百五十八話 思わぬ来訪者と、訝しがられる技術

 狂った殺し屋が現れた、そんな事件をよそに市場はそこそこの盛況で終わりを迎えた。

 最終日となる三日目には新州公の得(とく)さんから、来場者への挨拶があった。


「俺は見ての通り、脚の悪いしょぼくれた、嫁さんにも来てもらえねえ中年だ。しかしよお、こうして無事に市(いち)を終えることができて、お前さんらに楽しんでもらえて、まずまず良い仕事ができたんじゃねえかと思ってる」


 ぴゅーぴゅー、と指笛を鳴らす聴衆たち。

 ありがとよー、またやってくれー、と野太い歓声があちこちから投げられた。

 クラスに一人はいた「下品な言動から女子に人気はないけれど、男子からは絶大な支持を誇るやつ」といった様子であった。


「次の市には斗羅畏(とらい)も呼びてえな。実はあいつがハイハイしてるときから知ってるんだが、まだ一緒に飲んだこたあねえんだ。そんときゃ今回みてえに、またみんなで盛り上げてくれ! あばよ!!」


 あざといような演技がかった台詞でも、不思議と得さんが言うとすんなり決まるなあ。

 なんて私は感心しながら、閉場のセレモニーを見送った。

 ぱちぱちぱち、と手を叩いていると、想雲(そううん)くんが私の近くに来て、言った。


「あの薬漬けの刺客ですけど、州都の衛士に引き渡すそうです。薬をゆっくり抜いてから、慎重に取り調べを進めるということで」

「その方が良いよね。ここの砦でいつまでも拘束するわけにいかないし」


 軍隊と言う組織は防衛と戦闘が専門であって、殺人未遂事件の捜査に必ずしも向いているわけではない。

 高い次元で政治的な要素をはらむ事件かもしれないので、刺客が州都に移送され、捜査の専門家たちの手に委ねられるのは当然のことだった。


「不味いなあ」


 表向きは平和裏に終わり、人々が去って行く市場を眺めながら、私はわずかばかりの弱音を吐いた。

 白髪部(はくはつぶ)の若き大統、突骨無(とごん)さんは。

 他者にけしかけられ、状況に流された結果ではなく、自分から能動的に、戦(いくさ)を仕掛けようと画策し、準備し、行動している。

 先手を、思いがけないうちに取られてしまっているのだ。


「どうしよっか、翔霏(しょうひ)」

「麗央那(れおな)が言うのなら、これから突骨無(あいつ)を殺しに行こうか」

「やあやあやあ、それはダメ。しんどいし」


 ふふ、と笑って翔霏が肩を竦めた。

 翔霏の冗談はわかりにくいので、心臓に良くない。

 私たちのやり取りを見ていた想雲くんは、怯えたように無言を貫いた。

 きみもいずれ、いつの日か。

 玄霧(げんむ)さんの息子であるなら、武官として生きるつもりなら、どうしたって見たくないものを、嫌と言うほどたくさん見ることがあるのだろうけれど。

 まだ、いいんだよ、こっちに来なくても。

 ゆっくりでいいからね。

 地獄への道行きは、逃げずにいつでも口を開けて、待ってくれているのだから。


「帰りは奴才(ぬさい)も同道いたす」


 私と翔霏がお馬ちゃんに乗って斜羅(しゃら)の街に帰る際、巌力(がんりき)さんも一緒してくれると言った。

 今の私、無敵すぎて帰り道にミリほどの不安もなくてヤバい。

 むしろ悪いやつとか怪魔が出ても、相手に同情するレベル。


「うわ出た」

「ブブブウウォ!」

「プギィィィィ!」


 そんなこと言ってたら、巨大な魔猪(まちょ)が一頭と、その子どもなのか知らんけれど小型中型の魔猪が六頭も、通り道を塞いだ。

 怪魔も命、生き物である以上、子どもは当然いるわな。


「ふんぬ」

「ブフッ!?」


 両手の押し出し突進で、ボス魔猪を岩に押し込んで激突させその背骨を圧し砕き、泡を吹かせる巌力さんと。


「てぇい」

「とりゃ」

「しゃあっ」

「ここかっ」

「くらえっ」

「落ちろっ」


 六人に分身したように見えた翔霏が、目つきの悪い、でもちょっと可愛くもある猪の群れを、深く切り立つ崖の下に蹴り落とした。

 ゴロゴロと谷間に転がった魔猪たちが、雪解けで増水している川の流れに飲まれて行く。

 プギャプギュと切なく啼いていて、非常にシュールな絵面だった。


「これは魂消(たまげ)た。紺女史、新たな技を身に着けましたな」

「なんの、巌力どのも膂力(りょりょく)が前より漲っているようではありませんか」


 アハハ、ウフフ、と超人二人が明るく笑みを交わす。


「夢でも見てるのかな」


 帰り道は昼夜行軍だったので疲れているんだ、私。

 風邪を引いて熱のある夜とかに、こういう夢、よく見るよね。

 そう言えば視界が悪い方が翔霏の分身は増えるという話だった。

 ちょうど見通しの悪く、靄(もや)のかかった山間の夜道だったから、過去最高記録の六体分身を更新できたんだろう。

 巌力さんに至っては、成長期なんてとっくに終わった宦官男性のはずなのに、後宮にいるときよりも体が一回り、大きく分厚くなっているようにすら見える。

 角州の、司午屋敷の水や食べものが合ってるのかなあ。

 うん、わかるようでまったくわからない理屈が、そこにある。

 そのうち私は考えるのをやめた。


「ただ今戻りましたー」


 最強の同行者のおかげで斜羅(しゃら)の街へと無事に戻り、司午(しご)屋敷の勝手口をくぐる私。


「お疲れさま。市場は楽しかった?」


 毛蘭(もうらん)さんが出迎えて、荷物の整理を手伝ってくれる。

 

「ええまあ、ちょっといろいろありはしましたけど。お土産、たくさんありますから、みんなで食べましょう」


 答えながら私は、翠さまグループが起居している離れの建物に、妙に人気が少ないことに気付く。

 母屋、本宅の方に人が集まっている、ということは。


「誰か来客でもごさいましたかな」


 巌力さんの質問に、毛蘭さんは苦笑いして。

 

「ええ、あとでこっちにも来るからわかるわ。央那(おうな)は驚くでしょうね」


 思わせぶりなことを言うのであった。

 屋敷の人たちが応対に当たり、私が驚くということは、軽螢(けいけい)や椿珠(ちんじゅ)さんが顔を出したわけではなさそうだ。

 口ぶりからして、毛蘭さんと私の共通の知人であることは確実だろうけれど。

 他に候補と言えば、何者かしらね。

 まさか姜(きょう)さんがいきなりこの屋敷に乗り込んできたなら、もっとみんなピリピリした緊張の空気、あるいは天を衝くような怒気を放つだろうし。


「ううむ、わからんぞ」


 自慢の灰色の脳細胞を駆使しても見通せぬとは、麗央那、一生の不覚!

 このように、些細なことでも意識して感情を上下させ一喜一憂して過ごすと、日常をほんの少しばかり愉快に送り、気持ちの若さを保つことができます。

 オススメの北原流ライフハックですので、みなさまもぜひお試しあれ。

 なにぃ? その発想がすでに年寄り臭いんだよ、だとう!?

 屋上へ行こうぜ、久々に、でもないけれど、切れちまったよ。


「変わらずお元気そうで、なによりです、央那さん」


 予期せぬ来客。


「どうもおかげさまで、夜もろくに眠らないくらい元気です。そしてお帰りはあちらになります」


 それは沸教の学僧にて中書堂の人怪。

 正体不明、年齢不詳、なんなら性別もはっきりしない百憩(ひゃっけい)さんだった。

 私の無礼をやんわりとした笑顔でいなし、百憩さんは来訪の理由を告げた。


「司午貴妃殿下の最終的な解呪のため、拙僧がお邪魔することになりました。みなさまにもご協力いただくことがあるかと思いますので、その際はよろしくお願いいたします」

「はぁ? 百憩さんが、解呪を?」


 確かに翠さまの身体にかかっている呪いは、沸教の力も入っているのだと聞かされた。

 だからと言って百憩さんになにができるんじゃい、という疑念を私は隠すつもりもなく言葉と表情に強く出す。


「……これでも、医呪(いじゅ)の学僧として中書堂に席を置かせていただいている身なのですが。央那さんはご存じありませんでしたか」

「ご存じありませんでしたわー」


 見れば、百憩さんは富山の薬売りが背負っているような木箱を携えていた。

 あの中に薬や医療、お呪(まじな)いの道具が入っているのだろう。

 宗教の人と一口に言っても、得意分野はおのおの分かれているんだね。


「ともあれ、まずは貴妃殿下のご様子を詳しく見なければなりません。明日から早速に取り掛かりたいと思っていますが、よろしいでしょうか?」


 翠さまの身の周り、体のことに関して最も近くで常に対応しているのは毛蘭さんである。

 彼女の理解協力なくしては初期診断も、その後の解呪や治療行為も進まない。

 のだけれど。


「……正直、私も翠さまも西方の沸の医術に、あまり良い印象を持っていないのです」


 この期に及んで、そんなことを言う毛蘭さんであった。

 司午家当代の主宰である玄霧さんが納得して百憩さんを呼んでいるのだから、今さらそれは言いっこなしでしょうよ、と私は思ったのだけれど。


「確かに司午貴妃さまは、沸の僧を敬遠しているご様子が以前から強く見られましたな」


 巌力さんまで、そんなことを言って毛蘭さんの肩を持つ。

 中でも特に気になることがあるらしく、毛蘭さんは不安げな表情で本音を語った。


「沸の術では、健康な人にわざわざ鋭い針を打って傷つけたり、焼けたお香のようなものを肌に置いて火傷させたりするのでしょう? 本当に危険がないのかしら……」

「あ、鍼灸(しんきゅう)治療ですか」


 普段から見知って親しんでないと、確かに抵抗感はあるよね。

 私の知る限り、一般の昂国(こうこく)人民が鍼灸を体に施すことは、まずない。

 マッサージとかツボ押しとかの名人はいるけれど、親に貰った体を傷つけるような鍼だのお灸だのは、とても強い忌避感を持たれているのだ。

 そんな理由で、昂国内では刺青もメジャーではない。


「なにより翠さまは今、陛下の御子をお腹に宿しているのよ。そんな大事なお体に針を刺すなんて……」


 毛蘭さんの不安に、医術者として当然の冷静な説明を百憩さんは返す。


「針と言っても髪の毛より細いくらいのもので、傷跡は決して残りません。灸も肌を焼くほど強くは燃やさぬもの。必ず治るという断言は拙僧にはできかねますが、これらの療法によって後遺症が発生する確率はまことに低いものです。なんとかご理解いただけませんか」


 インフォームド・コンセントというやつだ。

 医療従事者と患者や関係者の間で、ちゃんとした同意と相互理解、コンセサスがない限り、人の身体をあれこれいじることはできないからね。

 翠さまが眠っていて自分の意志を示せない以上、最終決定権を持っているのは毛蘭さんである。

 彼女の抵抗感を取り除かない限り、翠さまへの対処はGOサインが出せないだろう。

 しかし。

 そのとき麗央那に、電流走る!


「百憩さん、試しに私にその鍼とお灸、やってみてくださいよ」

「は?」


 私の唐突な申し出に、百憩さんは呆気にとられた。

 実験台としてまず私に施術して、特に問題なさそうだという目に見える検証例を提示すれば、毛蘭さんも納得するのではないだろうか、と私は考えたのだ。


「指の怪我はいきなり治せないでしょうけど、私最近、ちょっと寝不足で頭痛とか首回りの凝りがひどい感じでして。百憩さんが鍼灸できる人なら、いい機会だしお願いしたいなーって」

「お、央那、大丈夫なの? きっと痛いわよ? 熱いのよ?」


 心配する毛蘭さんに、私はにっこりと笑みを返す。


「平気です。地元のおじいちゃんも、鍼の先生にはちょくちょく、かかってましたから」


 と言う流れで、私は百憩さんから、鍼灸治療を受けることになった。

 自分で言い出したことだけれどさ。

 百憩さんに、玉のような乙女の肌をあれこれいじくり回されるなんてよお。

 どうしてこうなった。

 ノリと勢いだけでものを言うもんじゃねえなー、と私は若干後悔している。

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