百六十五話 急報

 翠(すい)さまに喝を入れられ、決意した私。

 赤ちゃんが産まれるまでには必ず帰ると約束して、翔霏(しょうひ)、軽螢(けいけい)、椿珠(ちんじゅ)さんと一緒に再び、白髪部(はくはつぶ)の領域へ向かう。


「メエ! メエエェ!」


 あ、ヤギもいたわ。

 

「いや、忘れてたわけじゃなくてね、ごめんごめん」


 水とか空気みたいに、そこにいるのがほぼ当たり前になっちゃってたからさ。


「商売を超えた政治の話は、俺は正直よくわからんが」


 道中、椿珠さんが自分なりに状況を俯瞰した際の違和感を指摘した。


「くだらない騒ぎを起こして自分の勢力を疲弊させても、他の連中に足元をすくわれるだけだろうに。突骨無(とごん)ほど頭の良いやつが、それをわからないわけがないだろう」

「ですよねー」

 

 突骨無さんたち白髪部(はくはつぶ)が他の勢力とイザコザを起こしても、喜ぶのは外野だけである。

 とくに昂国(こうこく)から北方へ武器や食料、消耗品などを売りたい商人がドバドバと涎を垂らすだけだろう。

 そうまでして対外的な積極策、戦争も辞さないという方針に踏み切った突骨無さん。

 彼の内面的な動機を、理解しないと。

 私たちは彼に会ったとき、語るべき言葉を用意できない、という状況に陥る。

 椿珠さんが語り、私が考えてる途中に、一人だけ馬ではなくヤギに乗っている軽螢が思いつきを喋った。


「そもそも、引退したからって阿突羅(あつら)のおっちゃんがまだまだ元気だろ。あの末っ子ちゃんが無茶なことをしようとしても、父親なんだし、止めるんじゃね」

「だよね」

「メェ」


 もっとも過ぎる自明の理である。

 大統になって日が浅い突骨無さんは、どうしたって偉大な父親である阿突羅さんの影響下、監督下で政治経済を切り盛りしているはずだ。

 阿突羅さんが厳しい目を光らせている以上、突骨無さんはそうそうおかしなことはできないと、私たちは思い込んでいたのだけれど。


「答えがわからないときは、逆に考えると良いと麗央那(れおな)が前に言っていたじゃないか」


 翔霏にそう言われて少し考えた私は、ハッと気づいた。

 阿突羅さんが厳格に監督していたならば、起こりえないことが実際に起こっている。

 その現状から逆算して考えられることは。


「先代の大統だった阿突羅さんが、病気かなにかで弱っちゃってるのかも?」


 私の予想にウムと頷いた翔霏が補足する。


「もしくは、突骨無に幽閉されて身動きも取れず、今までの権限や人脈も奪われてしまったか、だろうな」


 戦国時代の大名家かよ、白髪部は甲斐武田氏かと私は思ってしまったけれど。

 まさに今、昂国の北の外は統一王朝のない戦国時代なのだったわ。

 その中で最も予測のつかん動きをしでかして、周囲を混乱させていた覇聖鳳(はせお)と名乗る大うつけの傾奇者は。

 あ、私が殺しちゃったんだったね、てへっ。

 えーと、そうなるとまさかの、よもやよもやで。


「ひょっとして突骨無さんは、覇聖鳳が死んだからのびのびと自分がやりたかったことに着手して、阿突羅さんもないがしろにしてる?」

「残念だが現状だけ見ると、その可能性が一番高いな……」


 私の疑問に、椿珠さんが苦い顔で答えた。

 え、私が今、心配して気を病んでいる事態の根本原因がそもそも私の行動だったとか、正直まったく笑えないんですけれど。

 北原流詭弁詐術奥義、マッチポンプが暴走しているのでは?

 誰か、誰か違うと言って、ねえ!?


「メエェ……」


 元気出せよ、と言わんばかりにヤギがすり寄って来て、翔霏の後ろで馬上にある私の脛を舐めた。

 中身のない慰めは要らねえんだ!

 私の予想を、誰か否定してよォ!!

 苦悶と自己嫌悪の渦に飲まれながら、私は翼州(よくしゅう)の北限から白髪部の領域に足を踏み入れたのだった。


「ここの砦を超えるの俺、はじめてだな。義兵団の連中とよく近所までは来てたけど」


 国境の外に出て、軽螢が山野の景色を眺めながら言った。

 翼州は西北で白髪部と、東北で旧青牙部(きゅうせいがぶ)、今の白髪左部に境界を接している。

 おそらく覇聖鳳たちが翼州を荒らしまわった際にはこの近辺から国境を侵犯したのだろう。

 玄霧(げんむ)さんとモヤシ軍師の姜(きょう)さんが、神台邑(じんだいむら)襲撃事件の後に戌族(じゅつぞく)の混成部隊と睨み合っていたのも、このエリアだ。

 地図を見て翔霏が提案する。


「西に少し行けば白髪部の『東都(とうと)』だが、今日はもう遅い。適当な水場を探して休もう」


 さんせーい、とみんなが言って、街道沿いを歩きながら清水に近いスポットを探る。

 そのとき、私たちの向かう先から、一頭の馬が猛烈な勢いで駆けてくる蹄の音が聞こえた。


「なんだ……?」


 念のために馬の歩みを止め、警戒して臨戦態勢を取る翔霏。

 どこぞのバカが私たちに刺客を飛ばしてきたとしても、翔霏の実力を知っていたら単騎で襲いに来るなんて有り得ない。

 迫り来る騎馬は陽動で、道の両側に広がる林に別の殺し屋が隠れているのかも。

 あらゆる可能性を想定して、私たちは反撃も逃走もしやすい開けた場所に陣取った。

 けれど、やって来た騎馬の武人をまず最初に翔霏が視認して、言った。


「阿突羅どののところにいた、若い武者だな」

「あ、ほんとだ。ちーっす、お久。元気してる?」


 軽螢も相手の顔を覚えていたようで、気軽な挨拶を飛ばす。

 あなたたち、本当に一度会った人の顔は忘れないよねえ、すごい。

 私たちを見た騎馬武者は驚いた顔で馬を停めた。


「お、お前たち、冬に会った昂国の……」


 相手もこちらを覚えていたようで、驚きとともに呟く。

 とりあえず敵意、殺意のようなものは感じられなくて安心。

 彼は馬を降りて、なにかに慌てているような早口でこちらに訊いてきた。


「まさかもう知っているのか? 独自に調べてお前たちがまず先に遣(つか)いで来たということか?」

「え、いえ、なにも知りませんけど。なんの話です?」


 私たちがなにをしに北方へ来たのかは、まだ秘しておいた方が良い。

 気ままな観光客兼商人の振りを装い、椿珠さんが軽い雑談で探りを入れる。


「さっき国境を超えたばっかりで、明日から東都で商売のネタを探そうと思ってたところさ。そんなに息せき切って、なにか重大なことでもあったのかい?」


 その問いに、若い武者はぐう、と辛そうに表情を歪め。

 教えてくれた。

 唐突な、思いもよらない情報を。


「阿突羅さまが、亡くなられた……」

「ハァ!?」

「メェ!?」


 大声を出し、詰め寄ったのは軽螢だった。


「どどど、どういうことだよ! 冬に会ったときはあんなに元気にしてたじゃんか! たったこれだけの間になにがあったってんだ!?」

「阿突羅さまは……先代は、宴席で深酒をした後の帰り道、馬から落ち、そのまま……」


 ぐうう、と説明の最中でこらえきれずに地に伏し、泣き崩れる武人さん。


「俺は、一刻も早く東に行って、御曹司……いや、斗羅畏(とらい)どのにこのことを、伝えなければと……ううぅっ、ぐっふうううぅ……」

「そ、そんな。あんなに強そうな阿突羅のおっちゃんが……落馬なんかで……」


 地面を拳で叩きながら、武人と肩を並べて涙に濡れる軽螢。

 奴隷同然の身分から一代で成り上がり、ついには白髪部の大統にまで駆け上った生きる伝説、阿突羅。

 稀代の英傑のあまりに切なすぎる最期に、男たちが涙する。

 軽螢は阿突羅さんを尊敬していること極めて大きく深く、同じ馬に乗せてもらった思い出を宝物のように大事に記憶していた。

 軽螢が普段から持ち歩いている、ほぼ役に立ったことのない青銅剣も、阿突羅さんの持ち物にあやかってのことなのだ。


「殺しても死ぬようなタマじゃないとは思ってたが、人の生き死にばっかりはわからねえもんだな」


 椿珠さんが自分のお腹、やっと塞がった傷の辺りをさすりながら言った。

 一方で翔霏は。


「貴公は斗羅畏に伝令に走っている途中だと言ったな? まだ斗羅畏は知らないということか?」


 なにか、少し怒っているようなきつい口調で、武人さんにそう訊いた。

 ぐい、と手の甲で涙をぬぐった彼は、少し落ち着きを取り戻して翔霏の問いに答えた。


「俺が一番先に走ったのは確かだが、伝令は各地に多く出発している。斗羅畏どのや、国境の先の昂国のものが知るのも時間の問題だろう」

「不味いな」


 翔霏は短く言って、強い視線で東の方向を睨んだ。

 私はその心中がわからず首を傾げて尋ねた。


「なにが不味いの?」

「爺さまが死んだんだ。なにはなくとも斗羅畏は葬儀に来るはずだ」

「あ」


 確かに斗羅畏さんは、そう言う男性だ。

 ちょっとした拗(こじ)れと縺(もつ)れで本家と離れ独立したけれど、死者への仁義や哀悼を疎かにする人ではない。

 敵とみなしていたはずの覇聖鳳の葬儀まで、礼を尽くして厳粛に、誰もが驚くほど丁重に執り行った人だからね。

 自分を可愛がってくれた、この世の誰よりも尊敬する祖父の阿突羅さんが死んだとなれば、政治状況がどうであろうと真っ先に駆けつけるに違いなかった。

 その上での不安要素を、翔霏が冷徹にまとめる。


「こんな不穏なときに斗羅畏が無警戒で葬儀に来たらどうなる。どうぞ襲ってくださいと言ってるようなものだ。しかしあのバカ正直男なら、誰が止めようと葬儀に絶対に行くんだと言い張るだろう。それこそ止める周りのものを剣で切りつけてでもな」


 あっては欲しくないけれど、十分にあり得ること。

 なにせ斗羅畏さんには前科があるからね。

 みんながやめろって言ってるのに、覇聖鳳とタイマン張っちゃう人だし。

 しかし、すでに状況は「突骨無さんも、他の誰かも、騒ぎを起こしたがっているかもしれない」という懸念を払しょくできない段階に突入している。

 葬儀の場で斗羅畏さんがもし、暗殺でもされてしまっては。

 白髪部を中心として、導火線のついた火薬が一斉にあちこちで爆発する!


「軽螢! 椿珠さん!」


 私は仲間たちに呼びかける。

 予定は、非常に遺憾ではあるけれど、大きな変更を余儀なくされたようだ。


「斗羅畏さんをまず足止めするよ! 北東へ転進!!」

「説得しても聞かんなら、脚の骨を折るくらいはやむを得んな」


 翔霏の物理的解決手段は、最後まで取っておくとして。


「メェ、メェ……」

「わかってる、わかってるよ。今は行かなきゃな……」


 軽螢も半べそのまま立ち直り、ヤギに跨る。


「確かにお前さんたちならばこそ、斗羅畏を止められるわけか」


 感心したように、椿珠さんが言う。

 私は伝令に走る武人さんに頼みごとをした。


「斗羅畏さんには私たちが伝えます。お兄さんはこのまま昂国の砦に走って、阿突羅さんの訃報を伝えてください」

「ま、任せても良いのか……?」


 今、この状況から見えたことで、私が確信した新しい事実がある。

 白髪部も、一枚岩ではないのだ!

 阿突羅さんの死を斗羅畏さんに真っ先に伝えようとした彼のように、斗羅畏さんの心情的シンパはたくさんいるのだろう。

 そのことは私たちにとって好材料にも見えるけれど、裏面まで見ればそう簡単ではない。

 白髪部の統制が取れていないということは。

 突骨無さん以上の過激派がいて、混乱を激化しようと狙っているかもしれない!


「お兄さんは、斗羅畏さんと突骨無さんに争って欲しくはありませんよね?」


 食い気味な私の問いに、彼は口を引き絞って力強く頷く。


「もちろんだ。先代が亡くなられた今こそ、一族が力を合わせなければ……わずかな縄張りや面子ごときのために、肉親同士でいがみ合っている場合ではないのだ!」


 私もそう思う。

 誰だってそう思う。

 けれど、今の白髪部を仕切っている突骨無さんがそう思えるかどうか。

 仮に突骨無さんが聞き分けたとしても、虎視眈々と騒乱を願っている他の連中がなにかしでかしやしないか。


「もしもお兄さんがそう考えることで、突骨無さんの下では立場が危うくなるようでしたら、昂国の軍隊に身柄を保護してもらってください。私たちの名前を出せば角州(かくしゅう)左軍の司午(しご)正使が話を聞いてくれるはずです」

「司午……あの『黒曜石の玄霧(げんむ)』か。人となりは知っている。角州軍の正使になったのだな」


 なんだよその二つ名。

 いや、似合ってますけれどぉ。

 大理石とか黒曜石とか、玄霧さんらしいわ。

 バチバチに四角四面で、角がトッキントッキンに立ってる感じがさ。


「はい。もしもお兄さんと同じ考えのお仲間がいるなら、なるべく多く合流して司午正使と相談して欲しいと思います。斗羅畏さんのことは決して悪いようにしないよう、私たちも頑張りますから」


 私たちのような若輩者の集まりでも、覚悟と決意が伝わったのか。

 騎馬武者のお兄さんは表情に気力を取り戻し、納得して馬に跨った。


「わかった。俺たちと同じ志を持っている同胞が、国の外にもいてくれて嬉しいよ。お前たちの武運を蒼穹と草原の神に祈ろう」


 彼と別れた私たちも、ヤギなり馬なりに騎乗する。

 ここから先はスピード勝負だ。

 祖父の悲報を斗羅畏さんが知ってしまったら、電光石火の速さで白髪部の大都に駆け出してしまう。

 矢のような勢いの斗羅畏さんが動き出してしまっては、騎馬の術、速さで劣る私たちに止めることはできない。

 そうなる前に、斗羅畏さんをなんとしてでも補足する!


「まず目指すは境界の邑! 前に斗羅畏さんと覇聖鳳が一騎討ちをしたあそこね!」


 私の掛け声に合わせて、翔霏が馬の腹を蹴り進ませる。


「まったく、どうしてこうもあの単細胞のことばかり、私たちが気にしなければいけないんだ!」


 必死に馬をおっつける翔霏。

 悪態を吐きながらも、どこか楽しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る