翠の蝶と毒の蚕、万里の風に乗る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第四部~

西川 旭

第十八章 雪解けと若芽

百五十一話 夢の中では蝶か蛾か

 気が付くと、いつの間にか芋虫になっていた。

 私は視界一面を埋める巨大な若葉のお布団で目を覚まし、自分に手足がないことを知る。

 もぞもぞと体を蠕動(ぜんどう)させた結果。


「葉っぱを食べる以外、なにもできねえ」


 そう理解して、目の前の瑞々しく、美味しそうな葉、これは桑だな、それを一心不乱にもっちゅもっちゅと齧り、お腹へ入れて行く。

 うめ、うめ、お代わりもあるぞ、と調子良くお食事を続けていたら。


「体が、熱い」


 無性に、胸の奥から湧き上がるエネルギーを感じて。


「ぶぶぶ」


 私は、口ではない謎の穴から細い糸を一生懸命に吐きだして、全身の周囲を覆っていく。

 蝶か蛾かわからないけれど、とりあえず繭糸を吐く芋虫が、今の私の正体であるらしい。

 一心不乱に吐いた繭は、いずれ私の身体をすっぽりと覆う、快適なカプセルベッドとなった。

 ああ、狭いけれど、外の光がぼんやりと透けて繭の中に入り込み、とても落ち着く。

 この中で眠り、一度、どろどろにすっかり溶けてしまって、私は新たに生まれ変わる。

 美しい蝶か、毒を持った蛾か。

 それとも、繭のままに煮て殺される蚕(かいこ)なのか。


「せっかくだから、翠(みどり)色の可愛い蝶になりたいもんだ」


 願いながら、私は眠りに就く。

 次に目を覚ますときは、せめてあの蒼い大空の彼方を。


 ――――


「……麗央那(れおな)、寝てるのか? 起きてるのか?」

「ふえぇ」


 呼びかけられて、私は現実に戻って来る。

 私の顔を覗き込む翔霏の顔の、向こう側には。


「綺麗な空」


 夢の中で願った光景が見られて、私は小さな、だけれど大事な幸せを感じた。


「ん、そうだな。良い天気だ。起こして悪かった。まだまだ寝ていても大丈夫だぞ」

「ううん。気分爽快。絶好調」


 んー、と私は伸びをして、目をぱっちり見開く。

 今、私たちは馬車に乗り、斗羅畏(とらい)さんの統治する白髪左部(はくはつさぶ)へ向かっている。

 昂国(こうこく)の皇太后さまから頼まれた用事、そのお遣いである。

 斗羅畏さんの頭領就任をお祝いするため、皇太后さまの親書と、食料燃料、その他の品々を届けるのだ。

 荷馬車だけで八両、プラス私たち、使者や護衛が乗る馬車が二両という、大所帯である。

 これらすべて、皇太后陛下のポケットマネーから出されているのがヤバい。


「私、どれくらい寝てた? 今どのあたり?」


 夢の中で芋虫から繭になるほどの時間が過ぎたくらいだ。

 数分の居眠りではないだろうと思って、翔霏に聞いたのだけれど。


「どうだろうな。なにかぶつぶつ言っていたから、起きているものかとばかり思っていた」

「やだわ、また寝言かましてた。恥ずかちい」

「慣れたから気にしてないぞ。そしてまだ、国境を過ぎてからそれほど進んでもいない」


 寝言に慣れてもらっても、乙女としては複雑である。

 幌を半分外してある客車から、太陽を見上げる。

 確かに寝入る前の空の様子とさほどの変化はなかった。

 長くてもせいぜいが数十分、夢の中で桑を食っていたくらいのものか。


「不思議だね。随分と長い間、夢を見てた気がするのに」


 夢のタイムテーブルには謎が多い。

 五分しか寝ていないのに夢の中では五時間くらいの経過を体験する、ということがままある。


「どんな夢を見ていたんだ? 身体をくねくねさせていたが」


 だから恥ずかしいってば、言わないであげて。

 私は薄れゆく夢の記憶を再び脳から引きずり出し、翔霏に伝える。


「蚕になってた気がする。私は幼虫で、葉っぱをもぐもぐ食べて」

「ほう。たらふく食える夢は、良い夢だ。起きたときに切なくなるが」


 翔霏らしい感想であった。


「でも私は、空を飛びたくて。繭の中から、青空を望んで、目が覚めたとき、空が綺麗に見えて」


 うん、だから。

 とても目覚めの気分が良い。

 私と翔霏の話すのを、同じ馬車で向かいの座面にいる宦官の銀月(ぎんげつ)さんが、興味深そうに聞いて。


「それはまるで、昔から伝わる『飛ぶ蚕』のおとぎ話のようでございますな」


 なにやら面白そうな話を教えてくれた。


「どんな話なのですか? 翼州(よくしゅう)ではあまり耳にしませんが」


 翔霏の質問に、まるで孫に聞かせるように、にこやかに銀月さんは話した。


「蚕は飛ばぬもの、人はそう思い込み、逃げぬだろうと甘く見て飼っておりまする。しかしその蚕は、己は飛べると信じ込み、とうとう繭を破って大空に羽ばたいたのです」


 奇妙に哲学的と言うか、示唆に富んだ言い伝えだな。

 飛ばぬと思っていた蚕が、強い一念のもとに大空へ旅立つ、なんて。


「思い込むことの落とし穴と、信じ込む力の強さか……」


 翔霏もその裏表の意味に考えを廻らし、神妙な顔つきになった。

 強く意識することに対する、悪い面と良い面を同時に教えてくれる物語だ。

 銀月さんは都の人なので、河旭(かきょく)の周辺で広まっている訓話なのかもしれないな。


「もっとも、蚕だと思って飼っておった中に、他の芋虫が紛れ込んでおった、と考えるのも自然でありましょうか。人には思い違いや手抜かりが必ずあるという、簡単な話かもしれませぬな」


 このように、銀月さんは気の利いた話をいろいろと聞かせてくれる。

 私たちは様々な楽しい昔話を聞きながら、斗羅畏さんがいるであろう白髪左部の奥地まで、のんびり焦らず進むのだった。

 念のために翔霏をボディガードとして連れたけれど、道中で悪いやつらがちょっかいをかけてくることはなかった。


「こ、こりゃあ、えらいことじゃ。それに、嬢ちゃんらが来るとはのう」


 比較的に大きい邑へ到着したとき、私たちを迎えてくれたのは、顔馴染みの老将さんだった。

 斗羅畏さんの副官にして相談役のような、ベテランの武人だ。


「またお会いできて嬉しいです。先に伝令のお役人さんから、お話は通っていると思いましたけど」


 私は挨拶しながら、斗羅畏さんがいるかどうか、きょろきょろと周囲を見渡す。

 昂国から荷物が届くことは、もちろん前もって知らせてある。

 老将さんは額の汗を拭き拭き、申し訳なさそうに言った。


「ま、まさか、国母(こくぼ)さまから、こんなに大層な頂きものが来るなんてのは、思いもよらんかった。殿(との)はもっと奥の宿で用向きを済ましとるところなんじゃ。ワシが受け取れば十分かと思っとったが、こりゃあ、いかん」


 慌てて、老将さんは自分で馬を飛ばし、斗羅畏さんを呼びに行った。

 走って行く方向から察するに、重雪峡(じゅうせつきょう)あたりに斗羅畏さんはいるのだろうか。

 ならば半日から一日くらい、私たちは待つことになるな。


「斗羅畏さんも、忙しそうだね」

「今や一国のあるじだからな、楽な仕事ではないだろう」


 私と翔霏を含めた使者一行は、あてがわれた包屋(ほうおく)で人目につかないように、大人しくする。

 この地域には、青牙部(せいがぶ)前頭領の覇聖鳳(はせお)の縁者がたくさん住んでいる。

 私や翔霏は、彼らと顔を合わせない方が良いのだ。

 建前上、覇聖鳳の死因は雪崩による凍死ということになっているけれど、本当は私たちが殺したのだという事実を、いずれ彼らも知るかもしれないし、すでに何人かは知っている可能性もある。

 斗羅畏さんがべらべら言いふらすことはないと信じているけれど、人の口に戸板は立てられないのだ。

 ただでさえ今いるこの邑は、覇聖鳳を殺した地点のすぐ傍だからね。


「国事(こくじ)でないというのにこの大荷物ですからな。相手さまが驚かれるのも無理はありませぬか」


 待つしかないのだと割り切って、花札に似たシンプルなカードゲームを絨毯に広げながら銀月さんが言った。

 そう、私たちが今回に派遣されたのは、国としての正式な行事、外交交渉ではない。

 あくまでも、皇太后さまが個人的に、私費で斗羅畏さんにプレゼントを贈りましたという体裁を保たなければならないのだ。

 組織ではなく、個人間交際の範疇なのである。

 だから物品やお手紙の授受にも、かしこまった祭壇とかを作らないし、調印しなければならない重要な書類とかもない。

 せいぜい、物品リストの写しに斗羅畏さんの受け取りサインを貰って、お役人さんが皇太后さまの下へ持ち帰る程度である。


「政治のことは私にはわからないが」


 そう前置きして、翔霏が話す。


「昂国としては、斗羅畏の自立を正式に承認しがたいという問題があるのだろうかな」

「そうだねえ。白髪部の本家で大統やってる突骨無(とごん)さんが、国として、自治領としての斗羅畏さんの統治をまだ公式に承認してないから、うちの国が勝手に斗羅畏さんを認めるわけにもいかないみたい」


 皇太后さまや偉い宦官の馬蝋(ばろう)さんに聞いた解釈を、私は翔霏にそのまま伝える。

 斗羅畏さんと突骨無さんの間に跨る政治状況を私も詳しく把握はできていないけれど、少なくとも両者が緊張状態にあるのは確かだ。


「その中でもなにかできることはないかと、心を砕かれた母后(ぼごう)さまのご深慮に、拙(せつ)はただただ頭が下がる思いでございます」

 

 銀月さんに私も同意して頷く。

 建前はどうであっても、斗羅畏さんの領土は昂国の翼州(よくしゅう)や角州(かくしゅう)と、広く境界を接している。

 隣人とは上手に付き合って行かなければならないという現実が、目の前に横たわっているのだ。

 まだまだ統治も経済状況も混乱している斗羅畏さんたちに、挨拶とお土産を贈るのは、お互いにとって良いことだと、私は思う。


「単純そうな男だったからな。物資が手に入ると知れば素直に喜ぶだろう」

「そうだと良いねえ」

「お二人は既に、斗羅畏どのを詳しく知っておられるのでしたな」

 

 私たちは車座で話しながら、数字や絵を合わせる札遊びをして斗羅畏さんを待ち続ける。

 夕方前、日の沈むギリギリに、待ち人来たりの報(しらせ)せがあった。


「殿が到着しました。長くお待たせして申し訳ござらん」


 老将さんが笑って言う。

 私たちは包屋に並んで座って帰還した斗羅畏さんを迎える。

 すす、と音を極力立てずに包屋の幕を手で退け。

 屋内に入った斗羅畏さんは、両掌を胸の前で重ねて深く一礼した。


「こ、このたびは、寒風厳しきかような土地に、お足もとも悪い中わざわざお越しいただき、まことに、まことに……」


 あは、緊張してるっぽい口調で可愛いじゃないのさ。

 座礼で顔を伏せてその口上を受ける私たち。

 少しずつ、両者が顔と視線を上げて。

 私と斗羅畏さんの眼が合った。


「どうも、斗羅畏さん」

「久しぶりでもないか。元気そうだな?」


 つい、くだけた口調で再会の挨拶を述べてしまった私と翔霏。

 本来はそれほどかしこまった場ではないはずなので、良いでしょ、多分。

 斗羅畏さんは、銀狐の毛皮で作られた外套の中に、昂国のものとは似て非なる絹の衣を着ている。

 おそらく戌族にとっての最高の一張羅なんだろうな、お洒落でカッコいいですよ、などと思いながら、ニコッと私は笑みを見せる。


「あ、あがが……」


 このように、極めて友好的な私たちの顔を見るなり、斗羅畏さんは口を金魚のようにパクパクさせて。


「なぜ、なぜ貴様らが、ここに居る!!」


 怒りに叫び、かぶっていた毛織物の帽子を脱いで、床に全力でばちぃんと叩きつけたのだった。 

 うーん、ディスコミュニケイション!

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