第3話 沁みる温もり
そよ風が敷き詰められた草花を揺らして駆け抜ける。気持ちのいい青空が広がっているのは、シエラの魔法によるもの。
わずかに次元を歪ませて作りだしたこの場所が、普段シエラが生活している場所だ。
三階建ての貴族が構えるような立派な屋敷の扉を開いて中に入っていく。
外観と内部の広さが一致しない不思議な構造の屋内を進み、階段を上がってとある一室に入る。
簡素なベッドに少女を寝かせると、シエラは凝った肩を解しながら少女に指を向けた。
「〈破砕せよ〉」
既存の魔法を改変した粉砕系の攻撃魔法を使い、少女の首輪や腕輪、体を縛る拘束具をすべて破壊してついでに体に付与された隷属魔術の術式も解除する。肩の焼き印は直接刻まれたものであるため今使った魔法ではどうしようもないが、それはこの後回復魔法でどうとでもできるために問題ではない。
砕けた金属片を丁寧に取り除き、少女の胸に手を当てて静かに目を閉じた。
「〈癒やしの御手よ〉」
呪文を口にすると、シエラの手が輝いて淡い水色の光が少女の体を包み込んだ。
第八階級魔法の【ハイ・エクスヒーリング】。あらゆる傷病を癒やすことのできる高等魔法だ。
少女の体中に浮かんでいた痣が消えていき、肩の焼き印がなくなって綺麗な色白の肌が戻ってきた。失われた視力も復活し、少女は驚いたように大きく目を開いて自分の両手を見つめている。
「え……なんで……」
「どうやらもう大丈夫そうね」
シエラが声を掛けると、少女はゆっくりと顔を向けた。
「……やっぱり」
「やっぱり?」
「あっ、えと、その……ずっと声は聞こえていたので。私を助けてくださった優しい声だったので、きっとご主人様も優しい方なんだろうと思っていたんです」
少女が起き上がる。
そして、両手をつくとベッドの上でシエラに向かい両手両足をきっちり揃えてシーツに擦りつけるように頭を下げた。
「このご恩は一生かけて返します。どんなことでも命じてください」
「私のことを何だと思っているのよ。……まぁ、いいわ。それより名前を聞かせてくれるかな?」
「私は奴隷です。ご主人様の所有物なので、どうぞお好きなようにお呼びくだ……」
「あぁぁ! もうっ!」
頭を掻いたシエラは、少し強引に少女の肩を掴んだ。
力の入れ具合で自然と少女の視線が焼き印の消えた肩に向くように操作する。
「詳しいことは後で全部説明するけど、今の貴女はもう奴隷じゃないの! だから貴女の本来の名前を教えて!」
「……シャーロットです。昔はペスティの家名も使えたのですが、今はただのシャーロットです」
「そう、シャーロットね。よしっ! じゃあ貴女は今日からシャーロット=バネルね! シャーロットの愛称としてはシャル、が一般的だと思うけど、そう呼んでいいかしら?」
「もちろんです。ご主人様のお好きなように」
「そのご主人様って呼び方も訂正させないとね。私はシエラ=バネルよ。よろしくねシャル」
「え……その名前は……」
伝説の大魔法使いと同じ名前。
だが、不思議とシャーロットはシエラの言っていることが真実だと直感で理解した。この人物があのシエラ=バネル本人なのだと。
「じゃあシャル。早速だけど、まずはお風呂にでも入ってくるといいよ。肌も髪も綺麗なのに汚れているのはもったいないからね」
「え、あ、はい」
「浴室は階段を降りて左に向かって一番奥の部屋ね。一人で大丈夫だと思うけど、不安なら召喚術で
「いえ! 一人で大丈夫です!」
急いで浴室まで駆けていく。
脱衣所に入り、扉の鍵を閉めようとしたがそれはやめた。シャーロットは性奴隷として売るつもりだと商人が話していたことを思い出し、もう奴隷ではないとは言っていたがもしかするとそういう目的で買ったのかもしれないと考えたのだ。
鍵など閉めてしまえば、どういう扱いを受けるか分からない。
ボロ布を脱ぎ捨てて浴室に入る。
やはり外観との縮尺が合わない大きな湯船には乳白色のお湯がいっぱいに張られており、心地よい香りがしていた。壁面には公爵などの大物貴族の屋敷にしかないようなシャワーと呼ばれる魔導具まで備わっている。
シャワーの前に立ち、そっと取っ手を捻る。
温かなお湯が出てきてシャーロットの髪を濡らした。体全体にほのかな熱が沁み渡る。
お湯で体を洗うことができるなどいつぶりだろうか。湯浴みなどずっとさせてもらえなかったし、たとえできても商人たちに布が湿る程度の冷たい水をかけられるだけだった。
久しぶりの安らかな気持ちに身を委ねていると、浴室の扉が叩かれる。
「湯加減はどう?」
「最高に気持ちがいいです……!」
「そう。着替えはここに置いておくからね。まぁ、私のセンスは少々古いかもしれないけど、それは笑わないでもらえると助かるかな」
「とんでもないですありがとうございます!」
文句など言える立場ではない。どんな服でも、あの端々が破れたボロい布きれよりかはずっとありがたかった。
脱衣所からシエラが出ていくのを気配で感じながら、シャーロットは体全体を洗い終えて浴槽に浸かる。
体全体に温もりが染み渡るのを感じながら、ゆっくりと体を沈めてシエラの顔を思い浮かべた。
「シエラ様……優しい方だな……」
お湯とは違う温かなものが胸の中に溢れ出してくる。
しばらくの間お湯の中で幸福を享受していたシャーロットだったが、あまり長湯しては申し訳ないと思って早々に浴室から出て行くことにした。
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