みないの声は今日もでかい

未綯

最後の記憶に僕がいること

親戚のおじさんが亡くなった。三月の初め頃だったと思う。

気付けば二か月程の時が経ち、少しずつ記憶が曖昧になってきている。

だから、忘れ切ってしまう前に残しておこうと思う。

脳内キャッシュなんて括りの場所に、と思ったかもしれない。

僕も少しは申し訳なく思っている。でも、どこにも残せず掠れていくなら何処など関係なく残っていたほうがいいだろう。

そんな言い訳を残して書き始めた。


足繫くお見舞いに行っていたわけではない。最後に話せた、亡くなるひと月ほど前のあの日で五年ぶりになるくらいで、両親から話を聞かされた時には「今すぐどうこうということはないだろうけど、もう長くはない」という状況だった。


癌と認知症の併発で一時は、おばさんのことも分からなくなってしまうくらい記憶が曖昧になってしまった期間もあったそうで、いつ死んでもおかしくないくらいだと医者に言われていたらしい。しかしこうしてがんセンターではなく、自宅で、自分の足で歩いているおじさんを見ると、とてもそうは思えず、脳がブラックボックスといわれる所以を目の当たりにした気持ちだった。

僕ら兄弟の名前も(どっちがどっちかは曖昧だったが)ちゃんと覚えていてくれた。


看病でおばさんは少しやつれていたけれど、矢継ぎ早に話が飛び出すところは変わっていなかった。それでも“これから”の話は早々に終わって、やっぱりというか、昔の話が主になっていった。


僕に残っている記憶を古い順に並べてみると、「弟が生まれる直前に父と待っていた時間」、「弟が壁伝いに初めて立った映像」そしてその次が「ひいばあちゃんに謝るように母に話す自分」。ざっくりいうとこんな感じで、どれも三歳以降、四歳以前の記憶だろう。

母が、父さんの実家に入ってから相当な苦労をしたというのは、何となくだが聞いていて、具体的に何があったのかは知らないが推測するに、父方の実家がかなり厳しく由緒を重んじるような家であったためだろう。これ以上は今の僕には分からない。


ただ、この話をおばさんが切り出し、少し申し訳なさそうな顔も浮かべながら「あなたあの頃大変だったわね」と溢し母が涙を流しているのを見て、僕も泣いてしまった。

母が少し報われたような感じがしたからだろう。


こういったような話、おじさん夫婦の苦労した話、子供はいなかったがその代わり世界あちこちに旅行に行って楽しかったんだという話、それから父の「大人に反発していた時期の話」、父のお姉さんのほうがもっとひどかった…そんなような僕が知らない話を何時間か聞いて帰る時間になった。


おじさんも元気そうだな、なんて思っていたが、おばさんが話しているのを時折頷きながら、何かを確かめるような表情で、そうだったかな、そうだねと呟いている様子を見ていると記憶が曖昧な部分も少なからずあったのだろう。

それでもこうして言葉を交わせたから、正直僕のことはそこまで覚えてなくてもいいかな、なんて思った。


せっかくだから写真を撮って、それじゃあという時。

おじさんが僕の肩に手を置いて、まっすぐ目を見て言った。


「分かる、分かるよ。こっちが○○でしょ」


そういってハグをしてくれた。

その瞬間、昔の記憶がパッと浮かんだ。おじさんは親戚の集まりの度、いつも帰り際に「ちょっとちょっと、いやぁ大きくなった」と言ってハグをしてくれたのだった。


一度引っ込めた涙がまた出てしまった。呼んでくれた名前が僕の名前だったからだけじゃない。目だ、僕を見つめていた目。遠くを見るようでいて、僕を確かめるようで、それから少し悲しそうな目が、僕を刺してくれた。


僕らはこんなことも忘れてしまう。

おじさんは忘れることも、覚えることももうできない。


それでも、誰かの最後の記憶に残れたことがたまらなく素敵じゃないか。

なら僕は少しずるいな。

忘れてしまう前に、なんて言えるんだから。

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