意と言うように渋面を作って、斗羅畏さんはそれに答えた。
「本葬がいつ終わるか今の段階ではわからん。俺もまだまだこっちですることが山積みだからな、それほど長居はせんつもりだ」
「でもそれだと遺産の話とか、詳しくできないじゃん。戌族(じゅつぞく)は長子だけが貰うんじゃなくて、みんなで分けるんだろ?」
あ、直系の孫である斗羅畏さんは、遺産相続の権利があるのか。
はぐれものの私には全く縁のない話だから、意識の中になかったよ。
くだらない、と頭(かぶり)を振って斗羅畏さんは言い捨てた。
「どうせ親爺の財産は突骨無に封印されているだろう。あいつの口八丁に付き合って悠長に形見分けの話なんてしていては、こっちがジジイになって死んでしまう。俺は親爺の身の周りの品をいくつか貰って帰るつもりだ」
「ぶはは、ひでえ言われようだな」
「メェッ」
軽螢とヤギは愉快に笑っているけれど、私は斗羅畏さんの瞳の奥に憎しみとも嫌悪とも形容しがたい、鈍い色の光が宿っているように思った。
口の上手い突骨無さんに煮え湯を飲まされた思い出が、一度や二度ではないのだろうな。
ならば会話にそもそも応じないというのは、お喋りクソ野郎に対応するときの最も効果的な戦術である。
「……ところでそのヤギ、言葉がわかるのか?」
斗羅畏さんが、触れてはいけない問題に手を伸ばしてしまった。
「ンなわけねえじゃん。ヤギだぜ?」
「畜生が人語を解するなど、バカなことを。いざと言うときの非常食で連れているだけだ」
「メメェッ!?」
軽螢と翔霏が無情に答え、ヤギが悲痛な声で啼いた。
出発してからも、斗羅畏さんはちらちらとヤギを見て、不思議そうに首を傾げるのだった。
「ところで頭領どの」
「斗羅畏でいい。なんだ」
椿珠さんが話を持ちかけて、タメ口で構わないと応じる斗羅畏さん。
「なら遠慮なく具申しよう。この先、途中で経過する邑を訪れるたび、俺と軽螢が先に邑の様子を調べて、安全を確保できたら斗羅畏たちにも入って欲しいんだが、どうだい?」
「手間のかかるやり方だな」
斗羅畏さんは賛成も反対も半々、と言った顔で少し考える。
殯(もがり)の期間がある程度は長いと予想されるので、極端に急ぐ旅ではない。
けれど斗羅畏さんも用事の多い身だ。
サッと行ってサッと帰って来られるならそれがベストであり、余計な足踏みは受け入れがたいだろう。
ここでチンケな本読みである、私の助言が光る!
「昔、大きな戦争で二人の将軍が、どちらが早く目的の都(みやこ)を落とせるかという競争をしまして」
「どうせ遠回りをした方が勝ったんだろう。急ぐならことさら準備しろ、とでも言いたげだが、それくらい俺にもわかっている。バカにしているのか」
秒で結末を先回りされ、歴史物語を開陳する機会は、哀れにも失われた。
うう、泣かないもんね。
消沈している私に構わず、椿珠さんが朗々と述べる。
「これは俺たちの世話人である角州(かくしゅう)の、司午(しご)翠蝶(すいちょう)貴妃殿下からのお達しなんだがな。俺たちはきな臭いことに対する準備と情報収集のために、白髪部の邑々を丁寧に挨拶して回れと言われてるんだ」
「ふん、東へ西へと風見鶏よろしく忙しいことだ」
「つっけんどんにならんでくれよ。これは突骨無(とごん)のやり方に疑問を持っていて、むしろ斗羅畏に同情的な勢力、地域を探る絶好の機会だと思わないか? そもそもの話だが、白髪の次の大統はお前さんが就くはずだったんだろう? なし崩し的な突骨無のやり口に不満のある旧臣たちは多いはずだぜ」
「ふむ……」
誰が協力的か、敵対的かと言う情報は、人をまとめる立場ならどうしたって、喉から手が出るほど欲しい。
しかし斗羅畏さんは自領の経済で忙しいことと、おそらくは純粋に予算が少ないことが重なり、情報戦略にまで多くのリソースを注ぐことができないでいるはずだ。
それを。
他人の金で!
他家の使用人が、全部セットでやってくれるとしたら!?
これがやさぐれ商人、環(かん)椿珠(ちんじゅ)の奥義「俺も良し、スポンサーも良し、顧客も良し」の、三方ウィンウィンウィンの術!
私が今、勝手に名付けました。
「幸いにも俺たちは、貴妃から結構な金をこの道中で使っていいと言われている。もちろん亡くなった阿突羅大人のご遺族たちにもしっかりご機嫌伺いをすることになるな。そのとき俺たちの近くに斗羅畏、あんたがいれば」
「わかった。みなまで言うな。白々しい話だが、お前の案に乗らん理由もない。その方向で話を進めてくれ」
「承知した。挨拶回りなら得意分野だ。安心して後ろから来てくれ」
こうして椿珠さんと軽螢は、斗羅畏さんの側近武士を何名か連れて、先回りの露払いに動いた。
「孫ちゃんの印象をバッチリ良くして待ってっから、期待しろよ!」
「メェ~」
根拠のない自信を高らかに告げる軽螢。
「印象もなにも、元は俺の住んでいた土地なのだが。わかっているのかあの小僧」
「細かいことを気にするな。禿げるぞ」
「俺は禿げない。絶対にだ」
翔霏の軽口をかなり食い気味に否定した斗羅畏さんだった。
男性にとっては重要な問題なのですね。
「ところで斗羅畏さん、本当に『都をどっちが先に落とせるかの競争をした二人の将軍』の話は、興味ありませんか? 二人の生きざまの物語、私、大好きなんですけど」
「どうしても話したいなら勝手に話せ……片方の耳で聞いていてやる」
道すがら、雑談をする余裕も生まれた。
私は歴史物語の中でも特に愛好している話を翔霏と斗羅畏さん、そして同行している斗羅畏さんのお仲間さんに聞いてもらった。
「まず最初に、その土地は沢山の王国に分裂していたんですけれど、それを一つにまとめ上げた偉大な帝王がいまして」
「肝心の二人とその帝王に関係があるのか? どうでもいい前置きは飛ばせ」
せっかちな視聴者、斗羅畏さんであった。
映画を倍速で観るタイプか?
「順を追って話しますから、ちょっと黙って聞いててくださいよ。これでもその前の時代に起きた二十万人戦死に加えて二十万人を生き埋めとかは省略するんで」
「なんだそれは、二十万とさらに二十万? 生き埋め? どこの地獄の話だ? 適当なホラを吹くと許さんぞ」
「まあそういう戦いがざーっとあったりしましてえ。その各地をバチボコにした帝王が、やっと統治した領域を巡幸したときにですね、出会うわけですよ、問題の二人に」
「待て、その都合四十万人以上死んでいる滅茶苦茶な話の方をまず片付けろ。気になって続きが頭に入って来ん」
そうして私は数人の武人に囲まれて、言葉で物語を紡ぐ。
強大な帝国の中に綺羅星のごとく生まれ、その後の歴史を変えた反乱者たちの壮大な生きざま、そして死にざまを語るのだった。
「よんじゅうまん、というのはどれくらい多いんだ?」
大きい数が苦手な翔霏は、その無惨な死体の山を想像できないらしい。
「河旭(かきょく)の街の人が全員、死んじゃうくらいかなあ。昔の話だから正確な数字は怪しいんだけど。あとで登場する帝王ってのはその四十万人が殺された国に人質として暮らしていたこともあって、その出生の血筋も実は怪しくて」
オタクなのでところどころ、ちょっと早口になり過ぎちゃったかも。
ちなみに魔人呼ばわりされている姜(きょう)さんでも、処刑した人数は一万人に届かない。
「この邑は大丈夫みたいだぞー」
おしゃべりしながら進む中。
仕事をちゃんと果たしてくれていた軽螢が、先導していた道から引き返して私たちに知らせる。
「孫ちゃんが来るって知らせたら、ぜひ寄って行ってくれってデカい家の主人が言ってたよ。メシをご馳走になろうぜ」
「わかった。助かる」
軽螢の報告を受け、安心して邑に入る私たち。
「ところで帝国の都を反乱軍の将たちが落とす話は、まだ始まらんのか」
「そこはもう少し、二人の青春時代の逸話とか、苦い敗戦の顛末を重ねないと盛り上がりに欠けますので」
すっかり斗羅畏さんは、項羽と劉邦のエピソードに夢中になってしまっていた。
沼に同志を引きずり込むの、楽しいでござる、コポォ。
おじいさまを亡くしてしまった悲しみが、こんな雑談でも少しは癒えればいい。
長雨はいつしか止んでいる。
雲の隙間から地上に散乱する光の筋は、まるで龍や鳳凰といった、天空を飛び回る神々の競演のようであった。
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